縄文人の暦か?出島ストーンサークルから生まれた物語
先日、縄文ブームと女川の土偶の話を記した。
今回は出島にあるストーンサークルとその謎を追った人々の話である。
出島には、縄文時代の作られたとされる、石を一定の形に並べた遺構、「配石遺構」がある。この場所には宮城県最大規模の貝塚郡「山下貝塚」と「四子館貝塚」があり、地元ではこの配石遺構を天狗のしわざだと伝えられているという。
この女川の配石遺構だけでなく、各所で見つかっている縄文時代の配石遺構についても、どのような役割をもっていたのか、祭祀場、共同墓地など諸説あるようが、明らかになっていないよう。
1.古代女川人の暦
2012年秋、女川を訪れた社会学者で京都精華大学准教授の山田創平さんが、次のような仮説を提言した。
これを受けて対話工房の海子揮一さんが調査したところ、次のようなことが分かったそうです。
つまり、この出島の配石遺構の地に立って、太陽が石投山の真上で沈んだら夏至の日だと分かり、大六天山の真上で沈んだら冬至の日とわかるようになっており、カレンダーの役割を担っていたのではないかという可能性です。
そして、もし夏至と冬至を把握していたならば、この地にいた人々は、この日を特別な日として祝っていたのではないか。
古代の人々にとって太陽は神聖な存在であり、夏至は神聖な太陽の力が最高になる日、冬至は太陽の力が最低になる日。イギリスの世界遺産ストーンヘンジは夏至の太陽の動きと一致する配石になっており、現在でも夏至になると人々がストーンヘンジに集まって朝日をみるそう。
2.キャンプ
そうであるならば、縄文の人々と同じように、特別な場所で夏至と冬至を過ごそう、ということで、対話工房さんと女川ネイチャーガイド協会さんが企画して、夏至は出島で、冬至は石投山でキャンプをしようという取り組みを行ったそうです。
対話工房さんのWEBにはその様子が掲載されています。
2013年12月18日 うみやまさんぽ冬至キャンプ 「石投山から日の出を みてみよう」に挑戦
2014年5月24日 うみやまさんぽ3「夏至・出島縄文キャンプ」 〜海と太陽と歴史をきく・はなす・あるく〜
2014年7月14日 うみやまさんぽ3「夏至」出島キャンプレポート
2014年12月28日 うみやまさんぽ4冬至キャンプレポート
2015年1月26日 女川の自然と火と人 − うみやまさんぽ4 参加者レポート
このキャンプは「太古から受け継いでいる力や感性を揺り起こすような体験」だったそうです。
対話工房さんはこの取り組みについての20分のドキュメンタリー映画を制作されています。
この動画は活動記録であると同時に、「「なぜその土地に愛着やアイデンティティを持つのか」という普遍的なテーマに基づいた物語として制作」したという(出典)。
女川にまつわる新たな物語
この取り組みが始まる前、出島のストーンサークルは、手入れがされておらず、雑草が生い茂る状態だったが、この物語が生まれてから手入れがされるようになったそうです(出典)
2019年10月には、NPO法人アスヘノキボウが主催する女川未来会議で出島の観光開発に取り組む活動「女川未来会議出島プロジェクト」が立ち上げり、「出島ストーンサークル探検ツアー」を開始、2023年まで20回以上も実施するなどして、ストーンサークルの整備に取り組まれています。
なお、これらの取り組みは、1日数便の定期船で女川と出島を行き来して行われていましたが、2024年12月19日、出島大橋が開通、女川駅から車で約15分で出島のストーンサークルに行くことができるようになりました。
「出島ストーンサークル女川古代人暦」説を提言した山田創平さんは次のように話しています。
「女川にまつわる新たな物語」は確かに生まれ、現在進行中のようです。このアートがどのように展開していくのか、楽しみです。