アネモネ

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最近の記事

完璧主義の弊害

上にもあるよう、完璧主義であるがゆえに、身の上に起きる弊害を、完璧主義者であると最近気づいた私が述べる。 黒白、0か100かという極端な考えを持っている どうせやるなら、完璧に仕上げなくては そう考えれば、考えるほど、もちろん上手くいくはずがない 自分で自分に不必要すぎるプレッシャーをかけているのだから 表面的には、「良いものを」「自分のベスト」をと、現状に満足しない貪欲さは評価できるかもしれない。 しかし、疲れてしまった。「少しくらい手を抜いても大丈夫。」「肩の力

    • 私の中にいる子どもの心。

      おはようございます。 大学生の皆さんは、春休みをいかがお過ごしなのでしょうか。 タイトルどおり、私は大学3年生の春休み、おしゃれなカフェに行こうとして向かっていたのにもかかわらず、その道にあった公園に目がとまり、友達と公園で遊びました。(幼稚すぎる私に合わせてくれて感謝感謝。) 周りの目をすぐに気にする私を変えたいってずっと思ってたけれど、変わる必要なんてないのかも。 「やりたい!」ってどんな小さな感情でも、自分の心にいる子どもの自分の意見を聞いてあげればいいだけ。(と

      • 就職するか、しないか の二択ではない

        春休み。楽しみたいのに楽しめない。周りが就活準備で忙しい。 わたしの大学3年の春休み。 「とにかく行動」というけれど、そのエネルギーがなかった。 充電期間も大切だ!!! どんな春休みにしたいのか、数日間 家にこもって考えてみた。 私の本音は? 世間体を気にして、就活をしようとしていないか? 本当にやりたいことから目を背けてないか?やるまえから、無理だと考えているのではないか? 心に蓋をしていないか? 教職課程を取っている私は、教員になる道もある。大学3年の5月ごろ

        • 「好きだった趣味も楽しめなくなった」とき、自分の中の裁判官の存在に気づいた。

          あんなにも好きだった趣味も、「なんのためにやってるんだっけ?」「なんの意味があるんだろう」と考えてしまうことがある ひとり時間が大好きな私は、好きなこと、やりたいことがたくさんある。 周りの友達がみんな、未来に向かって励んでいるというのに私は何をやっているの?と こんなことやっている場合じゃないんじゃない? お気楽で「ケセラセラ」と考えたい私 と 「世間に置いて行かれるよ」と焦らせるせっかちの私。 どちらもが、私の耳に同時に囁く そうして、世間体を気にして、立ち止

          さぼる選択

          月曜日の1限から5限は、もう、気力がなくなる 毎週憂鬱だった そしてついに、今日、3限目が終わると 「あ、もう、帰ろう」 プツンと何かがきれた。 出席数大丈夫だし、さぼっても。。。 さぼることを良くないことと思い込み、避けてきた生真面目な私。 休むのも選択のうち! 駅へ向かう。 言い聞かせているものの、やっぱりどこかでもやもやする やっぱり行った方がよかったかな もう少しで今学期終わるのにな。もう少し踏ん張るべきだったかな 休むことができないのだ 自

          さぼる選択

          雨に耳をすませる

          “雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見て、 夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。 五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。” これは私のお気に入りのエッセイ『日日是好日』に綴られていることば。 雨の音に耳をすませる。 目を閉じて全身を預ける。 目の前には、大自然の緑が広がる。 葉につたる滴。流れ落ち、違う葉へうつってゆく。 漂う、湿った土の香り。 水の煌めき。緑の芽生え。 濡れた風が肌を撫で、葉が重なり合う。 雨が自然を繋げてゆく。そうして、私とも繋がる。 五感

          雨に耳をすませる

          「リセット」

          何かをリセットしなければ、新しいことに進めない 昔から断るのが苦手 だから バイトを辞めるのはもちろん、誘いを断るとか些細なことにも体力をつかう  人の気持ちを優先しすぎてしまう でも、私は私の選択を大切にしたい 自分の本音と向き合うと決めた 自分の気持ちを置き去りにしてまで無理する必要はない 自分より他人を優先すると、自分の生活がどうでもよくなる メイクも面倒くさいし、服はどうでもいい  大学行くのも面倒くさくなった時期がある  こもりたかった 部屋の布団でず

          「リセット」

          躓いて転んでも、また起き上がる

          踏ん張る力。起き上がる力 そのエネルギーを当たり前のように持っていた高校時代の自分を振り返った 嫌だ 疲れた もう無理  そう思ってからの「もう一歩」  間違えだらけ失敗だらけの 私の日常 「失敗=マイナス」 なイメージだった でも、振り返ってみると 失敗は、自分の能力のなさを表しているわけではない 失敗、間違え、できないことは自分の弱さの証明ではないのだ。 できないこと、弱さ 自分の弱さを認めることから避けてきた 弱いことを自分で認めたくなかった  どこまでも沈

          躓いて転んでも、また起き上がる

          そもそも「モチベ」に頼るな自分

          完璧主義が行動に与える悪影響。(個人的に) 取り掛かる前に時間がかかる。こと 失敗が怖いから、成功ラインを高く設定する。やる前から、いかに「良い出来にするか」「効果的か」をあれこれ考えて、取り掛かる前に疲れてしまう。でも奮い立たせることで、余計に疲れている。モチベーションが続かない。。と。 そして、なぜ続かないんだ?と考えて考えまくってという悪循環。 考えている暇あったら、手を動かせ!!と言いたい。 最近 試して効果があったのは、 ➡1分だけやろう。とりあえずやる。

          そもそも「モチベ」に頼るな自分

          本屋という存在

          私にとって本屋さんは、「幼い頃よく探検した場所」に似ている。 なにも目的がなくても、なにか待っている気がする でもその「なにか」はわからない わからないけど、その道を進んでゆく この先には何が待っているのだろうか このわくわく感が 本屋という場所にはある だからその「なにか」を求めて本屋さんに行きたくなる なんにも見つからないかもしれない そもそも見つけようと思っていること自体、傲慢なのかもしれない いろんな扉がぎっしりと詰まっている 知らないことだらけの世界の一

          本屋という存在

          寄り道、遠回りもたまにはいい。

          いかに近道を通って、駅まで行けるか。 毎日、ぎりぎりで行動してしまう私は、なるべく近道、そして早歩き。 行動面では、「せっかち」だけど、生き方はそうでありたくない と最近思う 私は、ネタバレが嫌いだ。私の友達は、ネタバレあり派。漫画や映画を観る前に、結末を見て安心してから早送りで観るらしい 私は、プロセスが好きなのだ。人物の心情の揺れ、感情の起伏、些細な描写に触れていたい。世界観に浸っていたい。 本屋に行くと、「短時間で〇〇できる!」だとか「効率の良い○○」、「たった

          寄り道、遠回りもたまにはいい。

          恐怖の根底には

          前回の投稿に、「好きっていうのが怖い」と書いたが、この根底には 「嫌われるのがとてつもなく怖い」という感情が深くある 自分の存在価値というものについて考えてしまう。 ただいるだけでいいんだよ と自分に言いたい 誰かに言われたい  生産性を求め、成果主義が蔓延る社会の中 苦しさを感じる  だから生きるすべとして 八方美人を演じてしまう 久しぶりに目覚めてからも覚えている夢を見た。 親友をなぜか怒らせ、必死に謝っている夢 しまいには、謝るのがめんどくさくなって そもそも

          恐怖の根底には

          好きっていうのが怖い

          感情を表に出すのが苦手。なんでなんだろう。 本音を知られ、拒絶されると自分の存在をも否定されたと感じるから。 自分を自分で認められない私は、幼少期から他者に必要とされることで、自分の存在価値を認めてきたのかもしれない。 ただでさえ傷つくのが怖い。だから、傷つかないように、自分で自分を固いガードで守ってきた。 幼い頃から、曾祖母、祖父祖母、父母、の前で、子供っぽく無邪気にふるまったり、オーバーにうれしがったり、大人が喜びそうな自分のふるまいをして、とにかくその場その場で求め

          好きっていうのが怖い

          miraiはima「今」の積み重ねでしかない

          「今、どう生きるか」で過去の意味は変わることもある。 同時に、未来も、「今、どう生きるか」で決まる。 当たり前のようだが、このことを英語の勉強中考えていた。(集中できてませんね(笑)) わたしは、今、未来に囚われすぎている。将来が不安で不安でしょうがないのだ。「なるようになるさ」って思いたいけど、そこまでタフじゃないんです。 何かに熱中したい。打ち込んでいたい。何かに夢中になっている自分が好きだ。自分で自分の限界を決めたくない。人と同じことが嫌いだ。私は何者かになりたいの

          miraiはima「今」の積み重ねでしかない

          遠きに行くは必ず邇きよりす

          凡事徹底。当たり前のことをきちんとやること。 「小さなことを積み重ねることが、 とんでもないところへ行くただ一つの道」これはイチローの言葉。 他人と比べてはいけないと分かっているが、どうしても比べてしまう。私を取り巻く環境は、あまりにも雑音が多い。どれを拾うべきか、どれを捨てるべきなのか分からなくなる。とくにSNSとの距離感が私は上手く掴めない。 生活の綺麗な部分だけを切り取っていると知っているけど、あまりにもキラキラしていて、充実していて楽しそうで眩しすぎる。だから、私は

          遠きに行くは必ず邇きよりす

          失敗はネタになると思えば怖くない

          私は、自他共に認める「おっちょこちょい」だ。 「おっちょこちょい」。ちょこちょこって感じで耳障りはかわいらしいが、当の本人は必死なのである。 よく失敗をする。忘れるくらいたくさんの失敗をする。 「失敗から学びなさい」そんなこと知ってる。 まあいいのさ。うじうじしていても仕方がない。失敗してなんぼだ。このスタンスを保つために必死に自分に言い聞かせる。暗示も時には必要。 私は、ポジティブすぎる傾向もある。同時に、考えすぎるときもあり、ネガティブ方面に引っ張られることも。そして

          失敗はネタになると思えば怖くない