レティシア書房店長日誌
村雲菜月「もぬけの考察」
第55回群像新人文学賞を受賞した「もぬけの考察」(古書950円)の著者村雲菜月さんは1994年北海道に生まれ、金沢美術工芸大学で視覚デザインを学んでいます。
都会にあるマンションの408号室。ごく普通の物件ですが、何故かエントランスのポストには前に住んでいたと思しき住人の、郵便物が大量にあふれていました。新しい住人がマンションの管理会社に連絡しても、全く対応をしてくれません。408号室に引っ越してきた住人たちは、新たな生活をはじめようとすると、必ず奇妙な出来事に遭遇します。そして、突然いなくなるのです。え?これマンションを舞台にしたオカルト系の小説?
失踪が生じた部屋というのは、通常の転居が実施されていなくても、事故物件にはならないという事を巧みに活用した物語です。そんな問題ありの物件とは知らずに転居してきた住人たちが、次々といなくなってしまい、もぬけの殻になってしまうまでを描いていきます。登場する住人は4人です。最初に登場するのは、突然会社に行くことをやめてしまい、部屋にこもって、部屋に侵入してくる蜘蛛を飼い殺すことを生きがいにしている初音。これはかなり、ホラー風な出来がりです。その次にここに越してきたのが、女性をナンパすることだけが楽しみの末吉。ある女性を部屋に連れ込んだのはいいが、泥沼にはまってどうしようもない関係に陥ってしまいます。
その次に引っ越してきた青年は、知人の愛鳥である文鳥の「こがね」を一週間預かることになります。物語はこがねの視点で文鳥の世界を描いていきます。ここまでの三編は、部屋に閉じ込められている住人が、何かと接触したことをきっかけにとんでもない閉塞感に襲われる姿を描いています。
しかし、最後の「もぬけの考察」は、ガラリと変わります。画家である男は一日中部屋を模写する作業に没頭します。そして、
「私はこの部屋を模写しながら同時に行なっていることがある。私はある日壁に机を模写した。我ながら細部まで木目の描写が行き届いている焦茶色のそれはどう見ても机であり、机以外の何物にもなり得なかった。すると私の部屋には机(絵)と机(実態)が存在し始めた。部屋に二つも机は必要ないので私は捨てられる方の机(実体)を捨てることにした。机(実体)はまた買えばいいが、机(絵)を消してしまうとこの部屋という作品が完成することは一生訪れないからである。」
そこから、ややこしい方へと物語は進んでいきます。彼は、模写の終わった家具や、備品を片っ端から捨て去り、もう部屋の中には彼のみしか存在しない状態になってきます。ついに「行き過ぎた好奇心と妄想の果てに、私は実体を失って私の描いた私に吸収されてしまったようだ。」
ブログを書いているのになんですが、この話の結末について私は説明する言葉がありません。でも、とんでもなく面白い。日常からの逸脱が小説の面白さだとするならば、これほどその限界に達した作品はない、と思います。
作家の島田雅彦は「一連の奇想天外な考察は、インスタレーションと呼ばれる空間芸術の手法とも似ていて、日常性からの逸脱を効果的に演出するにはうってつけだ。」と評価しています。その言葉を借りておきます。