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障害への気づきを遅らせる「見えない松葉杖」

職場の仕事ぶりを見た上司から「発達障害では?」と検査を勧められて来院するケースが増えている。そして、検査してみると、実際は知的障害ということがしばしばある。

「発達障害」という言葉が非常にポピュラーになったせいで、自分の期待通りに動かない相手に対してすぐに「発達障害では?」と考える人が多いように感じる。これは「発達障害」という言葉がメジャーになったことの功罪の罪のほうだろう。

それはともかくとして、検査で知的障害と判明した人であっても、両親は「普通」と思っていることがよくある。こういうとき、その両親も知的障害(あるいは障害まではいかなくとも境界知能)かもしれないと感じることもあり、そんな両親にとってみたら「自分と同じくらい、だから普通」ということになるのだろう。

こういうケースとは別に、両親が無意識に「見えない松葉杖」になっているケースがある。

「見えない松葉杖」の典型パターンは、診察室でのこんな会話だ。

医師「仕事は何をしてるんですか?」
本人「営業です」
父「何の営業とかあるでしょ」
本人「あっ、車です」

医師「土日は何をしていますか?」
本人「ぼーっとしてます」
母「買い物行ったり、洗濯手伝ったりするでしょ」
本人「あっ、うん。買い物とか洗濯とか」

医師「眠れていますか?」
本人「まぁ、だいたいは」
父「たまに眠れないって言ってたじゃないか」
本人「うん、時どきは眠れないけど」

学校を卒業するまでは、両親によるこうした「見えない松葉杖」に支えられ、「ちょっと反応が遅い子」くらいの評価で切り抜けられたのが、就職して松葉杖のない環境に置かれることで困難が見える化する。

職場の上司から「アナログ時計を読めない」と指摘されて受診した人がいたが、両親はその人が時計を読めないことを知らなかったということもある。「朝だよ、起きなさい」「学校に行く時間だよ」「ほらもう寝なさい」という日常の何気ない声かけが「見えない松葉杖」になって、生活がスムーズすぎるほどにまわり続けてしまったのかもしれない。

最近は大学が増えすぎたせいか、大卒後に仕事がうまくできずに受診し、知的障害が判明ということもある。

こういうケースでは、診断結果を伝えるのに普段以上に配慮を要する。

自分たちがサポートしているなんて思いもせず、「ちょっと反応の遅いマイペースな子」と考えている両親にとって、あるいは「大学まで卒業したのに」と思っている両親にとって、知的障害というのはまさかの診断だ。両親そろって受け容れられないこともあるし、両親の片方が「そうだったのか」と納得しても、もう片方が「そんなわけがない、だから病院なんて連れて来たくなかったのだ」と憤ることもある。

当院では、検査を担当した心理士と協力しながら、なるべくスムーズに受け容れてもらえるような伝えかたを心がけてはいるが、それでもすべてうまくいくわけではない。

私自身も育児する身として、「知らないうちに『見えない松葉杖』になっていないか」は時々自問している。


※カルテや書類では「精神遅滞」と記載することが多いが、ここでは一般に分かりやすい「知的障害」とした。

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