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【抜書き】『読書からはじまる』~6 今、求められること

こんにちは。4月25日(月)04:21です。本日予定している定例のオンライン読書会は、21時より試験的にTwitterスペースで開催いたします。リマインダーの設定は、別途するツイートからお願いいたします。本noteは、その会で参照いただける「抜書き」です。各見出しについている◯付きの数字は、本文の小見出しに便宜的に割り振った連番です。

①人は言葉でできている

・まず言葉があって、自分があって、そして人がいる

・人にとって絶対になくてはならないものというのは、必ずしも人のつくったものでなく、言葉もそうです。

・ですから、わたしたちは言葉のなかに生まれてくる(略)成長するとは、言葉を覚えるということです。

・覚えて終わりでなく、覚えた言葉を自分のものにしてゆくということができないと、自分の言葉にならない本質を、言葉はそなえています。

・言葉を自分のものにしてゆくというのは、言葉のつくりだす他者とのつながりのなかに、自分の一を確かめてゆくということです(略)言葉は、人の道具ではなく、人の素材なのだということです。

・勉強しないで覚えられるのは、自分が生まれた土地の言葉だけです。日本の場合、勉強して覚える外国語という成績を重んじる教育のあk組のなかで、難しい言葉が知識としてみなされて正しい言葉ばかりが求められますが(略)不完全な言葉もまた、わたしたちにとっての大切な言葉のはずです。

・国境を越える言葉は、完全な言葉でなく、むしろ不完全な言葉なのです。

・不完全さこそ言葉の本質と言ってよく、言葉を言葉たらしめるものは、違いを違いとして受けとめられるだけの器量です。

②自分を確かめる言葉、他者を確かめる言葉

・言葉には、おおざっぱに言って、二つあります。一つは、他者を確かめる言葉です(略)もう一つの言葉があります。自分を確かめる言葉です。

・他人を確かめる技術がとんでもなくすすんでも、自分を確かめる言葉のあり方が、だからといって変わってゆかないのは、自分を確かめる方法は心の働きだからです。

・けれども、心はどこにもないものだから、言葉でしか言えないのです(略)わたしたちのあいだには言葉でしかいえないもの、言葉でしか読みとれないものが、どうしたってあるからです。

③なくてなはらないのは一つだけ

・ずっと勉強というのは、成績をあげ、受験して、競争して、競争に勝つか負けるかという、競うものとして考えられてきた勉強です。

・けれどもこれからやってくるだろう、子どもがどんどんすくなくなってゆくだろう社会において変わらざるをえないのは、そのような勉強というもののかたちです。

・もっとずっと必要なのは自分を確かにするためにする勉強であり、自分を確かめる方法としての勉強がいっそう求められます。

・自分を確かにするのになくてならないものは一つだけ。言葉です。自分を確かめるちからをくれるのが言葉です(略)そういう言葉と出会えるような言葉との付き合い方を、自分にうまく育ててゆけるかどうかです

・情報のゆきつくところは、すなわち他人との競争です。しかし情報がわたしたちを圧倒的にとりまいている今のようなとき、弱まっているのはむしろ情報でない言葉です。

④情報ではない言葉が重要

・わたしたちは情報ではない言葉の意味するものを、判断のとても重要なところに活かすことで、自分自身を確かめることがすくなくありません(略)言葉を情報とだけとらえると、非情報的なことが見えてきません。

・知識だけの言葉は、言葉だけ知っていてもその言葉を感覚できない、そういう言葉です(略)「情報を得ること」と「言葉を読むこと」は、決定的に違うからです。

・自分にとってもっとも必要な言葉は、「言葉」だけ漁っても、たぶん見つけられないでしょう。見つけなければならないのは、「必要」です。

・言葉をつつむ非情報的な領域を明るくしながら、コミュニケーションを成り立たせようとします。

・確かに感じられるけれども、意味でもなく情報でもないものを、言葉によって伝えようという努力がなければ、言葉というものが信じられるものにはならないだろう。そう思うのです。

⑤競争力と感受力

・わたしたちは言葉のなかに生きていますが、意味のなかで生きているわけではありません。そうではなくて、むしろ、あいまいさのなかで生きていると言うほうが正しいかもしれません。

・感覚の確かさ

・はっきり言って、自分を確かにしてゆく言葉を見つける手立ては、あいかわらず自分という得体の知れないものしか、手がかりがないのです。

・しかし、今からたずねられなければならないのは、果たして新しい競争力でしょうか。勝つか負けるかでなくて、いつのときも競争の結果するのは、たいていは共倒れです。競争力というのは排除するちからのことですが、たずねられなければならないのは、排除する言葉でなく、ハグ(hug)する言葉、近づく言葉です。

・感受力というのは、受容するちからです。

⑥「耳を洗え」と良寛は言った

・経験というのは、必ず言葉をもとめます(略)経験を言葉にして、はじめてそれは言葉をもつ経験になる。経験したかどうかでなく、経験したことも、経験しなかったことさえも、自分の言葉にできれば、自分のなかにのこる。逆に言えば、言葉にできない経験はのこらないのです。

・言葉にするというのは(略)自分について自分で、よい問いをつくるということです。正しく問いを受けとめないで、正しい答を探すから、わたしたちは過つのです。

・言葉と経験を載せている心の秤が、感受力です。感受力というのは、だれかに教えられて育つというものではなくて、自分の心の器に水をやってしか育たない、そういうものです。

⑦未来はなお未だ来たらず

・不幸というのは、言葉が信じられなくなる、ということです。情報の時代がきて、言葉のあり方は、言葉をずっと信じられるものにしてきた思慮深さから遠ざかるようになりました。

・情報はとても言葉に似たものですが、言葉とは違います。情報は現実のコピーですが、言葉は現実のコピーではありません。言葉は概念をふくみますが、現実のなかにないのが概念です(略)言葉で世界をとらえるのが、概念です。わたしたちのあいだにとりもどされなければならないのは、どこまでもあいまいな世界をとらえる、生き生きとした概念を生みだす言葉のちからです。

・わたしたちに求められていることは、何でしょうか。言葉を信じるものに足るものにすること。それだけです。

次回予告

・5月2日(月)21時から、引き続き長田弘さんの『読書からはじまる』から、「7 読書する生き物」の章を読みます。会場はclubhouseを予定していますが、25日(月)の打ち合わせによっては、スペースでの開催もあると思います。お含みおきください。

・次期5月23日(月)からの予定を、別途noteにて公開を準備しています。使用テキストは、ハンス・ペーター・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』(岩波少年文庫)で、全2~4回を予定しています。その後、いよいよ宮本輝『流転の海』シリーズを取り上げます。

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今回は以上です。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!

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