『移民たち 四つの長い物語』ゼーバルト・コレクションから
はじめに
アントニオ・タブッキが大好きな僕。あるタブッキ好きな方から「きっと気に入りますよ」とお薦めされて昨年ドイツ人作家ゼーバルトの遺作『アウステルリッツ』を読んだ。大変、感銘を受けたと同時に、ゼーバルトさんの全作品を読みたくなり、今年2023年5月にゼーバルト・コレクションを全巻揃えた。「ひとりゼーバルト祭」と称して、彼の作品群を追っていくことにした。
ゼーバルトの散文作品
『目眩まし』(90年)
『移民たち 四つの長い物語』(92年) ☜本投稿
『土星の環』(95年)
『アウステルリッツ』(01年遺作)
ゼーバルトの講演録や文学論
『空襲と文学』(97年)
『鄙の宿』(98年)
『カンポ・サント』遺稿含め未完の散文作品など
第1回セレクトについて
第1回目は『移民たち 4つの長い物語』をセレクトした。
刊行順でいえば、『目眩まし』から始めるのが順当かもしれない。
しかしながら、周知のとおり、我が国の入管法改正案について、反対運動が叫ばれていた中で、僕は自然と『移民たち』を手にとっていた。
入管法改正案は5月に衆議院を通過し、6月6日に参院での採決を控えている。
ゼーバルトの本作品は過去のふたつの大戦をはさみ何らかの事情で移民とならざるを得なかった四人のユダヤ系の人物たちの人生が連作となっている。以前読んだ『アウステルリッツ』では、ホロコーストに焦点を当てて、時代とその空間を主役にし、人々を脇役として配置していくような立体感のある散文作品を描いていた。
本題
あらすじ
登場人物たち
語り手と四人の登場人物の人生が連作短編となっている。
一人目 語り手の隣人、元外科医ユダヤ人移民
ドクター・ヘンリー・セルウィン
二人目 語り手の小学校教師、元教師ユダヤ人クォーター
パウル・べライター
三人目 語り手の大叔父、ユダヤ人移民
アンブロース・アーデルヴァルト
四人目 語り手が足繁く通ったアトリエの画家ユダヤ人移民
マックス・アウラッハ
ドクター・ヘンリー・セルウィンについて
「想起は最後のものを破壊しないか」
語り手が1970年に出会った隣人、リトアニアからの移民ドクター・ヘンリー・セルウィン。
その彼の1914年あたりに出会ったベルンの山岳ガイドの話が興味深い。
山岳ガイドは行方不明になったという。その後、語り手が列車の中でレマン湖を通りすぎるあいだにある記事を見て愕然とする。
僕は、元外科医が患者を手放すことによって世界と離脱したように思えた。
そして、元外科医が語る山岳ガイドの魂が語り手とは何ら関係ないのに、どこかでつながっているような感覚を覚える。
1920年~1936年まで、ジュネーブのレマン湖ちかくにある
「パレ・ウィルソン」という建物が国連連盟の本部だったようだ。
いまは国際連合人権高等弁務官事務所として使われている。
国際連盟は、かつてヨーロッパの利害関係を優先し、第二次世界大戦の惨状を回避することができなかった。
ところで、スイスと医師というキーワードである作品を思い出す。
ミラン・クンデラ著作『存在の耐えられない軽さ』
こちらは第二次世界大戦後、プラハの春前後に、スイスへと移動するのだが、最終的には医師をやめている。本書の元外科医ドクター・ヘンリー・セルウィンと同様、「離脱」という感覚が共通しているかもしれない。
パウル・べライターについて
「どんな眼からもぬぐい去れない靄がある」
本書に登場する四人のユダヤ人の移民たちの中で、二番目に登場するパウル・ベライターは、その中でも異質に思えた。
彼は純粋なユダヤ人ではなく、クォーターであり、そのことに気付かないふりをして過ごしてきたように見えた。
自分は街の住人だと思っていたのに、街からの追放───パウルの測り知れない孤独が僕を惹きつけた。僕もクォーター、どこにいても時々感じる疎外感と居心地の悪さ。
同一と見なしていた空間から疎外感を覚える瞬間の孤独さ。
アンブロース・アーデルヴァルトについて
「わたしの穀物畑には涙ばかりがなっている」
語り手の大叔父アンブロース。彼はアメリカへ移住したユダヤ人移民。
語学に長けて上品かつさまざまな国を訪れた経験がある人物として描かれる。日本にも来たことがあるとし、金閣寺の写真が載せられていたり、手帳にぎっしりと書かれた字がどこか空疎で物悲しい。
マックス・アウラッハについて
「彼ら黄昏どきに来りて 生命あるものを捜し求む」
語り手が22歳以降、1966年あたりにイギリスへ移住したのち、1940年代から絵を描く画家、マックス・アウラッハのアトリエに足繁く通う。
肉体の苦痛は極限に達すると苦痛そのものを抹消するかもしれないが、心の苦痛は終わりがなく、極限に至ると、さらにその先へと突き進み、永劫回帰的スパイラルを繰り返しかねない。
語り手はアウラッハとの別れ際に、アウラッハの母親からの手紙と彼女の手記を譲り受ける。1939年~1941年分。約3年間。
ホロコースト下での三年。
マックスと語り手そしてゼーバルトがどことなく重なる。
ゼーバルトは、イギリスに移住してからドイツ的な長い名前ヴィンフリート・ゲオルク・マクシミリアン・ゼーバルトの響きよりも、「マクシミリアン」から「マックス」と通称を用いたようだ。
おわりに
移動と記憶のための記録。
作中の写真が虚構と現実の距離を曖昧にする。
それぞれのまるごとの人生が、あてどもなく何かの巨大な重力にひっぱられながらその周辺を回るしかない孤独な惑星と重なった。
日本の移民難民受け入れにまつわる入管法の問題や移民を抱えたドイツの現在など、色々と読んでいる中、英国では「不法移民法案」が2023年3月に問題になってもいることを知った。
迫害や何らかの事情から祖国を離脱あるいは追放を受けて、やってきた移民たちとの共生が進み、彼らが二世、三世と住み続けてくれたら、少子化にも僅かながら歯止めがかかるかもしれないし、もっと活気のある社会になるのではないだろうか。
多文化との共生の道をポジティブに模索していけたら素敵だ。
家族問題や貧困などさまざまな格差や問題が噴出したコロナ禍以降、国や土地といった慣れ親しんだ空間からの追放や離脱は移民難民の方々だけではなく、身近な社会でも起こっていることでもある。
そうしたひとたちが「希望を持って」ふたたび生きる優しい土壌、空間を創れたら、と願う。