miraiはima「今」の積み重ねでしかない
「今、どう生きるか」で過去の意味は変わることもある。
同時に、未来も、「今、どう生きるか」で決まる。
当たり前のようだが、このことを英語の勉強中考えていた。(集中できてませんね(笑))
わたしは、今、未来に囚われすぎている。将来が不安で不安でしょうがないのだ。「なるようになるさ」って思いたいけど、そこまでタフじゃないんです。
何かに熱中したい。打ち込んでいたい。何かに夢中になっている自分が好きだ。自分で自分の限界を決めたくない。人と同じことが嫌いだ。私は何者かになりたいのだ。
成長は曲線ではなく、ほんとうに階段のようだ。
それも屈折部分に向かう途中
最近、という大学生になってから自分の成長を達成感??を全く感じられない。
大学の学部長賞をもらっても、趣味で全国大会出場しても、満足できない。あまり嬉しいと思えない。なぜだろうか。
なんか物足りないのだ。私は目に見える成果のために頑張っているのだろうかと疑問も感じはじめていた。
心の充実感が全くない。楽しくない。
そもそも、私は何に楽しいと感じるのだろうか。それも今はわからない。
自分の正直の気持ちがわからない。
いつも相手の理想の自分でいた気がする。その人が望むことを先回りして考え、表出する。顔をうかがって瞬時に判断する癖が自分を苦しめている。
苦しい。
でもこうも思う。そもそも感情はわからないもの。むやみに白黒と色をつけられないものなのではないかと。
「怒り」といってもマグマのような爆発した赤もあれば、誰かを鋭く睨みつけるような青もある。嬉しさの中にも、ピンクかもしれない、黄色?いや様々な色が混ざり合っていることも。
色って無限大?
悩んだ挙句、「私の感情はグラデーションなのかもしれない。」と思うことにした。今のところ。どの色も輝いていると思いたい。全色混ぜたら、真っ黒になるけど。(笑)
黒は暗いイメージ、ネガティブだと思っていた。
でも今の私はそう思わない。
黒って「何にも染まらない意志の強さ」を感じる。
そんな他人に左右されない、意志の強さ、
自分だけの「心が震える経験、没頭」を求めている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?