完璧主義の弊害
上にもあるよう、完璧主義であるがゆえに、身の上に起きる弊害を、完璧主義者であると最近気づいた私が述べる。
黒白、0か100かという極端な考えを持っている
どうせやるなら、完璧に仕上げなくては
そう考えれば、考えるほど、もちろん上手くいくはずがない
自分で自分に不必要すぎるプレッシャーをかけているのだから
表面的には、「良いものを」「自分のベスト」をと、現状に満足しない貪欲さは評価できるかもしれない。
しかし、疲れてしまった。「少しくらい手を抜いても大丈夫。」「肩の力を抜いてみたら?」
この言葉は、私にはなぜか通用しないのだ。
なぜか?
「妥協している」と自分自身で感じてしまうから。
中途半端、諦め、妥協。 嫌いなのだ。いつからなのだろう。
幼少期から、親や先生、他人の評価を気にして、
常に相手が望む自分でいようとした
この癖が今になって、足を引っ張る
「認められたい」「失敗したくない」が根底にあるのだと思う。
評価されることで、自分の価値を見出してきたから。自分自身が。
他者を変えることはできない。
自分が自分の見方を柔軟に変化させていくしかないのかもしれない。
完璧を目指すよりも、まず取りかかれ。適当でもいいから。5分でいいから、座れ。手を動かせ。とりあえずパソコンひらけ。
とりあえず、今のところはそう自分に言い聞かせている。
物事に取りかかるハードルをものすごく低くした。
でも惰性で動く、自分が嫌いだ。ふぅ。矛盾矛盾矛盾。
どう考え方をコントロールしようか、ただいま葛藤中