レティシア書房店長日誌
津村紀久子「つまらない住宅地のすべての家」
ページを開けると、住宅地地図が載っています。道路に直角に路地があり、10軒の家が路地内にコの字にならんで建っています。道路に面した路地の入り口は、奥の他の住居と比較して、割と大きな長谷川家。路地の一番奥には、自宅と倉庫が並んだ三橋家と書かれています。そして、住宅地地図の下には10軒の家族構成が簡単に書かれています。例えば表から2軒目、真下家は年老いた母親と36歳の息子の二人暮らし。笠原家は75歳の妻と80歳の夫の二人暮らし。まぁ、日本全国どこにでもある住宅の風景です。
津村紀久子「つまらない住宅地のすべての家」(古書800円)は、それぞれの家の、それぞれの事情を徹底的に描写していきます。まるで他人の家の中を覗き見しているような錯覚に陥ります。いろいろな思いと悩み、苛立ち、狂気、家族間の対立を抱え込んで暮らす人々が次々と登場します。
「どこまでも同じような家が続いている住宅地には活気がない。周辺にあるのは、貴弘の家から歩いて十分かかるスーパーが一軒だけで、そこが住宅地の人々の食事をすべてまかなっている。」とは妻と夫の二人暮らしの相原&小山家から見た風景です。
最低限の人間関係、すなわち道で会ったら挨拶するとか、ゴミ出しの日は遵守するぐらいをなんとか保持しているこの町内に、事件が持ち上がります。近くの刑務所から女性囚人が脱獄し、こちらに向かっているとの情報が駆け巡ります。
母親と同居する矢島家の息子耕市は、脱獄犯を知っていました。「日置昭子。三十六歳。耕市の中学までの同級生だった。すごく勉強ができた。耕市よりも。おそらく学年で一番の成績を収めていた。中学三年の終わりに親が離婚し、高校は商業高校に進んで、十八歳で就職したと聞いたことがある。離婚の原因は家業の倒産。」
脱獄犯が町内に紛れ込んだら面倒だということで、息子と二人暮らしの丸山家の主人が、みんなで見張りをしようと提案します。まぁ、決まったから仕方なしに行く人などが、道に面した笠原家の二階で夜通し、交代で見張りをします。10世帯の視点と、その家族を見つめる別の視線が頻繁に交差するので、最初は誰が誰だか分からず混乱しそうになりましたが、物語の進行と共に各家庭が抱える問題が浮き彫りになっていき、それぞれにに感情移入させてゆくという作者の人物の捌き方は見事でした。
そして、それまで後ろ向きでなんら希望のなかった住人たちに、脱走犯をめぐる騒動の中で小さな変化が生じてゆきます。ラストは、人々の連帯への作者の希望とでもいえる素敵な幕切れです。それまで、これ誰だったかなと、前に戻ったりしていたのが、読み終えた時には、登場する10軒の人々の顔と名前がピタリと合致するという不思議な小説でした。ちなみにこの小説はNHKでドラマ化されました。