希望を与える場になるには②
ということで、希望を与えることをしばらく個人的なテーマにしているのですが、ではどうすればお客さんに希望を感じてもらえるのでしょうか。
ここで当店にて輪読会を開催しているハンナ・アレント『人間の条件』を参照してみましょう。アレントは「公的」に対する「私的」を意味する「private」という言葉はもともと「privative」(欠如している)という意味を含んでいて、それは「奪われている」(deprived)ということを意味するそうです。私生活やプライベートというものは「他人によって見られ聞かれることから生じるリアリティを奪われている」、「他者との「客観的」関係を奪われていること」だそうで、「私生活に欠けているのは他人である」と述べています。他者と接触しない私生活やプライベートにはリアリティがない。これがすごく腑に落ちるのです。見事に会社員時代の私であります。
そこで当店ではまず、本以外にも他者に出会ってもらいます。私生活にリアリティを取り戻すために他者として介入し合う。当店のカフェカウンターについて取材ではよく、「本を介してつながる」みたいなことを書かれることが多いのですが、ポイントはそこではなくて、まずは本以外でも何でも話せる「茶の間」が必要です。そういう好きなことを話して心を開ける場があってこそ安心感が生まれたり、何かをやる気になったりする。普通に暮らしていたら基本的にみんなバラバラであって一人で問題を解決しようとしがちですが、だらっとつながることによってみんなそれぞれがそれぞれの風穴を開けることができるのではないか(これは『社会的処方』という本から学びました)。だから無理を装ってふさわしい振る舞いを求められる「店」よりも、しょーもない話でわーわーできる「茶の間」を作りたい。私は仲の良いお客さんの話を肘をつきながら聞いたりしています。これは当店なりの敬意の表し方であってそうすることでお客さんの警戒心も解かれていきます(そしてよく「居心地良すぎ」って褒めてもらいます)。私にとって今リアル店舗をやる意味はそんな個人(=プライベート)で閉じるような「店」をつくることではなく、店のふりをした「茶の間」を作ることにあります。そんな空間でないと本当の居心地は提供できないし、血の通った話もできません(誤解を恐れずに言うと私も人の子ですので、無理なタイプは決して引き留めたりはしませんが)。その前提の上で、他者としての本に出会っていただく。奪われがちなリアリティを取り戻すような本。自分の「外側」の本。要は学びです。もちろん本は他にも「ほっとする」とか「共感する」とか、いろんな気持ちにさせてくれたりするのですが、一番私が本に期待することはこれです。
学びという言葉が出てきたので、ここでもう一冊大好きな一冊を紹介したいのですが、それは千葉雅也さんの『勉強の哲学 来たるべきバカのために』です。勉強という営みについて哲学的に考察された本なのですが超ざっくりまとめると、ここでは勉強とは自己破壊であって、ノリを変化させて「脱コード化」していくことであると書かれています。勉強すればするほど自分が生まれ変わり(自己破壊)、自分を取り巻く環境(ノリ)にノれなくなる。ゲラゲラ笑っていたようなことも、低レベルなものに見えてきてノれなくなってくる効果が残念ながら勉強にはあります。つまりノるために周囲と共有していたコードにズレが出てきます(「脱コード化」)。ですので氏は、周囲にノれていて、それに幸せを感じているのであれば勉強はしない方が良いと断言しています。しかし裏を返せば、もしも環境に自分がノれていない、幸せを感じていないのであれば「脱コード化」をもたらす勉強という行為の価値は大いにあるのではないでしょうか。
当店が最も大事にしたい「学び」もまさにこれです。ただ知ることじゃなくて、自己破壊の結果、「脱コード化」できる本。読むことで自己と世界の関係がちょっと変化する本です。中でも私は人文書に影響を受けてきたので結果的にその手の本を並べることが多くなってしまうのですが文学も間違いなくそうです。他者が良い意味で介入し合い、学びを通し「脱コード化」する。その先に希望はあるのではないか。ここをみんなでシェアしたい。ということで「脱コード化」できる店を目指す(地域に店はたくさんあれど、「脱コード化」できる店はそうそうないでしょう)。こういう場こそが初めてお客さんに希望を与えることができるという考えに行きつきました。このコードを共有できる人はいつでもウェルカムです。一緒に自己破壊を楽しみましょう。(次回は輪読会について!)
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