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【ちょっと時間があいたので】#3 マルクス『資本論』

 先月、昨年7月から続いていた『資本論』輪読会が原本第1巻終了に伴い、一旦休憩に入りました。『資本論』の原本は全3巻のうち第1巻がマルクスによって書かれたもので、第2巻と第3巻はマルクスの死後、彼の残したノートをもとに盟友エンゲルスが書いたもの。第1巻が最も肝にあたる部分だそうです。

 この『資本論』とは一体全体どういう本なのか。「マルクス」と聞くとすぐに「革命」みたいな言葉が想起されますが実際はそうではありません(最後の方にちょろっと出てきましたが)。私が読んだ感じだと『資本論』は①資本の本質・性質を解き明かし、②資本主義経済における資本(お金)の増殖過程を克明に描き出し、②その中で労働者(サラリーマン)が酷使され疎外されていく実態を明らかにした本、そう答えることができそうです。ちょっと長いけど、解説してみます。

 商品は「価値」の結晶であって、この「価値」は商品の生産過程での「労働力」の量を表します。つまり商品の「価値」とはどれだけの人手がかかったか、です。ところが商品が市場に出されるとそこには「交換価値」(価格)が付与されます。この「交換価値」(価格)は「価値」(労働力の量)と等しいわけではない。また「使用価値」(有用性、機能)とも等しくない場合が多々ある。車を例にすると自分が移動したり、荷物を運んだりするという「使用価値」は高級車も一般車もさして変わりませんが、「交換価値」(価格)はかなり違います(このあたりについてもっと「使用価値」ベースの社会にしようよと言っているのが斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』です)。こんな話から『資本論』は始まります。

 ではその「価値」を生むための「生産」ですが、今の世の中ではそれは一般的に会社の中で行われます(私もその昔会社員でした)。これは他に何も商品として売るものがない「労働者」が「労働力」という商品を資本家に提供しているという構図です。そこでの労働者は労働力商品として、資本家のものとして労働を行います。そのための「生産手段」(場所、設備、商品を構成する材料など)も資本家が提供します。だから勤務時間中に自分で作った商品を勝手に食べたり使ったりしてはいけません。労働者も「生産手段」も資本家のものだからです。ですがその報酬として労働者には資本家から賃金が支払われます。裏を返せば賃金以外の形式をとった労働者への見返りは基本的にありません(今は福利厚生などがあったりしますが)。機械が本格的に導入される前の労働者は、労働する中で生産に必要な固有の技術が身についたのですが、技術革新が進んだ結果生産は機械がメインとなり、あまり固有の技術が身につかなくなりました。『資本論』ではこれを「人間が機械の付属物になった」と表現していたりします。

 その「生産」を行う労働時間も資本家が決定します。この労働時間は2つから構成されていて、労働者自身の賃金分の「価値」を生むための労働にあたる「必要労働時間」と、資本家に対しての「価値」(これを「剰余価値」と言います)を生む労働にあたる「剰余労働時間」がそれです。俺(労働者)が生きていくためには10万円で良い、だからその分働いたら帰ります、なんてことはできません。月10万円で雇われているのならば、その労働者は月10万円以上の「価値」をトータル作り出しているのです(アルバイトの時給も同じです)。この「価値」の差が資本家に入る「剰余価値」です。労働者は自身の賃金分だけ働くことはできず、資本家に入ることになる「剰余価値」を生むために働かないといけない。

 と言うのも裏を返せば、この「剰余価値」を産んでくれるからこそ、資本家は労働者を雇っています。「剰余価値」を産まない労働者は雇う意味がない。技術革新が起ころうが労働者の労働時間が減らない、むしろ増えるのはそういうことです(20年くらい前まで「コンピュータに仕事を奪われる」とかよく言われたそうです。今でも似たような話は嫌と言うほど耳にします)。むしろ「生産性向上」や「効率化」というのは資本家に入る「剰余価値」の割合を高めるということなので、長期的に見れば労働者たちは自身の首を絞めることになります。来週職場にいる「効率化」モンスターに教えてあげてください。もしくはこれが実現できない場合、労働時間を単純に長くすることで資本家は「剰余価値」をより多く生もうとします。現代風に言えば「残業」でしょうか。

 このようにして資本家は資本を元に労働者を雇い、商品の「価値」を構成する「剰余価値」を吸い上げ、生産された商品を売り、それを新たに資本に転化させていきます。これは金(資本金)→商品→金(資本金+α)というフローです。この「+α」が「剰余価値」からもたらされる「利潤」であって、資本家はこのために「生産手段」や「労働力」を確保し商品を作って誰かに売る。その後、金(資本金+α)はまた新たな起点となり、金(資本金+α)→商品→金(資本金+α+α)のフローを作り出し、結果また金(資本金+α+α)が起点となり...これを永遠に繰り返すのが今我々の生きる資本主義経済です。まさにウィルスのように際限なく資本(お金)が増殖していく。我々はその資本の増殖過程に取り込まれ、そのサイクルにおいて「労働力」が酷使され疎外されていき、自然環境も破壊される...ちなみにこのフローのポイントは利潤を生むための「商品」だったら何でも良いところ。当店はこの「商品」のところに本を当て嵌めているのですが、今の時代これほどこのゲームふさわしくない商品もなかなかない(苦笑

 内容の一部をご紹介しましたがかなり参ってしまいます。何とかならんものかと思いつつも、先進国にいる我々が今の資本主義的なライフスタイルを手放すことはかなり厳しいよな。。そんなことを毎回参加しながら考えていました。何を幸せと定義するかにもよるのですが、『資本論』で描かれる資本主義的生産様式ではその仕組み上、労働者は幸せになれそうにない。少なくとも「生産」(労働)の面では。ということで今までは消費がその役割を担ってきたわけですが、現在の日本は給与も上がらん、先が見えん、環境問題も深刻、となればなかなか素直に実行しづらい。また消費の空疎さみたいなものを描く芸術作品も頭をよぎります(『ファイト・クラブ』、岡崎京子..)。
 しかしです。結論は出なくとも、この今の世の中を覆う経済の実態について知ることは大事だと感じます。苦しい状況に置かれても、こういう構造をちょっとでも知っているとちょっとだけ考え方や立ち振る舞いを変えれるかもしれない。加えて僕はやっぱり大学生の時に読んでおくべきだったとひどく後悔しました。これから足を踏み入れる社会って、こんなロジックで動いているんだ..と就活する前に少しでも知っていれば、ずいぶん救われたかもしれません。
 あと『資本論』に限らず、古典を読むことって本当に大事だと感じました。でも1人ではやっぱり挫折してしまう。そこでみんなの力が必要でした。お互いが支え合って、知恵を出し合って読み解くことは実に豊かな時間です。難しい分、より楽しいですし(そしてたまに行く終わった後の飲み会も楽しい)!そんな『資本論』輪読会は2024年12月頃再開予定です。今から待ちきれません。仲間はいつでも募集していますので!
 さて。明日からはハンナ・アレント『人間の条件』輪読会がスタートします。アレントは全体主義について研究した哲学者ですが、全体主義を生まないためには各人がどのように生きるべきなのか、ここでは仕事や労働を中心とした話が展開されています。一応、『資本論』に若干でも関連する一冊として課題本に設定しました。見るだけ聞くだけの方も、オンライン参加も可能です。東京、京都、佐世保など他の街からも予約が入っています。いろんな参加の形態があって良いと思っています。車を運転しながら参加、なんていうのもすごく良いと思います。難しいですがきっとたくさん学びはあります。そんなわけでよろしくお願いします!


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