【100分de名著を語ろう】23/06/29『ショック・ドクトリン』④
こんにちは。
今回から趣向を変えて、ヘッダ画像に「エピグラフ」的に石垣りんさんの詩作からの引用を採用してみました。追々それについても言及する機会もあろうかと思いますので、その際にはよろしくお願いいたします。
今日のclubhouseルーム「100分de名著を語ろう」は、7月度『ショック・ドクトリン』最終回(ナオミ・クライン著)、担当講師は堤未果さんです。もう一度テキストの構成を確認しておきます。
先週(23/06/22)の回を体調不良で開催できなかったことをお詫びいたします。今回は、先週うかがえなかったお話しも含めて対話が進むといいと思っています。以下に第4回分のテキストの「見出し」を抽出しておきます。〇の付いた数字は、ぼくが便宜的に連番として振ったものです。
以下、放送も含めて記憶に残っている部分を書くようにしたいと思うのですが、一番心に残ったのは、ここでは「わかりやすさ」を求めては逆効果であるということでした。「シカゴ・ボーイズ」やフリードマンなど、RPBの「ラスボス」を倒して「エンディング」が迎えられるというものではないということです。「誰(何)」が「悪の権化」なのか。それを探してはいけないのだろうということを、堤さんがおっしゃっていました。
あと、個人的に思っているのは、ショック・ドクトリンとは、古来からある様々な「商法」と「親和的」だろうと感じていることです。つまり、「これを買えばハッピーになれる(または不幸になる)」と、特に不安を売りつけることが定着していると感じています。これって、一種の「ショック・ドクトリン」なのではないかと思っています。
最後にもう一つ。ショック・ドクトリンに「抗する」「抗う」ために「知性」が必要だとおっしゃっていたと思いますが、ここではちょっとカッコよく、「民衆(主体)の物語」を立ち上げることが肝要なのではないかと感じていると申し上げて、本稿を閉じたいと思います。
6月30日(金)以降「追記」がされる場合があります。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!