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縄文人の暦か?出島ストーンサークルから生まれた物語

先日、縄文ブームと女川の土偶の話を記した。

今回は出島にあるストーンサークルとその謎を追った人々の話である。

出島には、縄文時代の作られたとされる、石を一定の形に並べた遺構、「配石遺構」がある。この場所には宮城県最大規模の貝塚郡「山下貝塚」と「四子館貝塚」があり、地元ではこの配石遺構を天狗のしわざだと伝えられているという。

この女川の配石遺構だけでなく、各所で見つかっている縄文時代の配石遺構についても、どのような役割をもっていたのか、祭祀場、共同墓地など諸説あるようが、明らかになっていないよう。

1.古代女川人の暦

2012年秋、女川を訪れた社会学者で京都精華大学准教授の山田創平さんが、次のような仮説を提言した。

「遺構は海洋民族の末裔、古代女川人の暦だった可能性もあるのではないか。太陽が地形と遺跡に関係する事例は各地にあります」

対話工房2013年12月18日活動レポート

これを受けて対話工房の海子揮一さんが調査したところ、次のようなことが分かったそうです。

女川の漁師さんは海上にいるとき、石投山(いしなげさん)と大六天山(だいろくてんさん)という特徴的な山を見て、その見え方から今自分が海上のどこにいるのかを確認していたといいます。その意味でこの二つの山は漁師さんにとって、女川の海の文化にとって生命線とも言える重要な山なのですが、海子さんのシミュレーションによると、出島の配石遺構に立ち夏至の日没を望むとき、太陽は石投山の真上に没し、冬至の日没を望むとき、太陽は大六天山の真上に没するというのです。

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つまり、この出島の配石遺構の地に立って、太陽が石投山の真上で沈んだら夏至の日だと分かり、大六天山の真上で沈んだら冬至の日とわかるようになっており、カレンダーの役割を担っていたのではないかという可能性です。

そして、もし夏至と冬至を把握していたならば、この地にいた人々は、この日を特別な日として祝っていたのではないか。

古代の人々にとって太陽は神聖な存在であり、夏至は神聖な太陽の力が最高になる日、冬至は太陽の力が最低になる日。イギリスの世界遺産ストーンヘンジは夏至の太陽の動きと一致する配石になっており、現在でも夏至になると人々がストーンヘンジに集まって朝日をみるそう。

2.キャンプ

そうであるならば、縄文の人々と同じように、特別な場所で夏至と冬至を過ごそう、ということで、対話工房さんと女川ネイチャーガイド協会さんが企画して、夏至は出島で、冬至は石投山でキャンプをしようという取り組みを行ったそうです。

対話工房さんのWEBにはその様子が掲載されています。

このキャンプは「太古から受け継いでいる力や感性を揺り起こすような体験」だったそうです。

出島遺跡を作った縄文の人々の真意は誰も確かめられませんか、人間側の活動を太陽の運行に合わせ、隣り合う人と火を囲み食を共にし、直に自然に向き合う時間は、太古から受け継いでいる力や感性を揺り起こすような体験でした。
今回が初トレッキングとなった参加者は「ひと回り生きることがたくましくなった」と語りました。

うみやまさんぽ4冬至キャンプレポート

対話工房さんはこの取り組みについての20分のドキュメンタリー映画を制作されています。

「古代の海の民にとって太陽と遺跡と山の配置に意味があったのではないか」

小さな島の縄文遺跡を訪れた地域研究者が描いた海洋民族の仮説。それは古くから漁師たちが航海で目印としている山に夏至と冬至の太陽の軌跡が重なる、というものだった。

仮説に夢を抱いた土地の自然を守り活動する人、島に生きる住民、遠くから女川を思う美術家などが集まり、夏の島や冬の山で日没や日の出の一瞬を共に待った。

地形に残されたはるか太古の記憶や震災で失われた記憶と、それぞれの「その場所」への想いを重ねながら、人間と自然との関わりの先に未来を切り拓く取組み「うみやまさんぽ」の3年間を描く。

この動画は活動記録であると同時に、「「なぜその土地に愛着やアイデンティティを持つのか」という普遍的なテーマに基づいた物語として制作」したという(出典)。

女川にまつわる新たな物語

この取り組みが始まる前、出島のストーンサークルは、手入れがされておらず、雑草が生い茂る状態だったが、この物語が生まれてから手入れがされるようになったそうです(出典

2019年10月には、NPO法人アスヘノキボウが主催する女川未来会議で出島の観光開発に取り組む活動「女川未来会議出島プロジェクト」が立ち上げり、「出島ストーンサークル探検ツアー」を開始、2023年まで20回以上も実施するなどして、ストーンサークルの整備に取り組まれています。

【出島ストーンサークル探検ツアーpart20】 23日はまさに秋晴れ! これで10月11,13,19日の橋梁架設に向けた環境整備はバッチリです👍 見学場所としてですけど😅 #出島架橋 #縄文時代 #ストーンサークル #縄文好きな人と繋がりたい

Posted by 女川未来会議 出島プロジェクト on Sunday, September 24, 2023

なお、これらの取り組みは、1日数便の定期船で女川と出島を行き来して行われていましたが、2024年12月19日、出島大橋が開通、女川駅から車で約15分で出島のストーンサークルに行くことができるようになりました。

「出島ストーンサークル女川古代人暦」説を提言した山田創平さんは次のように話しています。

 私の仮説はあくまでも仮説です。配石遺構を築いた縄文時代の人々が実際になにを想っていたのかは、知る由もありません。しかしこの仮説をひとつのきっかけとして、女川に思いを寄せる人々が集い、この場所への思いを語り合い、女川にまつわる新たな物語が生まれるとするならば、それは極めて創造的でアーティスティックな出来事だと思うのです。

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「女川にまつわる新たな物語」は確かに生まれ、現在進行中のようです。このアートがどのように展開していくのか、楽しみです。

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