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野辺送り【怖い小話】

私の母は、とある山奥の集落の出身だ。
集落には大きな廃寺があって、その敷地に小さな御堂があった。
幼い頃に一度だけ、曾祖母に連れられてその御堂に行ったことがある。

荒れ果てた境内の竹藪の奥深くに御堂はあった。
御堂は地面から高い位置にある、高床式倉庫の様な板張りの小屋だ。
初めて見る御堂の中。
10畳くらいの広さがあるが、真っ暗で電気もライトも無い。
土足厳禁らしくスリッパが置いてあるが、履くのもためらうくらい薄汚れている。
祖母に倣って入口で靴を脱いだものの、なんだか気味悪くて足が進まない。
結局、私は御堂の中に入る事が出来なかった。
曾祖母はそんな私をおいてさっさと中に入り、手を合わせる。
目を凝らしてみると曾祖母の拝む先には格子があって、その向こうに祭壇のようなものがある。
そしてさらに奥に何かの像がたくさんあった。
怖くなって目を逸らすと壁際にお神輿があった。
しかしよく見てみると違う。
神社の様な屋根や、担ぐための担ぎ棒らしきものなど、お祭りなどで見かけるお神輿にそっくりだが…なにか違うのだ。
1.5メートルくらいの長さの長方形のそれは昔の屋形船にも似ていてる。
埃だらけで色褪せているその状態から、何十年もこのまま置かれていたのは明白だった。
帰り道に曾祖母に尋ねると
「――あれはバチアタリが入ってるんだ」
それ以上教えてくれなかった。

それからほどなくして曾祖母が亡くなる。
この集落は当時でも珍しい、土葬で埋葬する「野辺送り(のべおくり)」の風習があった。
野辺送りと言うのは、葬列を組んで遺体を墓地まで運んで埋葬する葬式の事だ。
私はこの野辺送りで御堂で見たお神輿とそっくりなものを見る。
それは遺体の入った棺を墓場まで運ぶ「輿(こし)」と呼ばれるものだった。

野辺送りのやり方は地域によって違うが、曾祖母の集落のやり方はこうだ。
輿に棺を乗せて墓地まで運ぶ。
棺を埋めた後、その上に運んできた輿を置く。
そして49日が過ぎた頃にその上で輿を焼く。
輿を焼く事によって、死者は輿に乗ってやっとあの世に行けるんだと祖父が教えてくれた。
めらめらと燃える輿を眺めながら私は御堂を思い浮かべる。
何十年も放置された、朽ち果てる寸前の古い輿。
(なぜあの輿は御堂に置かれたままなんだろう?)
しかしその疑問は解決する事が無かった。
葬式の後、我が家はこの集落の一族と揉めて絶縁する事になったからだ。
司法も含めての大騒動でかなり大変だった事もあり、私は野辺送りの事も御堂の事もすっかり忘れ去っていた。

そして月日は流れる。
ある日、知り合いの葬式に参列した私はふと集落の葬式を思い出した。
昔ながらの風習の葬式をしていた集落。
今もあの風習を続けているのだろうか。
懐かしさもあってなんとなく、グーグルマップで周辺を確認してみた。
ディスプレイに表示された地図。
集落に点々とあった民家は消えていて、大きな砕石工場が建っていた。

野辺送りについて調べてみた。
あの集落の野辺送りは他の地域とは違う、独特のものだった事が判る。
葬列の組み方など細かいところを挙げればキリが無いが、一番違うのは輿の扱いだった。
野辺送りに使用する輿は、収納して使いまわすのが一般的らしい。
同じ集落で不幸があれば、その都度使えるように大切に保管する。
輿を墓地で焼く野辺送りを行う地域は調べた限り、見つからなかった。

曾祖母の言葉を思い出す。
「あれはバチアタリが入ってるんだ」
この話は四半世紀前の話だ。
集落も無くなった今となっては、確かめる術もない。
――だから、ここからはあくまでも私の妄想だ。
「村八分」という言葉がある。
村の掟や秩序を破った者に対し、制裁として村民全員が絶交する事だ。
村八分の「八分」とは、十分ある交際のうち葬式と火事のの二分以外は付き合わないという意味。
曾祖母は輿の中にはバチアタリが入っていると言った。
罰当たり、つまり罰が当たって当然な人物。
あの集落では輿を焼かないと、死者はあの世にはいけない。
輿を焼かないという事は、葬式をしないという意味だ。
――もしかしたら。
あの輿には、「村八分」ではなく、「村十分」にされた者の亡骸が入っていたのではないだろうか?
「二分」である葬式さえも許されないほどの、重い罪を犯した者。
それならば、信心深い曾祖母にバチアタリと言われるのは当然だろう。
だからこそ、その亡骸は埋葬されず、御堂の中に置かれたままなのではないだろうか。
バチアタリは二分を許される日、つまり野辺送りをしてもらえる日をあの御堂の輿の中で待ち続けていたのではないだろうか、と。

あの興は今、一体どこにあるのだろう?

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