2500部刷る町のタブロイド紙に、私のコラムが掲載されることになった話。
2500部刷る町のタブロイド紙に、ブタコヤの名でコラムが掲載されることになった。
初回提出締め切りまであと3週間を切っている。
2500部という数字が、フリーペーパー業界において多いものなのか少ないものなのかはぜんぜんわからないけれど、私のnoteの「ビュー」でさえ、2500回という数字を越えているものなんて、ほとんどない。
2500部ってすげえやと思い、おそるおそるGoogle先生に「2500人とは」と尋ねてみたところ、
「桶狭間の戦いの戦死者数は2500人」
というデータが、先頭に繰り出された。
「奇襲なんてずるいよね、どんまい☆」
から始まる鎮魂歌コラムが頭をよぎった。
うーん、もっとこう…! あるだろう!
◇◇◇
文章と私について振り返る。
大学生の頃、mixiにどっぷり浸かっていた。
青臭い日記を書いていた。
思い出しただけで体温が少し上がる。
原付バイクで日本一周の旅をしながら、旅日記をmixiに綴っていたのだ。
国道上を承認欲求をエネルギーに動く点Pだった。
それでも、一人、私の日記の熱狂的なファンがいてくれたのを覚えている。
サークルの先輩のお母さんが、日記の更新を楽しみにしていてくれたのだ。会ったこともない大人が、大学生の拙い文章を楽しみにしてくれていたことが、とても嬉しかった。
先輩のお母さんは北海道にお住まいで、旅の途中に泊めてもらった。たくさんのジンギスカン、たくさんのサッポロクラシックと共に大歓迎で迎えられた。
あの晩の私は、間違いなく超有名紀行作家だった。
「おもしろい、おもしろいわぁ」
「どんどんあなたが北海道に近づいてくるもんだから、楽しみにしていたの」
あんなに豪華でふかふかの布団で寝たのは、後にも先にもこの日が最後。
大量のりんごを土産にもらい、北海道にいるうちは毎日りんごばかり食べる生活になった。
旅は続いた。日記も続いた。
宿泊先のネットカフェで夜な夜な日記を書くときには、先輩のお母さんのことを考えて書くようになった。
誰かに向けて書く日記というのは、手紙を書いているようで、楽しかった。
あしあと、マイミク、コミュニティ。
記憶から消したいことばかりのmixiだが、この思い出だけは特別なものになっている。
◇◇◇
教員採用試験の後、小学校に勤務して、成績をつけることになった。
通知表には「所見」の欄がある。
子どもたちの日頃の生活を振り返り、2~3つ程度の文で、担任からのメッセージを文章にしてお届けするのだ。
15年前の私は、とても素敵な所見を書いていた。
教員しか知り得ない、何気ない学校生活のワンシーンを切り取り、子どもたちのいいところや、さらなる成長のために目を向けるべき課題が保護者によく伝わるように、瑞々しい文章を綴っていたはずだ。
「落ち着きが無え」的な所見も、まだギリギリ書くことができた。
15年経った今の私も、とても素敵な所見を書いている。
ただ、「素敵」の意味が私の中で、時代とともに変わってしまった。誤解されないような、クレームがなるべく来ないような、なるべく波風が立たない当たり障りのない「素敵」な文章を書くことができるようになってしまった。
かつての「落ち着きが無え」なんて所見は、絶滅してしまっている。
私が書いた所見が、模範として、勤務校の全職員に配られた経験がある。
それはまるで「冷蔵庫の取扱説明書」のような、温度を感じない、無味無臭な所見だった。
そんなものが当時の管理職に絶賛されたのだ。
絶望してしまった。
書いてあるのに何も書いていないような所見が、とにかくいちゃもんをつけられない所見が、今の世の中には求められている気がしている。
所見なんぞ、なくしてしまえと思った。
今でも思っている。
そもそも所見は誰のために書くものなのだろう。
わけのわからないいちゃもんをつけてくる一部の親のことばかり意識して、「これってどういうことなんですか?と言われたら困る」という理由ばかりが先行して、伝えたいことが何も書けなくなってしまっている。
文字は書いてあるが、何も書かれていないのだ。
誰に向けて書いているのか分からない「所見を書く」という業務は、年々、私にとっては、苦痛なものになってしまっている。
あくまで、私個人の見解である。
もちろん、組織が発行する文章だから、仕方がないことではある。
でも、もっとこう…! あるだろう!
と、時代に対して思っている。
思っているだけなのである。
◇◇◇
そうか。ちょくちょく文章を書いてきた人生ではあったわけだ。
そんなこんなでそんな私が、2500部ほど町に配られるフリーペーパーに、ブタコヤの名でコラムを書くことになったのだ。
何をどう書けばいいのか。
何をどう書けばいいのか。
何をどう書けばいいのか。
と、考えているうち、現実逃避をしていたら、このnoteが出来上がっていた。
でも気づいたぞ、きっと、2500部のタブロイド紙を刷るけれど、2500人を意識するのではなく、どこかのだれか一人を、どこかにいる熱狂的ファンを一人想定して書けばいいのではないかしら。
かつてお世話になったお母さんを思って書こうか。
クラスの一番後ろに座るあの子を思って書こうか。
町で働く疲れたおじさんのを思って書こうか。
町で生まれ育った老舗の店主を思って書こうか。
さあどうしようか。
はよ書け。
以上、写真が一つもない2000文字の現実逃避。
ああもう朝だ。
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