止まるな止まるな!進め進め!!
ーーー小説「行人」の中で、作者夏目漱石の姿をそのまま映し出したかのような登場人物「兄さん」。その兄さんと一緒に旅行をした友人が、兄さんの様子を主人公に知らせるために書いた手紙があります。
周りの人にもなかなか理解されず、孤独を深める「インテリ」の心の内を描いた一節をお届けします。ーーー
兄さんは書物を読んでも、理屈を考えても、飯を食っても、散歩をしても、起きている間何をしても、そこに安住することができないのだそうです。何をしても、こんなことをしていられないという気分に追いかけられるのだそうです。
「自分のしていることが、自分の目的になっていないほど苦しいことはない。」と兄さんは言います。
「目的でなくっても方便になればいいじゃないか」と私が言います。
「それは結構なことだ」と兄さんが言います。
兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ち着いて寝ていられないから起きると言います。起きると、ただ起きていられないから歩く、と言います。歩くとただ歩いていられないから駆けると言います。駆け出した後、どこまで行っても止まれないと言います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増していかなければならないと言います。その極端を想像すると恐ろしいと言います。冷汗が出るように恐ろしいと言います。怖くて怖くてたまらないと言います。
わたしは頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものがおぼろげながら目の前に浮かんできました。すると、兄さんにとってちょうどいい慰めの言葉が見つかったような気がしてきたのです。
「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと悟ればそれまでじゃないか。つまりそう流転していくのが我々の運命なんだから。」
兄さんは軽蔑した目つきでこう言いました。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まることを知らない科学は、かつて我々にとどまることを許してくれたことがない。徒歩から車、車から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてはくれない。どこまで連れていかれるかわからない。実に恐ろしい。」
「そりゃ恐ろしい。」と私は言いました。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差し支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないんだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ生きた恐ろしさだ。」
わたしは兄さんの言葉に全く嘘の混じっていないことを保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で舐めてみることは到底できないような気がしています。
(青空文庫 夏目漱石「行人」より)
常に後先のことを考えて行動できる人。
すべてを計算ずくで動かすことのできる人。
このような人は、現代社会では重宝されます。
「止まるな止まるな、進め進め!」という声が、そこらじゅうで聞こえてきます。時間を一分を無駄にしないことや、「馬鹿とはつき合うな」みたいな本が売れたりして、とにかく自分の24時間の器を最大限合理的に使用することが昨今の社会では特に求められています。
たしかに、ビジネスや経済の世界では、「計算」や「合理的な判断」が全てであり、ほとんどのことは数字で評価されます。
そのように過ごしていて楽しいのなら実に結構。
たしかに、ビジネスの機会をうかがってそれをやってみることはギャンブル的な楽しさがあります。
しかし、ほんのちょっとした余裕もない生活に嫌気がさしてくるときもーーーあるのではないでしょうか。
まあ、楽しけりゃ何でもいいや。
こんな価値観を、心のどこかにおいておく必要があります。
でも、この行人の「兄さん」のように、それさえも自分の中で許すことができないとしたらーーー
駆け出した後、どこまで行っても止まれないと言います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増していかなければならないと言います。その極端を想像すると恐ろしいと言います。冷汗が出るように恐ろしいと言います。怖くて怖くてたまらないと言います。
今日もお読みいただきありがとうございます。皆様の一日が素敵なものになりますように。