寄り道、遠回りもたまにはいい。
いかに近道を通って、駅まで行けるか。
毎日、ぎりぎりで行動してしまう私は、なるべく近道、そして早歩き。
行動面では、「せっかち」だけど、生き方はそうでありたくない と最近思う
私は、ネタバレが嫌いだ。私の友達は、ネタバレあり派。漫画や映画を観る前に、結末を見て安心してから早送りで観るらしい
私は、プロセスが好きなのだ。人物の心情の揺れ、感情の起伏、些細な描写に触れていたい。世界観に浸っていたい。
本屋に行くと、「短時間で〇〇できる!」だとか「効率の良い○○」、「たった1っか月で○○」というタイトルがたくさん目に入る。
実際に 現在進行形で英語学習に苦戦している私からしたら、短期間で習得できるそんな夢のような方法があったら すぐに飛びつきたい。というか実際に貪り読んだ。
答えが分かんないから、私は今 悩んでいる。彷徨っている。
目の前にある道が枝分かれしている。しかし、「選択」を恐れ、その場で足踏みしている。足踏みを続けるとだんだん疲れてくる。
その一歩が踏み出せない。この一歩でなにもかも変わってしまうと思うから。選択しなかった道にはどんな風景が待っていたのか気になるから。
誤った道を選びたくない。失敗したくない。なるべく早く、自分に合った道を歩みたい。
そう考えれば考えるほど、足踏みが長くなる。
焦る気持ちだけが先行する。答えを求めているんだ。究極に。欲している。
でも立ち止まって考えてみると疑問が生まれる。
なぜ、そんなに効率重視に行き急ぐの?結末をしりたがるの?
答えをすぐ求めるのではなくて、問い続ける人生もありなんじゃない?
答えがすぐ分かったら、つまんないじゃないか。
ハッピーエンド、バッドエンドとか言われるけど、完全に終了を表しているのではないと思う。物語には必ずその先があるはずだ。全てが答えの分からない途中だ。
答えが分からない状態を肯定したい。
だから、寄り道、遠回りをして人生を探検することにした。
早く辿り着くことよりも、問い続けながら味わっていきたいから
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