賽を投げられたような気持ちの、
こんにちは。秋本そらです。
私のスマホは今も「あきもとそら」と打ち込んだ際に1発で「秋本そら」と変換してくれません。
そんなどうでもいいお話はさておき。
久しぶりに書籍の読了感想の記事です。
みなさま、TRPGはご存知ですか?
テーブルトークロールプレイングゲーム。一言で説明することは難しいですが、ゲームを回す「キーパー(KP)」と、ゲームを遊ぶ「プレイヤー(PL)」がいて、プレイヤーは「探索者(つまりゲームの世界に飛び込むキャラクター)」をルールに則って作り、キーパーに提示されていくシナリオの中でキャラになりきって行動をしていくゲーム――「大人のごっこ遊び」です。
かくいう私も、TRPGのことをまともに知ったのは去年の7月後半のこと。きっかけとなったのは、好きでよく見ているゲーム実況者フルコンが参加していた「傀逅」というシナリオのセッション動画。そのセッションのKPを務めていたのが、「傀逅」のシナリオ作者でもあるゲーム実況者、むつーでした。
それがきっかけで私はむつーさんのセッション動画やゲーム実況動画を見るようになり好きになりました。また、TRPGについて知りたいと思ったのも、むつーさんがきっかけです。最初は「物語の裏側を知りたい、もっとこの世界のことを知りたい」と思ってむつーさんの出していらっしゃるシナリオブックを購入し、次に「私もシナリオを書いてみたい!」と思ってクトゥルフ神話TRPGのルールブックを購入し、絶賛執筆中です(進捗は亀よりも遅いです。しかも今は別のやりたいことばかりやっているので全く進んでいません)。そして、「いや、執筆前にまず遊んでみたい!」と思ったのでTwitterで「一緒に遊びませんか」とお声がけさせていただいて、今度シナリオを回すことになりました。PLすらやったことのない人間ですが、セッション動画を見返しながら準備を進めています。
――と、この記事を書き始めた当初の私は書いていましたが、あまりにこの記事の執筆が遅すぎて、シナリオを回し終えてからなんと3か月が経過しようとしています。実はリプレイ小説も書こうとしていましたが、これまた記事の執筆が遅すぎて小説に落とし込めるほどの精度の記憶はなくなってしまいました。印象的な場面は覚えているのに。くそう。リプレイ小説を書きたかった。
今度、同じPLの方2人に「傀逅」を回すことになり、日程も決まりました。絶賛ココフォリアの準備中です。信じられない。まあ、それはともかくとして……。
遊んだシナリオの名前は「壊胎」。
むつーさんの処女作(だったはず)。先ほど紹介した「傀逅」のひとつ前の作品になります。
「壊胎」も大好きなシナリオです。個人的に好きなセッション動画は「ふるひろ壊胎」なのですが、その話はまぁ置いておくとして……。
ようやく本題です(導入が長い)。
TRPGシナリオである「壊胎」が、小説化されました!
お知らせを最初に聞いた時、私は本当にびっくりして。というのも、私はもともと小説を趣味で書く人間なので、「小説をTRPGシナリオにできるだろうか」と考えたことがあったのですが、その時は大変そうな気がして「まずはまっさらな状態からシナリオを書いてみよう」という結論に落ち着いたからでした。
メディア(媒体)が変わるって、よくよく考えてみれば相当大きなことで。小説ならではの表現もあるし、漫画にしかできないこともあるし、映像だからこそできることもあるし。それはTRPGシナリオにも言えることで。
特に、TRPGシナリオは「あなたは、――ということに気が付く」「あなたは、――という感覚に陥る」など、GM目線で見てしまえば「二人称」の物語。けれど、小説は一人称か三人称が多く、二人称はあまりメジャーではありません。
PL視点にすれば物語を一人称視点で書くことはできますが、PLが連れてくるキャラクターは、それこそ千差万別。では、どんなキャラクターで物語を描くのか。
シナリオを、どう小説に落とし込むのだろう、と、私はワクワクしていました。
……さて、導入はここまで(だから長い)!
TRPGシナリオ「壊胎」を遊んでいない・セッション動画を見ていない方、及び小説版「壊胎」を読んでいないという方はここでブラウザバックをお願いします。
この先はシナリオや小説のネタバレ全開で感想を書きます。容赦なく考察も書きます。そして読んでいる皆様が『壊胎』というTRPGシナリオをセッション動画を見るなり通過するなりして知っている、および小説版『壊胎』を読んでいるという前提でお話しします。がっつり引用もします。
「今度『壊胎』で遊ぶんだ!」「これから楽しみにしてたセッションを見るんだ!」という方、「小説これから読むんだ!」という方は見ないでください。止めましたし、タグでネタバレがあることも書いていますし、これから相当の空白を開けます。意図せず感想が目に触れないようにだいぶ猶予を設けています。なのでこの先は本当に自己責任でお願いします。
よろしいでしょうか?
ではここから先はネタバレ満載で行きます。勝手な考察も書きます。
……前置き&導入で2,000文字超えてるってどういうことですかね?
まず本を手に取って全体を眺めて、最初に思ったのは「装丁凝ってるな~」でした。正確には装丁が凝っているというよりは、本のデザインが凝っているという感じ。表紙にはキーパーソンである三上ひとみの姿。裏表紙には『くちなわさまとおろかなうらぎりもの』の文言。途中で切れたかと思いきや、表紙をめくったその先に、続きが書いてあるという。切る場所も絶妙で、表紙をめくって初めて「おろかなうらぎりもの」へかけられた呪いの内容が書いてある。まるで、なにかの秘密を打ち明けるみたいに。あるいは、真相を明らかにするように。こういう、細かなところまで気を使われているのが素敵だと思いました。
そして、登場人物。さてどんな人が来るかな、TRPG本編ではキーパーソンとなるNPCの三上ひとみは確実として、PL――いや、PCの位置に当たる人たちはどんな人かな、と思っていたら。
短い髪の毛をした後ろ姿の女性「???」――いや絶対この人は小沢瞳子じゃん。小沢さんじゃん。え、嘘でしょ!? となりました。
小沢瞳子といえば、TRPGの方では三上ひとみと同じくNPCの女性。しかも、ほんの少しの登場で、ほとんど気絶しているという状態。そんな彼女がPC側にいるというだけで、読む前からわくわくしてしまうわけです。
もう一人の登場人物は、御巫千聡という青年。イラストだけではどういう人なのかは判別がつかない感じがします。
……とまあ、私は、小沢さんに気を取られた状態で読みはじめました。
最初に出てきたのは、裏表紙にも書かれていた『くちなわさまとおろかなうらぎりもの』の内容。
そして、TRPGシナリオの方で見慣れた展開。暗いポッドの中に閉じ込められていて――という状態の描写が続きます。
えっと、ここで白状しますが、秋本そらという人間は、感想を書くのが非常に苦手な人間です。苦手というか、得意ではない。というか、人に伝わる文章を書くことが非常に下手。文章を書くことは好きなくせに、物書きを目指していたくせに、小説を書くことを趣味としているはずなのに、です。
いちおう、そのことだけ先に謝罪しておきます。申し訳ありません。
全体的な感想を先に言ってしまうと「だいぶあっさりしているなー」でした。冒頭、小沢瞳子がポッドから出てきたときには、御巫や三上によって部屋の中にある死体の調査フェーズは終わってしまっている(もちろんTRPGの探索によって出てくる情報はほぼ開示されている)し、TRPGシナリオでは何ターンもかけるような戦闘も、攻防があるとはいえ短めに感じています(かといってだらだらと書いてしまっては、小説だとかえって冗長に感じられると思うので、このくらいでちょうどよいのだと思います)。そもそもこの小説内に出てくる情報のほとんどを、読者はおそらくTRPGシナリオの方で知ってしまっているので、情報の開示部分は「あ、あの情報ね」と流し読みで済ませてしまいそう。
要するに、TRPGでの経験、あるいはロールプレイ、もろもろが濃厚すぎて、小説だと普通に描写していても物足りなさを覚えてしまう。加えて、頭脳明晰かつ内部事情をある程度知っている小沢瞳子が語り部になることによって、シナリオの謎の分かりやすさが上がると同時に物語のあっさり度も増している気がします。読者が謎ときに挑む余地がないというか、なんというか。うまくいえないけれど、するすると物語が進んでいってしまう。本を読みなれている人にとっては、少し物足りなさを感じるのかもしれません。
けれど、あっさりしているのに、読みごたえがある。
その理由は、登場人物一人一人のキャラクターがしっかりしていて、考察しがいのある内容になっているからなのだと思います。
まず、キーパーソンでNPCの三上ひとみ。
彼女は「おろかなうらぎりもの」の子孫。呪いの子。同族のヘビ人間にも、姿かたちの似ている人間にも虐げられて、それを当たり前として受け入れながら生きてきた女性。小説の中では早々に正体が「アンノウン」であり「呪いの子」であると分かり、それでもなお、小沢にも御巫にも「生きてほしい」「幸せになってほしい」と望まれて。
『壊胎』を回したとき、そして、セッション動画を見ていても思うのですが、PLは途中で三上ひとみが「呪いの子」であることに気付きます。「アンノウン」であることに気付くかどうかは、まちまちな気がしますが。そして、三上ひとみを助けたいと思ったり、かわいそうだと思ったりはします。けれど、PCが三上ひとみに直接「幸せになってほしい」って伝えることって、あまりなくないですか? 私の体感でしかないですが、そう感じます。
けれど、小説内でこんなにまっすぐに「生きてほしい」「幸せになってほしい」と伝えられて、三上ひとみがなにを思ってどう行動するのか――。
小沢瞳子がイグに一度やられそうになったとき。三上ひとみがヘビ人間独自の言語でイグに語りかけた言葉を、私は『壊胎』のシナリオブックを引っ張りだしてきて解読して、そして――。
『おねがい、やめて!』
『みのがして、あげて……!』
胸が、いっぱいになりました。
自分に呪いをかけてくる相手に向かって、逆らったら何をされるのか分からない相手に向かって、小沢のために声をあげた三上ひとみは、どんな気持ちでいたのでしょう。
この戦闘シーンの一場面と関係あるのかないのか、戦闘シーン前に三上ひとみはこんなことを語っていました。
私はこの一節がすごく印象に残っていて。
いや、こんな呪いがあるから裏切りたくなるんじゃないか、イグが寛大な心を持って許し、ヘビ人間と同じ社会で生きることができていれば、同胞を想う気持ちも芽生えていたんじゃないか。そう思う一方で、三上ひとみがそう考えるのも分かるし同意してしまうかもしれないな、と思う気持ちもあって。そもそも、恐らく小説版で初出の情報だと思いますが、三上水晶(三上ひとみの先祖)が漏らした情報を、水晶と恋仲だった人間は悪く使うつもりはなかった――正しくは恋仲の男性の意図せぬところでその情報が使われてしまった、などの背景もひっくるめて考えると、為したことは裏切りでも、裏切りを成すつもりではなかったのだろうしな、とも思いますし、いろいろと考えさせられてしまって。
深く考えたくなるキャラクターで、考えさせられることがたくさんあるな、と感じました。
次に、御巫千聡。
最初はおちゃらけた人だな~、くらいの認識だったのですが、父親が千聡を見限って母親と離婚して、母親は無理がたたって死んでしまい施設を出て――という背景を知ると、おおう、結構しっかり重い背景のある子だった、と思いますし、なにより。
早乙女博士、お前子供いたのかよ!!!!!
妻のことも子供のことも道具としてしか扱っていなかったのかよ!!
ずっと独身だと思ってたわ、いや独身なのは間違っちゃいないけど、でも、ええ!? 子供いるんかよ!!!!!
ってかやっぱりひっでえやつ!!!!!
自分勝手にもほどがあるし尊厳も何もない実験しやがって!!!!!
となりました。はい。
早乙女博士の一人息子、という、これまたNPCと関連のある人物であることが分かってびっくり仰天しつつも、まあ、小沢瞳子に触れたなら早乙女博士に触れない理由もないし、と納得した記憶もあります。
全NPCに触れて背景を深堀りしていくの、とてもむつ―さんらしい感じがしてとても好きです(めちゃくちゃ勝手な感想すぎる。ごめんなさい)。
きっと、彼の中には深い後悔が刻みつけられているのだろうと思います。深い後悔、後悔なのかな。自分を責める気持ちもきっとたくさんあって。役に立てなかった、気付けなかった、助けられなかった――。うまく言語化できないけれど、きっとそんな気持ちが。自分のことをお荷物だと、なにもできなかったと、そう思った瞬間もあったかもしれない。
だから、今度こそは役に立ちたい。
辛い思いをしている人がいるなら助けたい。
同じ後悔をしたくない。
もしかしたら、目の前で誰かが苦しんでいるなら――死にそうになっているなら、代わりに自分が、とすら思っていたのかもしれない。
最初に抱いた「おちゃらけている」彼の印象は、彼自身が語っているところでもあるけれど、あえて彼がそう振る舞っているだけの――本当の彼のキャラクターではなくて。多分。
だから。彼が最後にタブーに変身していったのも、納得できるけど、彼ならそうするだろうとは思うけど。
でも、御巫千聡にも、生きて、幸せになってほしかったな。
そんなことを、どうしても思ってしまう。
ここまでいろいろだらだらと書きましたが、最後、彼自身の独白に、今まで書いたようなことがしっかり書かれているんですよね、実は。
狂気に飲みこまれそうになりながら、三上ひとみのことを考えて、母親のことを考えて。そして。
この2行で、私はもう言葉が出てこなくなってしまって。
なんというか、いろいろな意味で「適性」のある人だったのだろうとも思ってしまうし、最後の最後で自分のことを少しでも誇りに思えたのかなとも思うし、なんだろう、上手く言えない。
けれど、死ぬ直前、あるいは正気を失う直前。
御巫千聡は、幸せだったかもしれない、と思いました。
ようやく、誰かを守れた。誰かの役に立てた。
そんな思いが、もしかしたら、あったかもしれないな、と。
そして最後、小沢瞳子。
彼女についてはいろいろ言いたいことがあるし、一番考察をしたくなると思ったので最後に持ってきています。
異様なほど、幼い頃から頭脳明晰。アンノウンこと三上ひとみのDNA因子を取り込んだことでなぜか若返ってしまった唯一の人物。そして――。
……えーーー!?
小沢瞳子、何者なの?! ってなるじゃないですか。私はなりました。
ここの部分を読んで、私が急に鮮明に思い出したのは、先日PARCOで開催されていた『傀逅展――渋谷、邂逅。』(いや渋谷でも大阪でも名古屋でもいいのですが)で販売されていたポストカード、そのうちの、ネタバレ防止にと公式では絵柄が伏せられ続けていたイラストのうち1枚。
小沢瞳子がRIDEシステムを担いでいて、攻撃を受けたのか服や皮膚が裂け、眼鏡も割れている、躍動感のある1枚。
このポストカードを手に入れた最初は、躍動感や迫力があって美しい1枚だな、くらいにしか思っていませんでした。そう、最初は。
けれど、このイラスト。
よく見たら、彼女の髪の毛の隙間から、無数の赤い目が覗いているんですよね。というか、よく見ると皮膚もひび割れていて、その隙間から赤い虹彩が覗いているんです。彼女自身の目も、左右でなんだか雰囲気が違うし。というか、皮膚が硬いもののようにひび割れてぽろぽろと崩れ落ちそうになっているってどういうことなのか。
――彼女は人間ではないのか。人の姿をしてはいるが異形のものの血を引いているのか、ミ=ゴ襲来の際に殺されたり連れ去られたりしなかった代わりになにか改造でも施されたのか、なんなのか。なにか攻撃によって化けの皮が剥がれたのか、それともRIDEシステムの影響なのか。このイラストの意味は、無数の目玉が、ひび割れた皮膚が意味するものは、一体なんなのか。
そんな疑問を覚え、考えようにもヒントがなさ過ぎて考察をやめていたその矢先に、この文章が放り込まれたわけです。
小沢瞳子が何者で、どうしてDNAが人と10%も違うのか。あのイラストも含めて、考えてみたくなってしまいます。いや、イラストとこの物語が関係あるかどうかなんて、分かりようがないのですが。私の勝手な妄想で勝手に結び付けているだけなのかもしれませんが。
でも、よくよく考えてみれば、小沢瞳子が「人ではないかもしれない」ヒントって、TRPGシナリオの方にも少しだけあると思ったりもして。
シナリオブックの戦闘データを確認するでもいいですし、ルルブを持っている方であればルルブを見るのでもいいのですが。イグって人間と比べてしまえば耐久力も高いし装甲も結構あるし、なにしろ攻撃力も命中率も高い。それに対してD-2は、細かいデータこそないものの「とても異星人や神々から守れるようなスペックは叶わなかった」という注釈がシナリオブックに書かれています。武器の攻撃力なら数値が書かれていますが、やはりD-4と比べてしまうと弱いし、イグの耐久力や装甲のことも考えると、与えられるダメージは微々たる量。そもそも命中率も低い。つまり、明らかな劣勢。
なのに、死なずに戦い抜き、探索者たちにD-4ドライバを託すことができた。時間を、稼げた。それって、多分、ありえないくらいにすごいことで。
小説版でも、小沢瞳子はイグにD-4でも受け止めきれない(からこそきっと、あの場面で変身解除が起こったのかな……とも思ったりしました)力で握りつぶされかけていたわけですが、全身の骨が砕けていてもおかしくない(実際、骨が折れている描写があった)のに、その直後、よろめいてはいても自分の足で立って歩いて、梯子を上れているし。最初に読んだ時(つまりまだDNA云々の話が出ていないとき)ですら、なんでこの人は自分で歩けてるの……? とかすかに思った記憶があって。
彼女は、いったい何者なのか。
考察をしたくなる物語でした。
おまけみたいな扱い方になってしまい申し訳ないのですが、ヨーナスも。
TRPG本編では、登場が一瞬すぎて性格もなにも分かったものではないのですが、小説版では小沢瞳子と話す様子から、ほんの少しではあるもののヨーナスの人となりが見えたような気がして嬉しかったです。
――さて、感想と考察という名の私の妄想に近い思考語りはこれにて終わりです!
さっぱりと読めるのに、奥深くて読みごたえがある。
一言でまとめてしまえば、それが私の小説版『壊胎』に対して抱いた感想、印象でした。
そして、Twitterの宣伝文句にもあったように「小説でしか読めない」物語。なぜなら、TRPGではNPCがPCになることはないから。NPCは、non player characterの略――プレイヤーキャラクターではないとはっきり明示されているのです。当たり前の話、ではあるのですが。それを小説という媒体にすることで可能にしてしまうのは、あまりにも強いな、と思いました。
小説という媒体でTRPGのNPCの深堀りをしていく。いいな、これ。私もやりたいな、と思いました。――その前にわたしはシナリオを書くところからはじめないといけないんですがね!(進捗はゼロ)
最後に。
なんでこの記事に「賽を投げられたような気持ちの、」なんていうタイトルをつけたのか、という話なんですが。
「賽を投げる」の意味合いって、「賽は投げられた」という言葉から「もう後戻りできない、もはや進むしかない」という風にとらえられることが多いと思います。
けれど、これは本当に単純に、「サイコロを投げる」という意味合いで、今回の私は使っていて。
TRPGでよく見る場面だと思うんです。
――ダイスを振る。図書館か、目星か、知識か、アイデアか。とにかく、なにか情報が出るようなダイスを。
『――成功。では、情報を出しますね』
そしてKPからとんでもない情報を突きつけられて――。
あるいは。
KPがダイスを振る。敵の行動を決めるために。
『攻撃方法は……噛みつき。――成功』
強大な存在からの攻撃が、いま、まさに自分に襲い掛かってくる――。
……みたいな。
サイコロを振ったことにより結果が出る。その結果を受けて、さて、自分はなにを考え、どう行動するのだろうか――?
読了後に感想を書こうと決め、この記事のタイトルを考えようと思った私は、そんな気持ちに近いような感情を抱いていました。
原案・監修を務めたむつーさんに、小沢瞳子や三上ひとみ、御巫千聡についての情報を小説という媒体を通じてどん、と出されて――賽を投げられて、その結果が出て。
『さあ、あなたはどんな風に考えますか?』
そんな風に、TRPG Ver. の立ち絵のような笑顔で、問いかけられているような。
そんな気持ちになった私は、その感情をそのままタイトルにしたわけです。「賽を投げられたような気持ちの、」と。「、」でタイトルが終わっているのは、胸がいっぱいになって、いろいろ考えたくて、けれどうまく言語化できない「なにか」を無理になんとか伝えようと思った結果です。
――という風に明文化すると、とんでもない妄想をしていることが分かりますね。ごめんなさい。恥ずかしい。今すぐ消したい(消さないけど)!
なんでこいつはこんなタイトルをつけたんだ、と思われそうなので一応書いておきます。はい。
ってかこれ、Twitterの感想企画に出すのでもしかしたらご本人に読まれるかもってことですよね。そうでなくとも読まれそうな気がするのに。本当に恥ずかしい。失礼なこと書いていたら本当にごめんなさい(土下座をしながら)。私が感想を書くのが得意ではないと思っている理由のひとつが、感想ではなく考察になりがちで、感想や考察が正しいかどうかが分からず作者様に失礼になっていないかと思うと安心して世に出せないからです。こういうしっかりとした感想を書くたびに不安になっている。
さらにそもそもの話をしますけど、noteってワンクッションツールなんですかね?? だいぶクッションは置いた気がする(Twitterには直接書かない、ネタバレタグをつけている、ネタバレ部分に行くまでにだいぶ空白を開けつつ注意喚起をしている)のですが、これって安物の薄っぺらいクッションをいっぱい重ねただけでワンクッションになっていないってことないですかね。どうかワンクッション扱いになっていますように。
さて、いまの文字数は約10,000文字。頭おかしい。もう少し短く分かりやすく書けるようになりなさい、私。というかそのくらいの分量を創作方面でも書きなさい、私よ。
こんな長々しく読みづらい文章を最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
では、またどこかでお会いしましょう。
秋本そら