誰が為の世界で希う-3

 あれから、一週間が経とうとしていた。
 亮は、区立図書館で借りた本を広げながら大学へと向かっている。周囲の目を気にしてブックカバーをかけていたが、その文庫本には、魔術師や魔法のことが簡単に分かりやすく記されていた。
「――約束の日って、今日だよな」
 交差点の赤信号に足止めを食らって、ふと本を閉じた、そのとき。
「あ、亮じゃん。今日も早いね」
 聞き慣れた声が響いてきて、後ろを振り返る。
「ああ、犬童か」
「え、それだけ?」
 亮の目線の先には、不満げな声には似つかわしくない笑みを浮かべた海弥の姿が。彼の垂れ目の猫のようなその目は、亮がしれっと鞄にしまおうとした本を見逃さなかった。
「ごめん、読書の邪魔して。なに読んでたの?」
「あー……これ? 授業で読んでこいって言われてたやつ。ちょうどキリいいところまで読み終わったから、気にするなよ」
 自分が魔術師になるかもしれない、なんて、簡単に人に話せるようなことではない。少し視線を泳がせながらも平静を装って言い切った亮に、海弥はなにも気付いていない様子で「そっか」と呟いた。
 木々や葉が騒めく音がする。雲で日が隠れたのか、一瞬、あたりは灰を被ったような色になる。
「――なあ、犬童」
「どした?」
 普段よりも数段低い亮の声に海弥が首を傾げると、亮は影の射した表情で「あのさ」と言葉を続ける。
「こないだ、お前が話してた魔術師の話。なんだっけ、悪いことしてるわけでもないのに悪印象持たれてるっていう」
「ああ、そんな話したねえ。それが、どうかしたの?」
「……もし、俺が同じ立場だったらさ。悪いことしてるわけでもないのに悪者みたいに言われたら、どう思うんだろうなってふと思ってさ。気にしなきゃいいだけなんだろうけど、そういう問題なのかな」
 亮の目は、どこを見ているか分からないけれど真剣な色を宿していて、けれど表情には迷いがにじみ出ている。
 そんな様子に、海弥はぷっと吹き出した。
 思わず、亮は眉を吊り上げる。
「なんで笑うんだよ」
「いや、珍しく大まじめだからさ……」
「珍しくってなんだよ。ってか本当にまじめに考えてるんだけど」
 不機嫌そうに顔をしかめた亮に、海弥は「ごめん」と謝りながらもなかなか笑いをこらえられないままでいる。
「だってさ、もう答え出てるじゃん、それ」
 肩を小刻みに揺らして、口角があがっていくのを感じながら、海弥は目を細めた。
「気にしなくていいんじゃない。自分が悪者じゃないって分かっていれば、それでいいと思うよ」
 春らしい、さわやかな風が二人の髪をもてあそぶようにして吹き抜けていく。暖かな日差しが戻ってきて、道行く人々を照らしている。
「にしても、今日もいい天気だねぇ」
 海弥が亮の方を振り返ると、なぜか亮ははっとした表情を浮かべていた。
「……どうしたの?」
 不思議そうな海弥の声に、亮は小さく首を振って。
「いや。――犬童の言う通りだよ」
 そう答えた亮の表情は、随分と晴れやかだった。

 その日の講義を全て終えた、黄昏時。
 亮の足は、自然とあの公園へと向かっていた。
「――やぁ、来たね」
 公園のベンチには、一週間前と全く同じように巷一が座って待っていた。その隣には、どこか緊張したような表情の蓮人もいる。
 二人の魔術師は亮の姿を認めると立ち上がり、こちらの方へと歩み寄ってきた。
「こんばんは。俺のわがままで一週間も待たせてしまって、すみません」
「いえ、わがままなんかじゃないと思います。むしろ、こっちこそごめんなさい。急に選択を迫ってしまって」
 開口してすぐに頭を下げた亮に、首を振って蓮人も申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「まあまあ、謝りあっていても話は進まないだろう? 気にしなくていいから、頭を上げてくれ」
 亮が顔を上げると、そこにはまっすぐにこちらを見つめる蓮人と巷一の姿が。
「それよりも、決断はできたかい」
 ふわり、巷一の長い髪が揺れる。
 冷たい風が吹き抜けて、漂う雰囲気が急に引き締まったような、そんな感覚に陥りながら、亮は頷いた。
「はい」
 ――本で読んだことを思い返す。
 魔術師は、自らの内にある魔力を用いて魔法を使える者。魔法にできることは人にできることの範囲を超えず、しかし魔法を使えぬ者からするとその力は強大な為、魔術師は恐れられ、自ら使える魔法に枷を課してきた――そんな過去があると、その本には書いてあった。
 それに、目の前にいる柏木蓮人というひとは悪い魔法を使うわけでもないのに『不幸を呼ぶ少年』と呼ばれ誰も寄りつかない、という噂を聞いたことも記憶に新しい。
 魔術師が良い存在として受け入れられているとは限らない。そのことは、十分理解できているはずだった。
 けれど。
「――教えてください」
 数時間前、友人に言った言葉が蘇る。
 自分が分かっているなら、それでいい。
 周りにどう思われようが、自分が魔術師のことを、魔法のことを理解できているなら、それで十分だと思えた。決心が、着いた。
 一週間、自分なりに学んで考えた結果が、言葉に変わって亮の口から紡ぎ出されていく。
「俺は、魔術師のことも、魔法の使い方も、多少自分で調べたとはいえ、無知に等しいと思っています。だから……お願いします」
 巷一と蓮人をまっすぐに見返して、深く息を吸い込む。
「俺に、魔術師としての生き方を教えてください」
 はっきりとした、力強い声だった。
 礼儀正しく頭を下げた亮に、巷一と蓮人はすぐに笑みを浮かべる。
「もちろんだよ」
「ようこそ、魔術師の世界へ」
 実際にそうされたわけではないけれど、二人がこちらに向かって手を差し伸べているのが、見えた気がした。
 その手をしっかりと握り、そして握り返されたような、そんな感覚に似た感情が、亮の胸の中を満たしていた。
「早速だけど、まずはきみの封印を解くか無効化しないとね」
 さりげない仕草で腕時計を取り外しながら、巷一がふっと真剣な面持ちで話を切り出した。
「封印を解く方法はひとつだけ。きみ自身が、封印を解くための条件を満たすこと――らしい。おれも書物で読んだだけだから詳しくは知らないけれど、生まれつき力が封じられている場合、必ず一つ、解くための条件があるそうだ。……でも、それは厳しそうだね。今まで魔法を使えたことがなかったということは、その条件を分かっていないということに他ならない。そうだろう?」
「……はい」
 巷一の言葉に、亮は深く頷いてみせた。
「となると、他の魔術師に封印を無効化するような魔法をかけてもらう方法しかない。封印を解くことはできなくても、効力を相殺してしまえばいいわけだからね。……ただ、『封印』というだけあって、他の魔法を相殺したり解除したりするのとはわけが違う。人によって封印のされ方は千差万別で、それを相殺するための方法も人によって違うらしい。だから、ほぼ不可能だと言われているみたいだね。――おれなら多分、できなくはないけれど」
「師匠、」
 蓮人の語気が、強くなる。
「あれをやるつもりですか」
「それが一番手っ取り早いからね」
 飄々としている巷一に蓮人は大きなため息をついて、半ば睨みつけるように師を見上げた。
「くれぐれも、無茶だけはしないでください」
「……分かってるさ」
 巷一は困ったように苦笑いを浮かべ、「ああ、ごめん」と亮に向き直った。
「――おれの使う魔法について、話してもいいかな」
 状況がつかめずに呆気に取られていた亮は、ただ、首を縦に振ることしかできない。
「魔術師といっても、魔法でできることは人にできることの延長線上にある。そして、使える魔法は人によって適性があってね。まあ、得手不得手があると思ってもらえればいいかな」
 腕時計を投げて、受け止めてを繰り返しながら、滔々と巷一は話し続ける。
「おれが得意としている魔法は、ちょっと……いや、かなり特異でね。見てもらった方が早いかもしれない」
 その言葉と同時に、手の中の腕時計を投げ上げた。瞬間、腕時計は青い光に包まれ、粒子の集まりになり、姿を変え、手の中に落ちた――のではなく、手に引っかかった。
 文字盤が消えてレザー調のベルトだけになり、そのベルト部分が細く長くなったような代物が、そこにはあったのだ。
「それは……?」
「これがおれの魔法だよ。空間情報を書き換えて、物を動かしたり姿かたちを変えたりする――少しばかり人にはできないようなことが可能なんだ。腕時計が首輪に――金属がレザーに変わるなんて、そんなことは普通起こらない。だから特異だとさっき言ったんだけどね。多分、他に使える人はいないと思う。……でも、これだけじゃないんだ。もっとありえないような、捉えようによっては恐ろしいこともできてしまう」
 言いながら、巷一は青い首輪を身につける。サイズが合わないのか、ほんの少しだけ苦しげに息を吸い込んで、自分の手を亮の前に差し出した。
「よく、見ていてほしい」
 言うが早いか、差し出した手が淡く青く光りはじめた。
 光の中から粒子が生まれ、姿を変えて小石となり、ぽろぽろとこぼれ落ちる。そして、それと引き換えになったかのように、巷一の手がゆっくりと欠けて、消えていく。
 亮が愕然とした表情で一歩身を引き、蓮人は苦虫をかみつぶしたような表情でそれを見ている。当の本人である巷一は、寂しさとも悲しさとも切なさとも違う、けれどそれらによく似たような感情をにじませてふっと笑った。
「物だけじゃなく、おれ自身のことも、変えられてしまうんだ。下に落ちた小石はつまり、そういうことだよ。この小石を踏めば、おれが、痛みを感じることになる」
 今度は小石が光りはじめ、小さな粒となって、引き寄せられるように浮かび上がる。そして、光が消えた頃には、巷一の手は元通りになっていた。
「今の魔法はかなり特異だし、使う力も、それなりに必要ではあるけれど、応用すればかなり有能でね。他のものと少しだけ同化して、状況を摑んだり、感覚を共有したりすることができるんだ。例えば、この公園の中にある木と同化すれば、その木の健康状態が知れるし、もし誰かが、木を叩いたとしたら、それをおれも感じられる」
 一瞬、言葉が途切れる。巷一の顔に、初めて影が差した。
「……他者との同化も、可能なんだ。さすがに、記憶の共有は、相手の同意がない限りしないけれど、その人がなにか、魔法をかけられていたら、どんな魔法か分析ができたり、その人が見聞きしているものと、同じものを感じ取ったり、ね」
「それって、つまり」
 なにかを察したのか、亮がゆっくりと口を開いた。
「俺の魔力にかけられた封印を無効化するなら、一番手っ取り早い方法は……神田さんが俺と同化して、どんな封印がされているか確認すること、ってことですか」
「理解が早くて、助かるよ。それが分からないことには、無効化もなにもできないからね」
「でも師匠、それは」
 必死に食い下がるようにして、蓮人が口をはさむ。
「それは、自分を見失う恐れもある魔法だって、以前、自分でおっしゃっていましたよね」
「そうだね。けれど、そのとき、一緒に説明しただろ? 自分を見失わないために、この首輪をしているし、もし自分を見失いかけても、他者がいれば、呼び戻してもらうことが、できるって」
 ときどきむせ込みながらも、巷一は平然と言ってのける。「魔法を使っていない間くらいは外してください!」と悲痛な声で叫ぶ蓮人を横目に、亮はようやく状況を理解した。
 巷一のきつい首輪は、わざと苦しさを感じるため。痛み苦しみが自分を縁取って、存在を示してくれるから。自分が自分であるために自らに科した枷。そのことを知っているから、この魔法を使おうとしていることを察した蓮人は先程からいい顔をしていなかったのだ。
 いったん首輪を外した巷一は、亮の方へと向き直った。その勢いで長い髪がゆらりと揺れ、そのとき、巷一の髪がほんのりと青みがかって見えることに、亮は気がついた。
「他者と同化するときは、必ず相手に同意を取ってから魔法を使うことにしていてね。きみが良ければ、きみと同化してどんな封印が施されているか調べてみようと思うんだけど、どうかな。この魔法を使ってもいいかな?」
 あくまでも本人の意向を重んじようとする巷一に感謝の気持ちを抱きつつも、亮は考え込むように腕を組んだ。眉を下げ、地を睨みつけ、眉間にしわを寄せる、その佇まいからは迷いが滲みだしている。
 自分と他者が同化するなど経験したこともないし、想像すると薄気味悪くもある。そして、巷一への負担は莫大なものであるようだ。けれど、魔法が使えない状況を脱したいなら――。
 ぎゅっと唇をかみしめる。
 亮が顔を上げたとき、その目はもうはっきりとした意思を持つものへと変わっていた。
「お願いします」
 その返答に巷一は浅く息を吸い、蓮人は目を見開いた。
「早いね、決断が。怖くないの?」
「まあ、少しは不安ですけど。でも、このままじゃなにも進まないので。これが一番手っ取り早いというなら、俺はその言葉を信じます」
 決意が揺るがないのを見て取った巷一は「ありがとう」と微笑んだ。けれど、その笑みは心なしか、少し硬い。
「じゃあ、早速だけどやってみようか」

(続く)

*この物語はフィクションです。実在の地名・人物とは一切関係ありません。
*全話をマガジンにまとめています→【長編小説「誰が為の世界で希う」】