【保育記】自分だけが聞こえる音。難聴と過ごす夏&怒涛の行事祭り
昨年の7月、私は1ヶ月間、水の中にいるような「ゴーー」っていう音と共存していた。
共存していたとは言っても別に嬉しくはないし、むしろ耳ざわり。
だから、耳を押さえてみるけど、それは治まることもなくむしろ増すばかり。
何でかって、それは霊的なものでもなく、私の体内で異常が起きたことによる音だから。
その異常の正体は
急性低音障害型感音性難聴(蝸牛型メニエール病)というもの。
(この数カ月前にも一回なってたけど、この時ほど期間も長くなかったし、酷くはなかった。)
迷惑がかからない日に病院へ
おかしいな。またなったかな。と思いつつ、病院へ行けずに一週間近く。
とりあえず、数カ月まえになった時の薬を服用するも、症状は少しずつ悪くなる。
「おかしいと思ったら病院いきなね。」って言ってくれてはいるものの、この時、他にも体調を崩している先生が続出していて、明らかに人が足りない。
平日に病院に行けるわけがなかった。
「昨日はありがとう。私昨日病院行ってきたから、今日は頑張れる。だから今日行ってきな!」みたいな順番待ち状態。交代制みたいな?
で、とりあえず土曜の仕事の後に受診したけど、もうその時には手遅れ。
お医者さんから
「今回も前回と一緒”急性低音障害型感音難聴”です。こんなすぐ再発しちゃったか。しかも薬きいてないかぁ。
聴力検査も前回よりも悪くなっているね。少し強い薬にしよう。」とのこと。
急性低音障害型感音性難聴・私の場合
保育の仕事をするにあたって、これは本当に致命的。
普段でさえ子どもの元気な声が響き渡ってるのに、それが余計に大きく聞こえて、一日中騒音にさらされてる感覚。
そして、子どもだけじゃなくて、他の先生や保護者の方ともお話するので、話すたびに聞き取れないかもという不安感、聞き返した時の申し訳なさが付きまとって。
ス・ト・レ・ス
しかも、現場は怒涛の行事祭り!!
体力限界のまま動く日々
実は調子が悪いのは耳だけじゃなかった。
いつも通りの夏バテだったかもしれないが、体に力が入らない日々が続いた。
で、朝の会までの時間「体調が優れないので、(みんながいるところとは)別室にいます」って連絡して、子どもから離れて少し休ませてもらったことも。
↑これに対して温かい声掛けしてくれたり、様子見に来てくれる先生ばかりなのは救い。
でも、体がきついからって行事・業務は待ってくれない。
普通の保育に加え、夏休み前までにやることもたくさん。
もう本当に、ただでさえきついのに体調不良もあって、毎日体力の限界だった。
そして、頑張りたいのに調子が悪くて頑張れない自分が悔しかったのか、不安定だったのか、理由は定かではないが、ついに急に号泣し始めた。
そんな私に対して先生たちは
「もう今日は休みな!無理だから!きっと限界なんだよ。今日やらなくてもなんとかなるから。大丈夫だよ!」
キツイとは思っても、嫌だ・行きたくないとは思わなかったのはこの人間関係のおかげ。
これが頑張れた理由なのかもしれない。
待ってました夏休み!やっと回復。
怒涛の1学期7月を終え、迎えた夏休み。
結局、私の急性低音障害型感音難聴は夏休みに入って数日後に治癒。
治癒までの間、結局3週連続で病院に行かせてもらったんだけど、最終的にはステロイドを飲む羽目になってしまった。
原因はストレスって言われているけど、正直、私は仕事を嫌だとは思ってなかった。
ただ、長時間労働でボロボロだったり、納得がいかなくて同僚たちと愚痴をいうことはあったけど。
こんな状態になるまで。
いくら子どもが喜んでくれるから(というか保護者が。)とはいえ、何人もの職員がボロボロになるまで、行事を詰め込む必要があるのか。
こんな状態で、いい保育、いい行事ができるのか。
ただ、やったという形を残すだけの、保護者に見せるためだけの行事になっていないか。
時代も状況も異なるのに、過去と同じことをやろうとする。
結果、職員が無理せざる状況が続いてしまう。
そんな保育現場がなくなって、みんなが心身共に健康で楽しむことができる保育現場が増えることを祈る。