アルゼンチンの風はどこから来たか? ~サンデーサイレンスの母を生産した男 ジョージ・A・ポープ・ジュニアとは・7
もしかしたらマウンテンフラワーを書く事が本稿の核になるかもしれないという予感がしている。
マウンテンフラワー Mountain Flower(サンデーサイレンスの祖母)は米国で7戦0勝の一見どこにでもいる馬だ。しかしジョージ・A・ポープ・ジュニアが生産した馬の中でも際立って個性的な血統をしている。
なぜモンパルナスを配合したのか?
モンパルナス×エーデルワイスの配合の意図は?
モンパルナスの母ミニョンは弱点か?
このような部分にポイントを置いて、回を分けて書き進めたい。
なぜモンパルナスを配合したのか?
なぜエピファネイアを配合したのか?…一般的に、この手の質問は答えやすい。「エフフォーリアが年度代表馬になったから」「デアリングタクトが牝馬三冠を獲ったから」などである。
では「なぜ1963年春にモンパルナスを配合したのか?」となると、これは難問だ。根拠となる証言はおろか、手がかりとなる事象がほとんど無い。
モンパルナスはアルゼンチン産で、アルゼンチン、ブラジル、北米でレース経験を重ねた馬だ。
木下昴也氏のnoteによるとこのように記述されている。
父ガルフストリームはアルゼンチンの種牡馬リーディングを3度獲得する当地の人気血統で、母の父フォックスカブもアルゼンチンリーディング種牡馬だ。
モンパルナスは競走実績にワンパンチ足りないものの、当時の「典型的なアルゼンチン血統」の持ち主だったと考えられる。
しかしこれらをもって「なぜモンパルナスを配合したのか?」の疑問に対する回答とするには決め手に欠く。
そこで以下2つの視点から可能性を探っていきたい。
仮説1:ハイペリオン系だから?
これは一理ある。
実際に当時のアメリカ競馬でハイペリオン系は勢いと実績があった。
ケンタッキーダービー馬となったハイペリオン系は1949年のポンダーを契機にスワップス、ニードルズが続き、おそらくこの頃最もファッショナブルなハイペリオン系は、英国からやってきた(ある意味で外国産馬)トミーリー Tomy Leeだと思う。
1959年のケンタッキーダービーに勝った同馬の配合は以下のとおり。強烈にハイペリオンだ。
「ハイペリオン系の種牡馬なら、どこの国から持ってきても米三冠狙えるのでは?…」
これをヒントにジョージ・A・ポープ・ジュニアがモンパルナスを探し当てたという想像は、時系列的に根拠があるという事になる。
しかし「なぜアルゼンチン?」という部分は議論の余地が残る。
仮説2:アルゼンチン血統がトレンドだったから?
これは一理ある…っぽい切り口だ。
現代の日本競馬では、「ディープインパクト系種牡馬×アルゼンチン血統の牝馬」というトレンドが確かにある。
現代のアメリカでも、アルゼンチン出身の種牡馬キャンディライド Candy Rideが2017年全米リーディングサイアー第2位となった事もある。
だが(一般的な海外競馬の知識として押さえておきたいのだが)北米でアルゼンチン血統のブームが起きたのは、
フォルリ Forli(亜→北米移籍:1967年)
ロードアットウォー Lord At War(亜→北米移籍:1984年)
の登場が契機だ。
そう。時系列を見れば明らかだが、1963年の北米においてアルゼンチン血統ブームはまだ到来していない。
また(後述するが)モンパルナスは1963年が種牡馬として初シーズンなのだ。(1962年まで現役競走馬だった)
そしてモンパルナス産駒で初の活躍馬は(アルゼンチン産の)アルセナル Arsenalだが、同馬が活躍するのは1968年だ。
(つまり1963年において、モンパルナスの産駒実績で何か判断するのは絶対に不可能)
つまり、よほどの物好きでもなければ、この時代「自分の牧場にアルゼンチン血統を入れる」なんて普通は考えもしない、という事になる。
おそらくケンタッキーを中心とした競馬の見方だとここで思索は止まる。
だが幸いにして我々は1960年代のカリフォルニア州に視点が向いているので、次のような歴史を発見できた。1頭のプリークネスステークス勝ち馬の存在だ。
キャンディスポッツ
デサイデッドリーの翌年の世代。1963年の米三冠プリークネスステークスを制したのは、またもカリフォルニア州の生産馬だった。
西部の有力オーナーブリーダー、R.C. エルズワース Rex Cooper Ellsworthが生産した、キャンディスポッツ Candy Spotsだ。
(名前通り、四肢や腹部に珍しい斑点を持つ栗毛馬だったようだ)
エルズワースは独自の人脈で欧州の大馬主アリ・カーン(アガ・カーン3世の長男)と関係を深め、41歳の時にカーレッド Khaledを15万ドルで購入。
この種牡馬カーレッドが大当たりし、エルズワースは49歳でスワップスを生産所有する事に成功。見事ケンタッキーダービーを勝利した。
キャンディスポッツが活躍した当時55歳のエルズワースは、アメリカ西海岸を代表するどころか「全米ナンバーワンのサラブレッドブリーダー」として1963年のスポーツ・イラストレイテッド誌に特集が組まれたほどだ。
さてこのキャンディスポッツの父がポイントとなる。
エルズワースが(アリ・カーンとは別ルートから)手に入れ、導入したニグロマンテ Nigromanteという種牡馬がアルゼンチン生まれだった。
おそらくこれがアメリカ競馬とアルゼンチン血統とのファーストコンタクトではないかと思われる。
キャンディスポッツは、スワップスを生産したエルズワースらしい配合の馬で、母がカーレッド Khaled×ボーペール Beau Pere配合の牝馬である。
いわゆるハイペリオン×サンインロー配合だ。
このキャンディスポッツが米三冠で結果を出すのが1963年春である。
マウンテンフラワーは1964年生まれだから、1963年春にモンパルナスとエーデルワイスの配合が行われている。
つまり「キャンディスポッツが走ったからこの種牡馬にした」説が成り立つかどうか…ギリギリのタイミングではある。
「アルゼンチン血統の種牡馬×ハイペリオン-サンインロー配合の牝馬」という配合が米三冠で通用した。それも同じカリフォルニア州生産馬で…。
そんな1963年の春。
デサイデッドリーで1年前にダービー馬主となったばかりのジョージ・A・ポープ・ジュニアは、エルズワースより6歳年長者である。そして材木業という本業を別に持つ資産家でもある。
「よしウチもやるぞ」となるのは(一応は)妥当な選択である。
今、「一応」を付け加えたのは、次の問題があったからだ。
モンパルナスはリース契約の種牡馬だった?
ここからは想像の域もやや含まれる。
1956年生まれのモンパルナスだが、キャリアに少し不可思議な記載がある。
(この記載に従うと)モンパルナスは1959年~1961年or1962年初頭まで現役生活を送り、1962年に「いきなり米国で」種牡馬入りし、(おそらく)1963年春の種付けシーズンを終え、その年の夏か秋にアルゼンチンへ移動していった…という事が想像できる。
そうなると「第一期・米国産のモンパルナス産駒」は1963年と1964年生まれの2世代しかいないのだろうか…??
更に調査を進めて、pedigreequery.comでモンパルナスの「産駒」を検索すると1963年生まれが1頭も登録されていない事が発覚する。
そして1964年生まれは米国産とアルゼンチン産が混在している事が分かる。
よってモンパルナスの種牡馬入りの経緯は、こう推測できる。
この可能性が高い。
つまり、モンパルナスの米国供用は1963年春季の1シーズンのみである。
この1世代でpedigreequery.comに登録された米国産のモンパルナス産駒3頭は全てジョージ・A・ポープ・ジュニアの生産馬である。この中にマウンテンフラワーも含まれている。
この事から、モンパルナスは1シーズンのみの契約でカリフォルニア州に繋養されていたと見るのが自然だ。また(前回取り上げた)種牡馬ヒラリーが他牧場の繁殖と交配された実績もほぼないことから…
モンパルナスは「現役を終えたらすぐに種牡馬として欲しい。1シーズン限定でいいから」というリース契約で、ジョージ・A・ポープ・ジュニアのプライベート種牡馬として供用されたのではないか?
…という仮説を立てても、さほどおかしくないと私は判断した。
では、下の「時系列表」に従って整理していこう。
ここまで推測してきて、
・モンパルナスの(時系列に基づく)動向
…はかなり特定できた。
それをふまえた上で、行動を推測すると、
・ジョージ・A・ポープ・ジュニアが1962年までにモンパルナス導入を決めていなければつじつまが合わない
…という事はお分かりいただけるだろうか?
そこからキャンディスポッツの時系列と併せて推測を進める。
1962年の段階だと、エルズワースのキャンディスポッツは2歳馬である。
ジョージ・A・ポープ・ジュニアは「キャンディスポッツ2歳時のアーリントン・ワシントン・フューチュリティSの勝利を見て」、モンパルナス導入に動いたのだろうか?
もしくはそれ以前、1962年春の段階で同業者エルズワースに(直接なのか人づてなのかは分からないが…)
「なぜアルゼンチン血統の種牡馬を導入するのか」
「ウチのアルゼンチン血統の2歳馬は走りそうだぞ」
というエピソードや評判を聞かされたのだろうか?
どちらも…なのか、どちらか…なのか。この可能性は私には取捨選択しきれなかったが、下のように推測をまとめる。
~~ジョージ・A・ポープ・ジュニアは、西海岸のライバル・エルズワースが生産したキャンディスポッツの評判を聞き、同馬のレースを目にした可能性もある。
そしてアルゼンチン血統に注目し、自分の牧場に合う種牡馬候補(当時アメリカで活躍が目立っていたハイペリオン系の牡馬etc...)を見つけ出し、交渉の末、電光石火でリース契約を結んだ。~~
…そうでもしなければ、ニグロマンテに比べればかなり格が落ちる、アルゼンチン生まれの現役上がりの牡馬がいきなりカリフォルニア州にやってくる理由はない。
「なぜ?」の大変さ
ここまでに4000字超を要したが、少なくともこれくらいの思索を経なければ「なぜ1963年春にモンパルナスを配合したのか?」(=なぜマウンテンフラワーの父はモンパルナスなのか?)という回答には至らない、という事である。
はじめに「なぜエピファネイアを配合したのか?」であれば20文字以内で説明できるという話をしたが、モンパルナスにおいてはその200倍以上丁寧に説明しないと想像にすら至らないという事だ。
(もろちん「現役時のモンパルナスの馬主からトレードの話が来たから」という可能性も残るのだが、それであればケンタッキーの生産者か、エルズワースに売り切るだろう)
これを例えば「地味で貧弱」と5文字で表現するのは適切ではないし、「モンパルナスなんて種牡馬、誰も知らないよw」というのは当然だという事を私は説明したかった。
さて次回は、ここまでして手に入れたかったモンパルナスの配合上の価値が知りたくなる。
「モンパルナス×エーデルワイスの配合の意図は?」という話題に移ってジョージ・A・ポープ・ジュニアに迫っていこうと思う。