今週の私は「威嚇」がテーマだった。最低なスローガン。 振り返ることもしたくないので、まあ最悪だったとだけにしておく。 あとで見返した時に黒歴史掘り起こして自己嫌悪になることが目にみえているので。それにしても1週間は早い。スナックおふみからもう1週間。 あのドキドキは忘れたくない。毎週土曜日に思い出すことにしようかな。 来週から忙しくなることがわかっているので渋々多めに作りおきをしている。ぶりの煮付けを煮込んでいる間にこのnoteを書いている。さて、何文字書けるかチャレンジス
土曜日は「スナックおふみ」へ。 SNSでの発信は最低限にとどめる。 行ってよかった・生きててよかった。ふみ様が登場した時は、ファンミってわかっているのに「なんで??ここにいるの???」状態だった。 ああ。時間を1度だけ巻き戻せるなら。 人の幸せが、今世の善行と比例するならばあの1日でゼロにリセットされた。いやマイナス。赤字。あんな幸せで尊い空間が自分の人生の線上にあったと思えない。きっとパラレルワールド。 翌日はもぬけの殻。美味しい食べ物とか食べたら絶対にバチがあたる。 本
火曜日。早めに帰宅できたので、白玉団子を作った。家のベランダから網戸越しで月を見ながら食べた。 大きくなくていいから、幸せが来ますように。 その夜、1時頃に目が覚めてなかなか眠れなかった。夜更かしテンションでガクテンソク の奥田さんのTHE SECONDの時のnoteを購入したけれど、通常テンションでも購入しているくらい良かった。 全く違う人生で景色も人もリンクする部分はないのに、その時の状況が想像できた。(ちなみにTHE SECONDの日は、彼氏とデートしていたけれど見たす
9日の週のモチベはもっぱら3連休。その3連休もラスイチになってしまった。なぜだ。早すぎる。 まだまだ猛暑が続いてクーラーのボタンについつい手がいってしまう。 昨夜「向日葵の咲かない夏」を読み終えた。序盤からずっと私の知っている夏ではなかったし、大きな石が体の中心にある感じがしていたけれど、続きも終わりも気になって夜更かしして読んだ。 30歳の今も「死」が自分に必ず訪れるものだということが実感できていないのに、まだ今よりも地面に近かったあの頃の私にとって「死」は別世界のものだ
9月に入った。去年より秋の訪れが早い気がする。 セミの声はもう聞こえないし、日が落ちるのも早くなった。あっという間に年の瀬迎える説濃厚。 去年の大晦日は、大掃除して1人で紅白見ながらチープな年越しそばを食べて年が明ける前に寝た。お正月はみんなで集まって乾杯して幸せな、なぜか少し切ない気持ちになって家に帰ったら、石川で地震があった。 まだ1年を振り返るのは早いけれど、今年も(正確に言うと上半期か)いろいろあったしあるんだろうか。 生きていると、人生は突然180度変わるんだと
月曜日は少し早起きして仕事に向かう日だった。そのせいかこの1週間は長かった。体感は金曜日なのに、まだ火曜日。 さらに日曜日しか休みがないため、今日は怠惰を搾取することに全力を出し切った。 今週は、精神的にいっぱいいっぱいだった。 感情がオフになって、表情の作り方を失っていた気がする。毎日コンビニやスーパーのお惣菜。出費の確認もしていない。確認したくない。 とりあえず目の前のことをしよう。私の心の独り言No1だ。となると一刻も早く眠るべき。だって明日も早起きでその次も早起きで
今週は間に休みをとったので体は比較的楽だった。ただ精神的にずっとイライラしていた。理由は年上の新人の教育がうまくいかないことや暑さのせい。 夏らしいことを何もしていないな。と毎日思っている。とりあえずクーラーとアイスをきめてみても出費が痛い。それだけ。今月と来月はかなり節約を意識しないといけない。 「スナックおふみ」のチケットが当選した。通知が来た時は信じられなかった。前日にカネコアヤノのライブは落選していたし、二階堂ふみの初ファンミなんて当たるはずがないと思っていた。
今週は月曜日が休みで4連勤のはずなのに体が重たい。 今日は仕事を通して反省すべき点があったので忘れないよう記録しておく。 私はまだまだ感情的に仕事をしてしまう。 相手が悪いからこのくらいの態度でいい、話が通じない相手にはこの言い方でいい。 という気持ちが自分の中にかなりあるんだと思った。これはよくないこと。とってもよくないこと。 相手の立場に立って考える・動くことをできていなかった。これを改善するためにどうしたらいいだろうか。相手の立場にたつことを瞬時にできるようになりた
30年生きてきて寝坊は1回しかしたことがなかった。 今朝2回に更新された。びびった。 いつもより40分くらい遅く起きたのに家に出る時間はいつもと同じだった。 この1週間、自分に嫌なことはなかったはずなのに周囲の人のマイナスな感情や出来事に左右された。そして地震。体力的には全然問題ないのにメンタル的には結構低いところをさまよっていた。 夢に、元彼が出てきた。まあまあしんどい別れ方だったのに夢の中の彼は、私と誰か友人を遊びに誘っていた。なぜか待ち合わせがバス停で、彼が笑顔で手を
恋人とお別れしたり、行きつけのお店が閉店したりすることが続いた。 出会いあれば別れあり。それでもやはり辛い。誰かの代わりなんてないと思うから。出会いと別れをセットにして前に進める強さがない。 通勤用のカバンを買い替えたいといろんなカバンを探していた。ファスナーが壊れて使えなくなったのだ。 しかし新しいカバンを探し始めるとファスナーが元通りになった。もしかしたら物にもわずかに心が宿っているのかもしれない。 心はどこにあるのだろうか。何をしているのだろうか。感情は脳が司ってい
何もかもが気に入らない。 まず、朝起きて不本意ながらまあまあ混む電車に乗る。パーソナルスペースが人一倍広い私はイライラする。詰めてくるな、降りろと思ってしまう。 次に気温。暑い、ジメジメする。イライラする。 もちろん職場はイライラの宝庫だ。人間関係、要領の得ない電話。報告することがないことを記す報告書。なぜか定時であがれない。 イライラのピークには美味しい食べ物も好きな音楽も本も効かない。ただじっと、できるだけ心を無にしてこのイライラが過ぎ去るのを待つだけ。もし要らぬこ
今まで何度思ってきただろう。 電車で、映画館で、職場で何度パニック発作を起こしただろう。その度に「いやだ、こわい」と思った。あんなに死んでもいいと思っていたのに。 人間なんて、私なんてそんなものだ。きっと、今の私は誰のことも大切にできていない。自分を大切にできていないから。他人を思いやる行動などできるわけがない。 私が死んでも、世界は1ミリも変わらない。 私が生きても、世界は悪くならない。 だったら図々しく生きてやろう。毎朝懲りずに起きて、ご飯を食べて好きな音楽を聴こう
パニック障害になってから半年ほどで就活。その頃には頓服だけでほぼ乗り切っていた。夜も眠れるようになり、食べることもできていた。(ように記憶している) 就職先も決まり、発作もほぼ起こらず、病気のことは忘れかけていた。 しかし就職してから悩みは尽きなかった。 上司のあたりがきつくて毎日トイレで泣いていた。最終、上司の前で泣いた。 そんな上司との外回りがあり、緊張でご飯も食べられなかった。 なんとか(途中ピンチはかなりあった)外回りを乗り切り、会社に戻り、報告書を書いていたとき
パニック障害になって半年。当時アルバイトをしていた私は翌日が朝からシフトが入っていたため早めに眠ることにした。睡眠薬と抗うつ剤を飲んで布団に入って数時間。眠れなかった。睡眠薬の作用でまぶたは重い。ただ眠りにつく寸前呼吸がふと止まり、心臓がどくんとはねる。これを朝まで繰り返した。不安と焦りで苦しくて、横を向いてずっとうずくまっていた。 結局一睡もできず朝になった。もはや布団から出ることはもちろん体勢を変えることすらできなかった。少しでも動くと動悸がどんどん早くなる気がして怖か
大学時代、パニック障害になった。 当時の私は映画にハマっていてよく映画館に行っていた。レイトショーとツタヤの常連だった。 中でも虜になった俳優は、ポールベタニー、ウィノナライダー、イーサンホーク、満島ひかり、宮崎あおい、松田龍平、、 彼らの作品を片っ端から観ていた。スクリーンに映される彼らの美しさは、私の小さな世界にある嫌なことを洗い流してくれた。 いつもの夜、いつもの映画館、いつもの席。映画がクライマックスを迎える時、それはやってきた。血の気がひいた。急だった。急にドキ
付き合って数ヶ月で別れた。 その人のことは全然好きじゃなかった。 というか、少しずつ無理になっていた。 別れようって言ったのは彼の方。 その時も今もまあまあ気持ちが沈んでいるのはなんでだろうか。 色々考えてわかったこと。 彼から別れのLINEが来たとき、友人の顔が浮かんだ。彼氏ができたとき喜んでくれた友人の顔。彼女たちをがっかりさせてしまう。 もうひとつ、この人とは二度と会えないんだということ。 恋人という枠は基本一つだ。 その枠から外れたら、会うのに理由が必要になる。