【読書メモ】『MOMENT_issue2』
再開した本屋B&Bで買う。
最近、まちづくり、というか都市計画に興味がある。なぜかってそれが本屋に関わることだと思ってるし自分の生活に関わることだとも思っているからだ。
というか政治の話なんだけれども、何が言いたいかというとなぜ僕達は政治、というかまちづくりの当事者である意識を持てないのかということである。
街も区も都も国も、そこに住んでいる人たちの集合体にしか過ぎず、スタイルはともあれ、いかに理不尽なことであれ政治で為されることはそこに住む人の総体であることから逃れることはできないと僕は思っている。
でも、日本では「お上」という言葉に代表されるように社会や全体を作るものは自分とは違う何か偉い存在=お上であり自分はそれに従うしかないという意識が多いように思う。
そしてそれは、本当はそうでないのに何をしても無駄という無力感であるとか、なぜこんなことになるのか分からないと思考を手放したり、きっと何かしらの陰謀があるに違いないと妄想に逃げ込んだりする意識をもたらしやすいように思う。
そこから抜け出すためには、参加者になるのが良いと思っていて、そのためには例えば安倍総理のあの有様は実は今の日本を端的に表しているとかそういったどうしようもない現状を認めて、その上でそれぞれの立場で長期的に戦っていくしかないと思っている。
長期的、と考えるのは敵が僕達自身の意識であり、それを規定する環境だと考えるからだ。
人間は動物の一種で、自分の意思を発揮することは殊の外難しく、多くは物の配置や色、匂い、音、人間関係といった複雑な外部環境への反応がほとんどを占めるように思う。
一人一人のひとつひとつの行動はそうは思えなくても集団全体を長期的に見ればそうなるんじゃないかと思っている。
これは僕が不勉強ながら読んだり観たり聴いたりしたことから考えるようになった人間観なので分からない人もいるだろうし膝を打ってくれる人もいてくれたら嬉しい。でもここでこのことについては深く触れない。
とにかく人間とか集団について僕はそのように思っていて、だから、都市という外部環境をどう設計するのかどうリデザインするのかといったことに興味があるんだ。
前置きが長くなった。
ようやく本書の話になるのだけれども、『MOMENT』は都市について考える雑誌だということで、issue2ではデトロイトを取り上げている。あの財政破綻した都市がいまどうなっているか。破綻したからこそ、どうにかして復活(ジェンとリフィケーションに飲まれないやり方での)するための数々の試みが行われていて、それってもう既に崩壊してしまっているかもしれないこの日本という社会に住んでいる僕からすると参考になることが多かった。
気になった箇所を引用すると、
"私たち心の底では「DIY風」が大嫌いだから反対でした。…略…深刻な状況を安い材料でカバーしようというのが許せない。着実で長期的な変化を起こすには、まとまった額を投資しなければ。"
とか
"いいパーティーかどうかは、頭数じゃなく「密度」で決まる。"
これはコロナ禍を経たいまでは難しいところがあるけどもその通りだとも思うし、
"公共という言葉を耳にするとき、私はしばしび主語の不在を感じる。公共空間は誰もが使いたいと思える場所のはずが、最大公約数的で誰にとっても取り立てて必要ではない空間に思えるからだ。"
これは日本の決まりばかりの公園とか許可がなければ何もできない路上とかホームレスを排除するためだけに不快なものに成り果てたベンチとかを考えるとその通りだとしか思えず、
"混ぜる!この街で一番賢い方法は、結局いつもこれなんだ"
『ベルリンうわの空』の人の漫画から。こういう街だったら良いよなあ、と思ったり、
"日々のニュースで喧伝されているのは、せないじで猖獗をきわめる新型コロナウイルスや、破綻の淵に立つ経済システムへの不安だ。こういうメディア状況にあると、僕らはマクロなシステムの中で生かされている無力な存在に思えてしまう。そして、この「有事」を乗り越えるには、ビジョンと決断力に溢れた指導者なしでは不可能ではないかと。でも、この号に登場した人物たちのように、僕ら1人ひとりが街の未来の紡ぎ手なのだ。"
結局こういう意識をどう持つのかって話になるんだけれども、それが長期戦にならざるを得ないよなあってことで、だから、ちょっと前にツイートした『あの本は読まれているか』の一節が至言だということになるわけで。
"インテリとは、人々のイデオロギーを長い時間をかけて変えていくという長期戦を支持する者ということだ"
インテリを本屋に言い換えて欲しい。これが僕が本屋という生き方に期待していることの一つだったりする。