井手上漠さんのフォトエッセイを買った

本屋で平積みされているのがたまたま目に止まって、買った。

井出上漠さん、2003年生まれ、この前高校を卒業したばかりの18歳。
島根県の海士町出身で、15歳でJUNONスーパーボーイコンテストのDDセルフプロデュース賞を受賞。
現在はモデル業を中心に活躍されている。
・・・らしい。

というのも、私は漠さんのことは今日まで知らなかった。なぜこの本が目に止まったのかは、よくわからない。
少し本の中身を開いて、今時の可愛らしいアイドルの写真集に申し訳程度のテキストがついている本だと思って、なんか間違えた、と思った。
写真に映るその人は、紛れもなく可愛い女の子だったから。

「はじめに」の文章にはこう書いてあった。

「私は、身体も戸籍も、性別は男性です。でも、心は男性でもあり、女性でもある。どちらでもあるし、どちらでもない。どちらかだけに、なりないわけでもない。」

ああ、これだ。
すぐにレジに向かった。

私は紛れもなく女性だし、恋愛対象は男性。
TVに出てくるイケメン俳優に夢中になるし、女子トイレに入るのも、履歴書で女性に丸をつけるのも全く抵抗はない。
しかし私の関心事の根底には、常にジェンダーが絡んでいるような気が、する。

今の時代LGBTという言葉も一般的になってきたし、社会的にだいぶ多様性を認める土台は出来てきた。
ただ、ここで分類されるジェンダー論は【恋愛対象】という軸に基づく意味合いが強い気がして、違和感があるのだ。
恋愛以外にも、ファッション、趣味、憧れの人、生き方、人がなにかを選択する時に、少なからず性別の影響を受けるジャンルは沢山ある。性別によって期待される“正解”みたいなものも、間違いなく、ある。
そんな“正解”に当てはまらなくて、複雑な想いを抱えている人も少なくないのではないだろうか。

私はいつからか、可愛いものよりカッコいいものに憧れていた。
もちろんシルバニアファミリーとか、可愛いものも全く好きじゃなかったわけじゃない。女の子の友達もいたし、スカートもそれなりに履いた。
でもどこかカッコよくありたいと、常に思っていた。
ファッションはスニーカーが好き。
最近でこそレディースでもスニーカーの種類は増えたけど、学生時代は女子が履くスニーカーはconverseくらいで、私が可愛いと思うスニーカーは全部メンズだった。
服装もメンズライクなファッションに憧れる。
ビックシルエットのシャツとか、ダボっとしたズボンとか。
でもやっぱり体型が違うからか、身長が足りないからか、憧れの服を着てみてもイメージ通りにはならないのが悔しい。
髪型も最近の男の子もしている前髪センター分けのショートカットにしたくて、前髪を伸ばしているが、美容院の最後にはどうしてもマダムみたいな巻き方をされてしまう。
「ちょっと違うんだけどなぁ、、、」と思いつつ、きっと美容師さん的にはそっちの方が女性的で魅力的だと思うからそうしてくれるんだろうと思って、黙っている。
まあ、間違いなくそっちの方が、モテる。

物心がついてからは、自分が将来どんな仕事をするのかにずっと興味があった。
学校の勉強はどちらかと言えば化学とか理系分野が好きだったけど、理系に進んでもやりたい仕事がなさそうだと思って、文系に進んだ。
社会学部に進んで、労働やキャリアに関する授業はなるべく受講した。
就活は今思えば悩みすぎなくらいどの業種を受けるのか悩んでいたし、就職してからもこの先どうしていきたいのか、常に考えていた。
違和感を覚えたのは就活中に先輩から誘われて参加したパーティーで、金融業界に勤める入社2年目くらいの男性が発言した「俺が女の子だったら、事務職で数年働いて、結婚して辞めるけどなー」という言葉。
今になれば、きっと彼も仕事が徐々に忙しくなっていて辛いなぁと思うことがあったんだろう。
でもその当時は、何故女性だとその選択肢が賢い“正解”とされていて、男性はそれが許されないんだろうと、納得のいく答えが見つからなかった。

最近仕事では徐々に自分のやりたいことに近づけているけれど、同時に飽き性な自分の性格からすると、「あとこれとこれを達成したらきっともう少し小さな世界でビジネスをやってみたくなるんだろうなぁ」なんて平気で10年以上先のビジョンを想像出来てしまっている。
こうやって、仕事のイメージは難なく出てくるのに、プライベート、こと結婚についてはさっぱりだ。

年齢的に結婚式に招かれることも増えてきたし、姪っ子も産まれて「家族を作るということ」が身近になってきた。
とても素敵なことだと思うし、不思議と僻みみたいなものはあまりない。
でも、自分がそうなっているイメージが、全く湧かない。
もちろん恋愛はしたい。
モテたいし、誰かに愛されたい、どうしようもなく好きになれる人が欲しいとは常に思っている。
でも、やっぱり女性は追われた方がいいとか、男は追いかけると逃げていくとか、そういうテクニックを実践しようと思うと、思うままに恋愛も出来ないのかと、少し虚しくなる。
女性には年齢制限がある、と言われている。
子供を産むリスクにも、男性にモテる条件にも、年齢が絡んでくる。
今は結婚も出産もしたくないが、本当に子供が欲しいと思った時に、あの時行動していればと後悔することはないとは言い切れない。
でも、そんな保証できない未来のために、今無理することも出来ない。
こんなこと、男性は考えないんだろうなと思うとどうしようもなく羨ましくなる。
だから私は、男に生まれたかった。

こんなことを考えていたから、漠さんの「どちらでもあるし、どちらでもない。どちらかだけに、なりないわけでもない。」という文章に心惹かれたのだ。
ジェンダーとは恋愛だけの考え方じゃない。
何%男性寄りだったら男性とか、明確な基準があるわけじゃない。
私みたいに、恋愛以外のジャンルで違和感を覚えている人もきっと沢山いるし、そんな人達を分類しようと思ったらLGBTなんて4種じゃ全く足りない。
ちょっと服装がボーイッシュ寄りなんてよくあることだし、病気だとか分類に当てはめる類の話でもないのかもしれない。
でも、それで生きづらいなぁと思っている人が沢山いることも、また事実なのだ。
そもそも男とか女とか正解とかがあるからややこしくなるんであって、人はみんなただの“個体”でいいんじゃないか。
そこまで考えられる世の中になるのは、一体いつになるのだろう。

かく言う私も、ただの女性アイドルだったらこの本は元の棚に戻していた。
漠さんの性別を知って、感じ方が変わってしまったのだから、物事から主観や常識を取り除くことは非常に難しい。



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