愛馬デサイデッドリー Decidedlyでケンタッキーダービーを制覇 〜サンデーサイレンスの母を生産した男 ジョージ・A・ポープ・ジュニアとは・3
謎多き人を類推するより、最大の業績を記す方が話は早い。
1962年(昭和37年)、ジョージ・A・ポープ・ジュニアはケンタッキーダービーを制覇する。生産者として、馬主として。
1962年のケンタッキーダービー。
本命はライダン Ridan(父Nantallah/全妹モカシン Moccasinは全米年度代表馬、全妹ソング Thongの直系子孫がヌレイエフ、サドラーズウェルズ)。2番人気はサンライズカウンティ Sunrise County(父Summer Tan)。
ジョージ・A・ポープ・ジュニア所有のデサイデッドリー Decidedlyは3番人気で出走。
映像の通り、デサイデッドリーは人気上位2頭を抑えて、2-1/4馬身差を付けて差し切り勝ちを収める。2:00.4のレコードタイムでの勝利。
このタイムは、60年後の同レース勝ち馬リッチストライクと比べても2. 6秒も早い。強いケンタッキーダービー馬の誕生と呼べるのではないだろうか。
1962年ケンタッキーダービー 成績
2022年ケンタッキーダービー 成績
デサイデッドリーの偉業
あまりにも情報が少ないので、できるだけ事実のみ記して偉業を讃えようと思う。
カリフォルニア州生産のダービー馬は平均して30年に1回
まず、ケンタッキーダービーにおいて「カリフォルニア州生産馬の勝ち馬」は超レアである。2022年までの148年間でわずか5頭しかいない。
1922年 モーヴィック Morvich(血統)
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1954年 ディターミン Determine(血統)
1955年 スワップス Swaps(血統)
1962年 デサイデッドリー Decidedly (血統)
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2014年 *カリフォルニアクローム(血統)*本邦輸入種牡馬
ケンタッキー州生産馬とカリフォルニア州生産馬の力差は、近年さらに広がっていると見ていい。デサイデッドリーからカリフォルニアクロームが勝つまで30年どころか、52年間の空白があった。
次にカリフォルニア州生産馬がケンタッキーダービーを勝つのは50年以上先になるはずだ。
また、カリフォルニア州生産馬がケンタッキーダービーを勝つ難しさは、他にも大きく2つある。
輸送距離
仮の設定だが、西海岸サンタアニタ競馬場から、ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場までルート検索してみた。
陸路で輸送距離2000マイル超、移動時間は30時間を要する。
2000マイルは3218.688kmに換算されるから、日本列島縦断よりも長い距離だ。
種牡馬の選択肢の少なさ
物理的な遠さは、次の事実をも意味する。
カリフォルニア州の生産者は(ケンタッキー州に多く繋養されている)米国のメジャーな種牡馬を配合するのがほぼ不可能に近い
ジョージ・A・ポープ・ジュニアは(意思の有無に拘わらず)
・いわゆるAクラスの種牡馬を使えない
・ケンタッキーダービー出走時には超長距離輸送をこなさなければいけない
という条件に縛られていた。
この条件下でケンタッキーダービーを目指すのはどれだけ難しい事だろう。
奇妙な縁
このような条件にあって、栄光の1962年ケンタッキーダービーから遡ること3年。1959年にカリフォルニア州のエル・ペコ・ランチ El Peco Ranchという個人所有のプライベートな牧場において、何頭かのサラブレッドが産声を上げた。
そのうちの1頭が(今回紹介した)後にケンタッキーダービー馬となるデサイデッドリー Decidedly。
そして同年、もう1頭記念すべき馬が産み落とされた。後にサンデーサイレンスの「貧弱な曾祖母」として全米から軽視されるエーデルワイス Edelweissである。
実は同じ年に同じ牧場で生まれていたのだ。
偶然の一致はこれだけではない、という話は次回にて。
今回の連載は最後まで無料で書きます。サンデーサイレンスへの正当な評価を広めるためです。長い間誰も触らなかった話題ですので、慌てず騒がず、後々まで残る情報が書ければと考えています。 (最後まで読めたら「読んだぜ」のメッセージ代わりに♡を押して貰えれば十分でございます。)