![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89799131/rectangle_large_type_2_9fac70abc2259cb0a5df72f1973a7f0b.jpg?width=1200)
【100分de名著を語ろう】折口信夫『古代研究』④
こんにちは。
今回で、折口信夫の『古代研究』の回は完結です。10月27日(木)21時からのclubhouseのルームで話し合います。なお、11月度はアンコール放送にあたっているため、11月3・10・17・24日と、12月1日の各木曜は、ルームをお休みさせていただきます(ゲリラ的にどなたかが主催されるのはOKです!)。12月8日の第83回、「中井久夫スペシャル」(予定)から再開いたします。
第4回:「生活の古典」としての民俗学
①折口信夫と柳田國男
民俗学=民間伝承の調査を通して、一般庶民の生活や、文化の発展の歴史を研究する。
1900年代初頭は、自国の文化や歴史について体系的に学ぶような環境は、明治半ばまではなかった。
岡倉天心(『茶の本』)、新渡戸稲造(『武士道』)、鈴木大拙(『日本的霊性』)などの輩出に、柳田が続く。
柳田 → 「内側」から日本を見ようとした。
折口が受けた影響① 生活を第一に考える視点。
折口が受けた影響② 民間に伝わる言葉を収集、比較して研究する視点。
「歩く古典学徒、読む民俗学徒」古典を時間軸として、民俗学を空間軸として据えて、日本文化を立体的に捉えようとした。
柳田 体系的な学問として組織整備することを重視。
折口 一人ですべてを見渡そうとした。
②問われる「まれびと論」の成立過程
連続対談「日本人の神と霊魂の観念そのほか」「民俗学から民族学へ」において、柳田の折口批判(まれびと論批判)が表面化する。
「文献」や「記録」としての「実態」を求める柳田。検証可能な学問上のルールをきちんと設けておくべきだと主張。
③まれびとが先か、祖霊が先か
「まれびと重視の折口」対「祖霊重視の柳田」。
④他界も霊も多種多様である
「祖霊」と「祖先となり果たさなかった未完成の霊魂」、「祖先」と「末裔」、「死者」と「生者」といった二項対立でものを考えるのは近代的思考法であって、霊魂とはもっと複雑な性質を持ったものである、と言っている。
折口は最晩年にいたって「多種多様な日本」というものを説きたかったのではないか。
⑤何のために古典を研究するのか
折口は、なぜ日本の古典を研究するのか、なぜ古代日本の生活を探究するのかをつねに自問していた学者でした。
「祖型」とは、変化したり、多様化したりする前のかたちです。
今の自分の心の中にあるものを明らかにするためにこそ、古典を研究するのだと言っているのです。
「もう此上、日本の国をわるくしては、ならぬのである」
⑥グローバルな社会を生きる今こそ『古代研究』を
「信頼していゝことは、我々の祖先から我々に伝つて居る日本人の生活力の強さといふものです」
「それより日本の建て直しの方法はないでせう」
他者を知るには、他者の国やその文化を学び、理解することが必要です。しかし、それだけでは不十分なのです。他者の文化を知るには、まず自国の文化というものを理解していなければなりません。そうしなければ、他国の在りようと相対化されず、理解も不十分になってしまうでしょう。
終了後の追記
※10月27日以降、余力があれば追記をいたします。
今回は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!
いいなと思ったら応援しよう!
![しょうじ@マチナカ書房](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170113976/profile_6de3aefb6386c180210bfd0c413e9d71.jpg?width=600&crop=1:1,smart)