ライバル(7)
第七章
帰宅後、追加分の監視カメラのデータを読み込んだ。
「暗い部屋にいた人物を特定してください」
正理が自作した骨格推定技術を使ったアプリを起動した。精度重視のため結果が出るまで少し時間を要する。その間に部屋着に着替えた。
寛げる格好になり部屋に戻ると、コンピュータは答えを用意して待っていた。
木戸竜一。確率は九十パーセント近い。
明るい場面で認識された人物を特定し、その中から誰に最も近いかを推定しているだけなので、これで断定できるものではない。
ただ同一人物でも一致する確率が七十から八十パーセントというのがよく見られる数値だ。ここまで高い確率が算出されることは滅多にない。
木戸に続いて確率が高いのは才上だ。ただ数値としては約十パーセント。可能性は低い。
この映像の人物が木戸だとして、どうやって一人で研究室内に入ることができたのか。
部屋に入るには虹彩と手指十本全ての指紋が登録されている必要がある。セキュリティは万全だ。
正理は頭をかいた。今度は木戸が茶土に研究室に招待された時の映像をチェックする。
付き合い始めたばかりの恋人同士という感じで初々しい。見た目を除けば、中高生のようにも感じる。
木戸は研究室内をきょろきょろと忙しなく頭を動かしている。何かを探しているようだ。
とはいえ、同業者として部屋の中が気になるのは致し方ない。この挙動だけで怪しいとは言いきれないだろう。
二人の会話の内容はもっぱら研究についてだった。お互いの表情には、真剣な中にも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
茶土がロボットを呼ぶ。正理が経験した時と同じようにたくやが木戸に近づいた。
二人だけの世界に突如現れた異物。見た目は無機質なだけにそう感じられる。正理が直に経験した時よりも、映像で客観的に観ている今の方がより違和感があった。
しばらく三人の会話が続く。ロボットも含め全員楽しそうだ。
「今度はぜひ茶土さんがわたしの研究室に来てください」
茶土がにこやかに頷く。
「たくやさんもぜひ来てください」
三人が一斉に笑う。
当然、茶土研究室から一歩も出たことのないロボットを外に持ち出すことは、情報漏洩の危険性を考えれば簡単にはできない。
つまりロボットはそんな冗談に『笑う』という感情表現をごく自然にこなしている。人間との違いは見た目以外何もない。
そこに研究室の学生である才上が部屋に入ってきた。木戸に気づき一礼をする。
「先生がこの部屋にお客様を入れるなんて珍しいですね。もしかして、茶土先生とお付き合いされてるとか?」
茶土と木戸は顔を見合わせお互いに微笑んだ。それを見た才上の表情が心なしか曇ったように見える。
しばらくロボットを入れた四人の会話が続いた。五分くらいして才上が部屋を出ようとドアに近づく。
姿を消す間際だった。振り返り、木戸に話しかけた。
「木戸さん、これから頻繁にここに来られますよね。であれば、指紋と虹彩を登録しましょう。僕の方でやっておきますから、ぜひ」
「そうね。私と共同研究をするという理由であれば認められるんじゃないかしら」
「お気づかいいただきありがとうございます」
数分後、係の者を連れてきた才上が戻ってきた。軽い説明と茶土の同意を戻た上で、木戸の指紋と虹彩を取得する。
監視画像からは端末の画面までは見えないが、おそらく個人情報を入れているのだろう。大学側も怪しい人物の入室許可をおいそれとする訳にはいかないので、入力項目は多岐に渡るようだ。
「登録完了しました。入力内容に不備がなければ三日程度で承認が下りると思います」
大学のセキュリティは意外なほど緩い。昔ほどではなくなったが、企業が何重にも対策を立てるのに対し、市販のセキュリティ対策アプリすら入れないような杜撰な大学もある。
横浜工科大学のように入退室のチェックがあるようなところはまだましな方だ。とはいえ、こんな簡単に登録できるようであれば、まだまだ緩いと言わざるを得ない。
これでいつでも木戸は茶土の研究室に入れるようになったわけだ。
それにしても解せない。木戸本人が黙っていたのはともかく、茶土が木戸の入室許可について何も言わなかったのはなぜだろう。
恋人が疑われるのがよっぽど嫌だったのだろうか。
疑問を抱きつつ、木戸のSNS投稿を見返す。
最近の投稿は茶土の研究を絶賛するものが多い。木戸が茶土に出会う前の投稿はどうだろうか。過去に遡る。
自分の研究が上手くいっていないことを嘆くものが多い。失敗続きの最中、茶土に出会った。
茶土に近づいた理由は何だろう。
成果を盗むために茶土に近づいた。自分の研究が上手くいかないことへの腹いせにロボットを破壊した。
もちろん純粋な気持ちで、たまたま仲良くなったという可能性はある。
成果を盗むためなら、バレないように慎重にことを運ぶに違いない。
あるいは、腹いせだとして、こんなことをするだろうか。少なくとも教授という一定程度の地位を得ている人間だ。幼稚すぎる。
もう一度皆から話を聞くしかない。茶土と木戸、才上の三人にメッセージを送る。
『明日、三人にお会いしてお話をさせていただきたく。何時でも構いません』
平日だけに昼間に集まることはないだろう。早くて夕方以降か。
茶土と才上からは何時でも構わないと返事がすぐ返ってきた。木戸からは二時間経っても応答がない。
正理が夕食を食べ終わる頃にようやく反応があった。明日は時間を空けられない、と。
仕方がない。まずは二人から情報を得るしかない。明日聞くべき質問を箇条書きに纏め、モニターの電源を落とした。
「木戸先生の可能性が最も高い、ですか」
茶土は今にも泣きそうな顔をしている。才上は表面上は冷静に見える。
「なぜ木戸先生が研究室を自由に出入りできることを黙っていたのですか」
茶土は俯いたまま黙っている。才上はその様子を心配そうにじっと見つめていた。
重たい空気が流れる。雰囲気に耐えられなくなったのか、才上が口火を切った。
「最初から嫌な感じがしてました。やっぱり犯人は木戸さんですか」
常田を疑った時と同じ口ぶりだ。この青年は人間というものを嫌っているのだろうか。それとも茶土に近づく者を嫌っているのか。
「才上くん、他人の悪口は言わないの」
まるで息子をたしなめる母親のような口調だ。親子のやり取りのような光景を見て、正理はふとひとつの可能性を感じた。
この若者は三十も上の女性を恋愛対象として見ているのではないか。たしかに茶土は実年齢よりも若く見える。知らなければ、もう十歳は下と思うだろう。
とはいえ、それでも才上にとってはかなりの歳上だ。
「才上さん、なぜ木戸先生に指紋と虹彩の登録を勧めたのですか?」
「僕が勧めたわけじゃありません。木戸さんがどうしてもと言うので仕方なくです」
「録画を拝見しました。登録を提案したのは才上さん、あなたからではありませんでしたか」
「録画に入っていない部分で何かあったんじゃないですかね。どういうやり取りをしたか細かいことまでは覚えてないですし」
「茶土先生、あなたもその場にいたはずです。才上さんの言っていることに間違いはありませんか?」
茶土は目を泳がせながら首を捻る。
「ごめんなさい。私もどういうやり取りをしていたかまではあまり記憶が・・・・・・」
本当に記憶がないのか、才上を庇っているのか。茶土の態度はどちらにも取れる。
正理は才上の可能性を頭の中で巡らせた。
茶土が連れてきた恋人を見て才上は嫉妬した。木戸を罠に陥れるために、わざと指紋と虹彩を登録させる。そして録画映像を捏造した。あるいは木戸を夜中の研究室に呼び寄せたか。
映像の捏造は果たして可能なのだろうか。監視カメラの映像は茶土だけがアクセスできるサーバー領域に保存される。彼女の受け持つ学生だろうが当然そこにデータを保存することはできない。
しかし、研究のためにサーバー使用を許されていたら。
ここは直接質問をぶつけてみるしかあるまい。
「茶土先生に窺います。いただいた監視カメラの映像データの保存されているサーバーは、茶土先生以外にアクセスできる方はおられますか? それとロボットのバックアップ用のサーバーについても同様の質問をさせてください」
「私以外何人たりともアクセスすることはできないと確信しています。以前、サーバーに不正アクセスを試みた者がいたけれど、失敗に終わっていたというお話をしたじゃないですか」
「学生さんや他の研究室の先生方も、ですか? ロボットのバックアップデータなんかは茶土先生と学生との間でどのようにやり取りされているのですか」
「私のサーバーはたとえ研究室の学生たちでも入れません。他の先生たちも当然アクセス不可です。たくやのバックアップデータは、毎日のバックアップ保存後に学生用のサーバーと同期を取るようになっています」
茶土の表情を見る限り、自信満々といった感じが伝わってくる。では犯人は木戸と断言してもいいだろうか。
「やはり木戸先生に来ていただかないといけないようです」
「木戸さんが私の研究成果を盗もうとした、あるいは既に盗んだ。その可能性が高い、ということですね?」
茶土は軽くため息をついた。
「もしそうであれば、つくづく男を見る目がない、ということになりそうです」
「いえいえ、まだ分かりません。その判断は結論が出てからにしましょう」
正理の言葉に苦笑いで返す。仕事の後、何時になっても構わないので、茶土の研究室に来てもらうようお願いをした。
夜の九時過ぎ。木戸が姿を現した。
自分が疑われていることは承知の上だろう。明らかに機嫌が悪い。
雑談をする雰囲気でもないので、正理はすぐさま本題に入った。
木戸に暗闇の侵入者の映像を見せる。
「これはわたしではありません。なぜなら全く身に覚えがないからです」
口調が以前会った時とはまるで違っている。冷静でないことは確かだ。
続いて茶土と木戸、才上三人のやり取りが映った映像を見せる。途中で正理が質問を投げた。
「なぜ前回お会いした際に、木戸先生の指紋と虹彩を登録したことをお話しいただけなかったのですか?」
木戸は舌打ちをすると、口角泡を飛ばした。
「わたしの口からわざわざそんなことを言う必要はないと思ったからですよ。そもそもここにいる茶土さんや才上さんが知っている訳ですから、わざわざわたしから言わなくても何の問題もないじゃないですか」
木戸はそう言って茶土と才上を睨む。一瞬後、何かに気付いたのか、目を見開いた。
「そうだ思い出しましたよ、正理さん。この学生がわたしを陥れるために、指紋と虹彩を登録させたんですよ。そうだ、そうに違いない」
才上も言い返す。
「なんで僕があなたを陥れる必要があるんですか。世の中に全く知られていない実績のない研究者を陥れたって、何の得にもならないでしょ」
「このおばさんに色仕掛けでもされたんじゃないですか。そこに付き合ってます、なんて言うのが現れたもんだからやきもちを焼いたとか。ほら図星だ」
茶土と才上が同時に立ち上がる。
「誰がおばさんよ」
「なんで僕があなたみたいなおっさんにやきもちなんて焼かなきゃならないんですか」
千年の恋も冷めたといったところだろう。さすがにおばさん呼ばわりされて、好きでいられる女性はいない。
「これが本音ですか?」
正理が木戸に詰め寄る。
「ああ、そうだ。わたしの偽らざる本音だ。おばさんをおばさんと呼んで何が悪い」
「女性に対するマナーとしては最悪だと思いますよ」
正理はにこやかに木戸を凝視する。いよいよ木戸の本性が現れてきた。
「今のが本音なら、なぜあなたは茶土先生に近づいたのですか?」
「そりゃもちろん研究成果に近づくためには手っ取り早いと思ったからですよ。わたしが何年かけても辿り着けなかったレベルに達してるんです。利用できるもんは利用する。これは戦略です。何ら卑怯な部分はないと思いますがね」
卑怯以外の何物でもない。正理は呆れて二の句が告げなかった。
「では、夜中の研究室に忍び込んで、ロボットを破壊したのは木戸先生、あなたですね?」
「違う。研究成果を自分のものにしたかったことは認める。しかし、犯罪については全て否定させてもらう」
「ではもう一つ質問させてもらいます。指紋で最もはっきり残っていたのは、茶土先生を除いて、木戸さん、あなたのものだったのですよ。それについてはどう説明されるのですか?」
「身に覚えのないことを説明しろと言われても、答えられるわけがありません」
「木戸さん、往生際が悪いですよ。これだけ証拠が揃っているんです。潔く認めたらどうですか」
木戸が再び舌打ちをした。ソファにふんぞり返り、頭を左右に振る。
茶土は瞳を潤ませ、その様子をじっと見ていた。
「木戸さん、もう一度お聞きします。なぜ私と付き合おうと思ったのですか?」
木戸はいかにも面倒臭そうに口を開く。
「あなたの研究成果がなければ近づくことはなかった。そもそもあなたにその研究成果がなかったとしたら、どんな魅力があるっていうんですか?」
「それが木戸さんの本音、ってことですね。所詮そんなくだらない考え方しかできない男に騙されていたなんて、私がバカでした」
二人の言い合いを制止しようと正理が割って入る。
「止めてください、お二人とも。いい大人なんですから」
痴話喧嘩に正理は辟易した。
「では、改めて質問させていただきます。木戸先生、メモリの中身はどうされたのですか?」
「知るわけないですよ。っていうか、例え知っていたとして、簡単に言うわけないじゃないですか」
「逆ギレしないでよ。私の研究成果を盗んどいて。あなたが私の研究成果を盗んだ。それしかないじゃない。ホント根性腐ってる」
再び口論が始まったのを見て、正理がすかさず間に割って入る。
「木戸先生、明日でいいので、先生の研究室をお見せいただくことはできませんか?」
木戸は不機嫌ながらも首を縦に振った。
「今日の内に証拠隠滅とかしないでくださいね」
才上は立ち上がったまま木戸を睨む。木戸も負けじと才上を睨み返した。
言い合いをして憔悴しているのだろう。目に力がない。木戸のダメージは大きそうだ。
「今日はこのまま帰宅します。隠滅する証拠なんてありませんが、私の研究室に出入りしたかどうかは自動的に残る入退室記録があります。逃げも隠れもしませんからご安心ください」
「明日の朝八時に町田工業大学の正門に参ります。それまでは木戸先生も研究室には入らないでいただきたい。それとできればサーバーにアクセスすることもお控えいただけると助かります」
「これから朝まで仕事をする気力なんてありませんから大丈夫ですよ」
木戸はとぼとぼとドアに向かって歩き出した。ドアノブに手をかけた瞬間、たくやが喋りだした。
「茶土先生宛にメールが届いています」
皆ロボットの方を振り返る。
「今回の事件に関係ありそうな内容ですか?」
正理が尋ねると、ロボットは首を縦に振った。
「事件との関連度八二パーセントと出ています」
「いいわ、この場で読み上げて」
ロボットの返答に茶土が覚悟の表情で応える。
「茶土先生の研究、素晴らしいですね。ぜひこの成果を譲っていただきたいと考えております。さもなければ、第三国に流出してしまうか。大丈夫です。茶土先生さえ首を縦に振っていただければ、世界の平和は保たれます。しかし、拒否されるのなら、世界は崩壊の道を辿るやもしれません。一週間お待ちしますので、なにとぞご検討のほどを」
明らかな犯行声明だ。
「差出人はどなたか分かりますか?」
「暗号化されています。残念ながら解読不可能です」
「ルートを辿るのも難しそうですか?」
「今必死で探索をしていますが、難航しています」
ハッカーとしても相当の腕前の者だろうか。ロボットでさえ手を焼いている。
「ほら、これでわたくしではないことが証明されましたね」
木戸が安堵のため息を漏らす。
「いえ、メールなんて予約投稿できますから。このタイミングで届いたからと言って、何とも言えません」
ぬか喜びに終わったせいか、木戸は落胆の色を見せた。
「どうやら大急ぎで事件を解決する必要が出てきました」
「であれば、わたくしの研究室の捜索なんてやってる暇はないんじゃないですか?」
「いえ、そこまでは予定通りやらせていただきます」
何を言っても自分の意見が否定されることに、木戸は苛立ちを隠せない。「好きにしろ」と捨て台詞を残して、その場を去った。
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