誰が為の世界で希う-6

 長期連休、最終日。
 自宅アパートでパソコンや数冊の本と向かい合っていた亮は、不意に、ひとつ指を鳴らした。瞬間、『赤』が亮の目の前でひらめいて、パソコンで開いていた文書ファイルに文字が刻まれていく。それに目を通し、修正を加え、保存。
 ひとつ、小さく頷いて、大学のポータルサイトにアクセスすると、手慣れた様子でついさっき完成させたレポートを提出する。
 すべての課題が提出済みになったことを確認し、亮はうんとひとつ伸びをした。その首元には、巷一からもらったネックレスが光っている。
「終わったー!」
 魔法を使えるというのは便利なもので、蓮人が先日言った通り、課題に割く時間はかなり少なく済んだ。
「よかった、俺にも出来て。まあ、レポート課題はそんなに嫌いでも苦手でもないしな」
 呟きながら、数日前に魔法の練習をしたときに言われたことを思い出す。
『得意不得意はあるからね。例えば、蓮人が出来ることをきみが出来ないっていうことも、当然のようにあり得ることなんだよ』
 数日前に様々な魔法を練習したあのとき。大体のものを一発でこなせた亮にもなぜかイメージ通りにいかずに何度も失敗してしまう魔法がいくつかあり、焦りを覚えながらも繰り返し練習していると、巷一に『いったんストップ。ちょっと落ち着こうか』と穏やかに制止され、そのまま講義がはじまったのだ。
『この間、ちらっとこんな話をしたのを覚えているかな。魔法にできることは人にできることの延長線上にある、っていう話なんだけど』
『……覚えています』
『これがね、魔術師によって使える魔法に適性がある、っていう話とも繋がってくるんだ。なんて言ったらいいのかな……「人にできることの延長線上にある」っていうのは、「そもそも人間にできることに限る」という意味と「魔法を使う者自身のできることに依拠して魔法でできることも決まる」という意味の、どちらも含んでいる……って言えばいいのかな』
 頭に手を当てながら言葉をひねり出そうとする巷一に、蓮人がさらりと口をはさんだ。
『つまりね、清水くん。自分が苦手としていることは、魔法を使ってもうまくできないことが多いってことだよ。逆に、自分が得意なことが元となっている魔法は簡単にこなせるし、発展させることもできる。師匠が空間系の魔法を得意としているのは、単純に師匠自身の空間把握能力が高いからなんだよ』
 なるほど、と亮は頷いてみせた。最初は上手く理解できなかったが、蓮人の説明の後だと巷一の言葉にも納得がいく。
『魔法は便利でも、万能ではないんですね』
『そう。まあでも、何度も使っていくうちに得意になるっていうこともあるから、あんまり気にしなくていいと思うけどね。おれがそうだったし』
 言いながら、蓮人はなぜか一歩、横に移動した。不思議に思って亮が首を傾げていると、数秒前まで蓮人の立っていた場所に突如、鳥のフンが落ちてくる。
『こういうことが日常茶飯事になっちゃうと、ね。未来予知を何度も使わざるを得なくなって、そのうち時間にまつわる魔法の適性がついてきちゃったってわけ』
 目を見開いて言葉を失ってしまった亮に、蓮人は『よくあることだよ』と慣れたように苦笑い。
『そういえば、まだ言っていなかったよね。おれが「不幸を呼ぶ少年」と呼ばれるようになった由来』
『蓮人、』
 弟子の名を呼ぶ巷一の声は優しくて、けれどかすれている。
『――とことん運が悪いんだよ。今は魔法で回避できるようになったからまだいいけど、師匠に出会う前、自分が魔術師だと知らなかった頃はどうしようもなくってね。親も友達も、学校の先生も、みんな、おれを避けてた。あの子に近づくと不幸に巻き込まれる、って』
 底抜けに明るい調子で、なんてことないように蓮人は口にした。けれど、むなしく響いた言葉には傷が隠れているように、亮には思えた。
『一度レッテルを貼られちゃうと、何度剥がそうとしても残り続けちゃうものなんだよね。魔法を使っても回避しきれないことだってあるし。……仕方のないことなんだよ』
 しん、と無音が辺りに満ちる。亮も巷一も、沈黙を破ろうと言葉を探すがうまく見つからない。
『……ごめんね、清水くん。練習に戻る?』
 だから、蓮人の言葉に甘えるように魔法の練習を再開したのだけど――。
「ちゃんと伝わってるのかなぁ」
 パソコンをシャットダウンしながら、亮は思わずそんな声を漏らす。
 あの日の帰り道、池袋駅に到着したとき。『それじゃあね』と歩き去っていく蓮人に、亮は一声、かけたのだった。
『俺は、不運は不幸じゃないって思います』
 蓮人が足を止めたのが、後ろ姿でも分かった。
『先輩は、「不幸を呼ぶ少年」じゃないです』
 その声は届いたらしく、蓮人はなにも言わず、ただ手を振った。表情は、陰に隠れて見えなかった。
 あの真っ黒なフードのせいだ、と亮は思う。
「……なんでいつもパーカーなんだ?」
 そんな疑問が降ってわいてきた瞬間、スマートフォンが軽やかに鳴る。
 通知を一目見た瞬間、亮は盛大なため息をついて立ち上がった。

「あ、来た」
 池袋駅構内のいけふくろう前。けだるげな表情で心底面倒くさそうに歩み寄ってくる友人の姿を見つけた海弥は、軽く手を挙げた。亮はそれに気づいたものの、軽く見やっただけ。
 二人は合流すると、示し合わせたわけでもないのに改札に向かって歩きだした。
「あのさあ。なんで急に呼び出すかな」
「え? 誘えるの清水ぐらいしかいないし」
「俺を巻き込むなよ! 一人で行けばいいだろ。……で、どこ行くの」
「上野。東京都美術館だよ。ほら、早く電車乗ろうよ」
 浮足立った様子で改札を潜り抜ける海弥の背を追いかけて、ホーム内へ。ちょうどやってきた電車に乗り込んで、亮はぶつくさと文句をこぼした。
「別に俺、興味ないんだよ、芸術とか。お前と違ってさ。よさも分かんねえし」
「いやぁ、だって都内の大学に在学してるってだけで入館料いらないんだよ? ちょうど今ムンク展やってるっていうし、休みのうちに行くしかないべや」
「知るかそんなの」
 少しばかり早口になった海弥の言葉を切り捨ててドアの外を眺める亮を、海弥はふと、猫のような垂れ目をすっと細めて見つめた。
「……ありがと、清水。急に美術館に行きたいって呼びだしたのに来てくれて」
「……」
 窓ガラスに反射して見えたのは、少し申し訳なさそうな、けれどとても嬉しそうな、期待に満ち溢れた海弥の表情。幸せそうな声色で礼を言われてしまっては、返す言葉がない。
 ――だからこいつのこと、嫌いになれないんだよな。
「……別に。どうせ暇だし」
 むすっとふてくされたまま、海弥の方に目は向けない。
 けれど海弥には十分伝わったらしく、にこりと笑みを浮かべたのが、窓ガラス越しに見えた。
 そうこうしているうちに、電車は上野駅のホームへと滑り込む。下車し、改札でカードの残高が減る音を聞き、目の前にある上野公園へと足を踏み入れる。
「俺、道なんて分かんないからな。犬童がちゃんと案内しろよ」
「はいはい、任せときなって」
 二人横に並んで楽しげに声をぶつけ合いながら、手元のスマホを頼りに美術館へと向かう。その道中でふと、海弥がなにかに気づいたように「あれ?」と声をあげた。
「清水、なんか付けてる?」
「え?」
 海弥の問いに首を傾げる亮。海弥は亮の首元を指さしながら、言葉を続けた。
「それ、首元のやつ」
「ああ……これね」
 巷一にもらったネックレス。魔法を使えるようになってからというもの、亮はそれを常に身につけるようになっていた。外出時は、見せびらかすものでもないので服の下に隠していたが。
 チェーンを持ち上げると、銀色のタグがきらめき揺れながら現れる。本当は実体なんてないはずのもの。巷一の魔法が形になった、本来ならば存在しえないはずのもの。
「これ、もらい物なんだけどさ。どう? 似合ってる?」
「うん、いいと思うよ。飾りもシンプルでどんな格好にも合いそうだし。隠さなくたっていいじゃん」
 いいなあ、とどこか羨ましげな海弥を横目に、亮はネックレスを服の下に戻す。自分が魔術師であることは、誰にも、目の前にいる海弥にも、伝えていなかった。
「あれか? 展示やってる美術館って」
 亮が指さした先を、首を伸ばすようにして見つめた海弥は「そうそう!」と興奮を隠しきれない様子で歩調を早めた。一瞬置いていかれかけた亮は呆れたように息をついて、ふっと笑みを浮かべると歩幅を広げ、友人のあとを追いかける。
 美術館の入り口は、もう目の前だった。

 数時間後。
「いや……本当によかった! ねえ、清水?」
「急にそんなこと言われても困るわ。まあ、でも……なんかすごいっていうのはよく伝わってきたわ。なんていうの? その……芸術を感じる、というかさ」
 美術館の前で、二人は再び言葉を交わしていた。
「っていうかお前さ、いろいろ買いすぎじゃないのか?」
「えー、だってどれもよかったからさ、つい手に取っちゃうんだよ。グッズ販売やってるのは知らなかったから、いまおれ、すっごく得した気分」
「はぁ……。ほんと、お前は好きなものに関しては目がないというかなんというか……で、なに買ったの」
 両手に美術館のロゴが入ったビニール袋を持って目を輝かせる海弥に、亮は眉をへの字にしながらも慈愛すら感じられるような声で問いかける。
「えーっとねぇ、大好きな作品がプリントされたトートバッグでしょ、展示で見た絵がもう一回見れる画集でしょ、それから――」
「あーやっぱりいいや。お前の話長くなると面倒だし」
「じゃあ話を振るなよ!」
 素早くツッコミを入れる友人に、亮は素知らぬふりでうんと大きく伸びをする。
「それじゃあ帰る?」
「いや、もうちょっと余韻を楽しもうとかさ、なんかないの?」
「ないね」
「返事が早いなぁ。……じゃあ帰るか」
 海弥の一言を合図に、二人は、来た道をゆっくりと戻っていく。亮は目を細めて友人の方を振り向くと、優しい声で「それで?」と話を振る。
「改めてどうだった? 今回の展示は」
「あのね、ぜんぶよかったけど、特におれが好きだなって思ったのは――」
 海弥は手にしたビニール袋から画集を取り出すと、早口になって目を輝かせながら流れるようによかった作品の感想を挙げていく。画集の絵をよく見ようと目を細めたり、「よく分かんねえ」と額にしわを寄せたりしながらも、亮は海弥の話に耳を傾け続けていた。
 上野駅に着いて改札を抜けても、電車がやってきて乗り込んでも、海弥の話は終わらない。
「次は、東京、東京。お出口は――」
 さすがに集中力の切れてきた亮の耳に飛び込んできたのは、電車の行き先アナウンス。
「――え」
 声になり切らない声が、亮の口からこぼれ落ちる。電車のドア上部にある液晶を見上げて、亮はしまった、と唇をかみしめる。
 乗る電車を、間違えた。池袋方面行きの山手線に乗るつもりが、話を聞いていて上の空になっていたのか、反対方向、品川方面行きのものに乗車していたのだ。一駅乗り過ごしただけならまだしも、四駅も乗ってきてしまった。
 電車は東京駅を目前にして、緩やかにスピードを落としていく。話をすることに夢中になっている海弥は、未だに電車を間違えたことに気づいていない様子だった。
「犬童、降りるぞ」
「――えっ?」
 状況説明の時間もなく、呆気に取られている海弥の腕を取って亮は電車を降りようとする。
 ドアが開き、ホームドアも真似をするように道を開ける。降りる人の流れに乗ってドアに向かいながら、亮は再び唇をかみしめた。窓の外には、当然のように東京駅の構内が広がっている。
 ――もっとしっかりと電車の行き先を確認しておけばよかった。この電車が池袋方面行きの電車だったらよかったのに。降りた先のホームが池袋駅だったらいいのにな――。
 焦りと後悔と、いろいろな感情にさいなまれて、そんなことを、強く思っていた。
 ホームに一歩、足を踏み入れる。
 その瞬間、塗り替えられたかのように目の前に広がった光景に、思わず亮は足を止めた。
 池袋駅のホームに、到着していた。
「……なん、で」
「ちょっと、急に止まらないでよ」
 少し不満げな海弥の声で我に返り、人波から逃れるように降り口から離れる。ホーム中央部まで進んでからようやく振り返ると、電車のドアが閉まり新宿の方へと発車していくのが見えた。間違いなく、さっきまで乗っていた車両とは別物だ。
「ありがと、清水。着いてたの全然気づいてなかったわ。……ってか、どうした? なんかあった?」
「……ごめん、ちょっと休んでいい? 軽く酔ったっぽい……」
 嘘だった。とにかく一度、気持ちを落ち着けてなにが起きたのかを考えたかった。ただ、それだけ。
 けれど、亮の言葉を信じた海弥は「まじか」と目を見開いて、あたふたと亮をベンチへと連れて行き、座らせてから自販機へと駆けていきお茶を買って戻ってきた。
「ごめん、全然気付かなかった。一回夢中になると周りが見えなくなるの、本当によくないよな」
「いや、本当に軽くだから大丈夫。少し休めば治るよ」
 お茶を喉に流し込んで、いったん頭を冷やす。そして目を閉じると、ゆっくりと状況を整理していった。
 まず、電車を間違えて東京駅に来てしまった。
 そして、降りた先が池袋だったらいいのにと思いながら下車した。
 そうしたら、本当に池袋駅に着いていた。
 本来ならば起こりえないこと。それこそそう、魔法でも使わない限りは――。
 嫌な予感がして、目を開ける。なんとなく、なにがあったのかの予想がついてしまって、亮は気持ちを落ち着けるためにもう一度お茶を口に含む。
「……大丈夫?」
 不安げな表情の海弥に「ああ。だいぶ良くなってきた」と笑いかけながらも、心中穏やかではなかった。
 ――魔法が、暴走してしまった。
 それが、亮の出した結論。電車から降りる瞬間、意図せずに瞬間移動の魔法を使ってしまったのだ。目の前の光景が一瞬にして塗り替えられたことも、東京駅に着いたはずなのに池袋駅に降り立ってしまったことも、これなら説明ができる。不幸中の幸いは、海弥が話すことに夢中になっていて状況を把握できておらず、亮の使った魔法にも気づかなかったことだった。
「……うん。もう大丈夫。ありがとう、犬童」
 うんとひとつ伸びをして見せて、立ち上がる。ようやくへにゃりと笑った海弥もベンチを立って、二人そろってホームをあとにする。
 けれどそのとき、亮は電車の降り口付近に『赤』の残滓が残っているのを見て、こっそりとひとつため息を落としていった。

(続く)

*この物語はフィクションです。実在の地名・人物とは一切関係ありません。
*全話をマガジンにまとめています→【長編小説「誰が為の世界で希う」】