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2024年高速プレイバック
あけましておめでとうございます!
2024年は激動の1年でした。
アウトプットが足りていない!
一番大きな変化は春に病院勤めの作業療法士を辞めたこと。
高校までエスカレーター式に進学して、公立大学に行き、国家資格を得て、地方公務員扱いの病院に就職するという超絶安定ルートを走っていた私。(就職の際、バイトで無双していたバナナ売りになるかは悩んだものの)
生活環境も仕事スタイルも大きく変わりました。住むところも変わった。
この半年と少し、寄り道?まわり道?をしながら、今は「福祉」の世界に流れ着いている感じです。
書き始めると案外長くなってしまった。
大幅な省略と余分をはらんだ文章になってしまったけど、高速プレイバックとして感じたことベースで取り急ぎ残しておく!
超絶安定ルートを外れてみる
「なんで辞めたの?」と言われると回答が難しいし、正直先を決め切らずに思い切りで辞めた感も否めない。
職場の仲間も患者さんのことも大好きだった。間違いなく恵まれた環境だった。
ので、めちゃくちゃ葛藤もあった。
「せっかく今まで頑張ってきたのに勿体無い」と言われたりもした。
けれどなんとも言えない慢性的な閉塞感や違和感、ずっと「何かが足りない」と言う気持ちが拭えなかった。
自分を押し込めているような感覚があったり、心身擦り減らしていたところもあった。
仕事内容は好きだけど、どうしても自由奔放な自分自身のスタイルには合ってない(安定さと引き換えにいろんな制約がある、副業もあかん)、というか逆に5年も働けたのはこの職場だったからだと思う。
辞めるのって本当に勇気がいることだった。
リハビリ科の皆さんにも衝撃を与えたし、自分で言い出したことなのに寂しくて毎日泣いていた。
でもこの選択肢を後悔としないことが当面の目標。
キャリアブレイクしてみる
病院を辞めた時は創作活動で生きていくぞ!と思っていた。絵本作家になるという夢を密かに抱いている。
フリーランスで生きていけないかなと画策する。
海外に行って美術館をまわったりする。
マドリードで念願のピカソのゲルニカをみる。プラド美術館、バルセロナでサグラダファミリア、フランスのルーブル美術館、オルセー美術館..などなど。
オルセー美術館は世界で1番好きな美術館。やわらかい絵が多いので自然と隣の方が話かけてくれて打ち解けられる。子供達が地べたに座って楽しそうに先生のお話を聞いている。素晴らしい空間。住みたい。
美味しいものもいっぱい食べて素晴らしい時間だった。
あまりにもノープランで辞めてしまったのだけれど(ダメです)、
今までただの雇われだったので、考えたことがなかったのだけど、お金をハッピーに生み出す、そしてそれを継続させるっていろんな意味で難しいぞと感じる。
ありがたいことに収益化できているところもあったけど、そこに捉われると、本当にやりたいことからずれていくような感じも少しあったり。
あれ、自分は何をしたいんだ?と迷走モードに突入する。
何をしたいのか分からなすぎて(笑)、とりあえず、少しでも興味が向いたところに足を運んでみる。人の話を聞かせてもらう。時にはテレビで見た人に会いに行ったりもした。
そんな私の動きを「キャリアブレイクですね」と言ってもらったことがあった。
「キャリアブレイク」という言葉を当時の私は知らなかったのだけれど、離職・休職などを通じて一時的に雇用から離れ、人生と社会を見つめ直す期間のことで欧州では一般な文化。
良い肩書きを見つけた!と思った。
キャリアブレイクという概念を日本に輸入してくださった方には感謝している。
キャリアブレイク名刺を作成し、持ち歩く。200枚以上配りました(笑)
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▼キャリアブレイクについてはこちら参照
そんな感じでとにかく興味のあるところへ足を動かしていたのだけれど、いろんな方と出会って、話を聞いたり、時には一緒に活動・仕事をさせてもらう中で少しずつ価値観がアップデートされる感覚があった。
振り返った足跡でなんとなく自分の興味関心が浮き出てくるような感じはあった。
「ネガティブケイパビリティ」を取り込む
谷川嘉浩さんのお話を聞いたのがきっかけで「ネガティブケイパビリティ」という言葉を知る。「スマホ時代の哲学」はマイバイブルの仲間入り。
ネガティブケイパビリティは「自分の中に安易に答えを見つけようとせず、把握しきれないモヤモヤをそのまま抱えておくことで、そこから新しい何かをどこまでも汲み取ろうとする姿勢のこと」を指すのだけれど、圧倒的に自分にはこれが無かったなあと気付く。
似たような考えや見方をぐるぐるループさせ思い詰めた果てに得たものを「自分の声」と誤認したり、「自分の心に従えば最善の道が見つかるはずだ」という想定の下で、複数の自分同士の対話や葛藤を抹消してたなと気づく。
それに気づけたのが大きかった。
なんだか「本当にやりたいこと」がたった一つの真実としてどこかに必ず定まるはずだと暗に想定していたなと思う。
でもそれって自分の多様性を押し殺していたなと。
自分の心の中に答えを探しまくっていたけど、見つからない理由が分かった。
他人の思考を借りるってとっても大事だ。。
白黒はっきりさせたい方だったし、謎に部分的に完璧主義なところもあったのだけど、いやそう簡単に割り切れないところが人間の美しいところでもある、と思えるようになってきた。
ネガティブケイパビリティという眼差しを自分の中に取り込む中で、「他者の想像力を自分の分かる範囲に落とし込み、自分みたいな想像力に塗り替えてしまわないようにすること」、「知識だけではなく、それがどんな場所で、どんなふうに使われるかということを身につけること」は学ぶ上で大事にしている。(が、これはめっちゃ難しい)
「ミーツ・the・福祉」にミーツする
さてそんな迷走している間に、「ミーツ・ザ・福祉」でプロジェクトマネージャーとして関わらせてもらいました。
株式会社ここにあるの藤本遼さんの計らいです。本当に感謝です。
▼ここにあるのメンバーとしてコミットさせてもらっています!
「ミーツ・the・福祉」は尼崎市で元々「市民福祉のつどい」として障がいや、障がいがある人たちへの理解を深めるという目的で行われていたイベントをNPO法人「月と風と」さんと「株式会社ここにある」が引き継ぐ形で2017年からリスタート。毎年3000人くらい来るんです。
障がいのある人だって笑いを取りたい、じゃあ新喜劇にしちゃおうという「ミーツ・the・新喜劇」をはじめとしたステージ、出店、色んな方々が関わってアイディア出しから始まる企画コンテンツなど・・とにかく器の大きい、良い意味で福祉らしからぬ福祉フェスです。
「誰やねんお前」と言われてもおかしくなかったと思うのだけれど、新参者の私を受け入れてもらって、色んな方とミーツして、(本当にびっくりするくらい色んな方が関わっている)そこで得た経験や関わり、障がいの有無とか「支援する」「支援される」が溶けた素敵な光景の縮図をみたのが、すごく刺激的だったし心地が良かった。
この光景を広げていきたいなと思った。
「何かが足りない」の正体
そんな諸々の経験や学びの中で気づく。
病院勤めの時代、「何かが足りない」という気持ちは、「モヤモヤ」「消化しきれなさ」に取り組んでいないことからくる不安からくるものだったこと。
「福祉」とか「ケア」というものに触れることが、自分自身の原体験を振り返るきっかけになった気がする。そして自分の心に痛手(消化しきれていないこと)を負っていたことにも気づく。感情的に同じようにずっと悲しいとかではないので、うまいこと忙しさとか充実感で覆い隠されてたなあと。
そしてちょっぴり複雑な親戚関係なのだけれど、それがただ仲の良し悪しとかいう問題だけでなく、障がいのある従兄弟がいたり、家族から孤立している祖父がいたり、「家族の仲の問題」と捉えてたことが、一歩離れてみると、いろんな社会課題につながっていることに気づく。そしてそれを支えてくれていた家族以外の方の存在に改めて気づく。
気づいてなかっただけだなあということがいっぱい出てきた。改めて周りの人への感謝が尽きない・・。
そういえば病院にいたときは「福祉」ってあんまり意識したことがあんまりなかった。
「医療」と「福祉」は切り離せないものだと思うけれど、アプローチが違うところもあると思うし、少し壁があるところもある気がする。
そもそも病院の外の世界まで気がほぼ向いていなかった。。
リハビリは実は近いところにいるはずなのだけど、私自身未熟で、退院後の個人の役割とか家屋環境や制度を使ってなんとか、みたいなところまでで、社会の枠組みとか、制度からこぼれ落ちるところまであまり目を向けたこともなかったなあと。
病院の中だけだとどうしても「医療」的な視点が中心になるけど、そこから少し離れることで人が生きる環境全体とか、社会の中での支え合いみたいな「福祉」の視点が少し見えてきたのかもしれない。
そして自分も苦しい時にとってもケアされていたなと改めて思う。
弱みを見せるの苦手なのだけれど、周りにいてくれた方は私自身が見えてないところも見えていて、でもそれを丸ごと受け入れてくれていたな、と思う。
そんなありがたい存在に支えられて、私は生き延びてきた。
私はとっても恵まれていたと思う。
恵まれない人たち、というとなんだか嫌な表現だけれど、世の中の機会って平等じゃない。障がいがあったり、年をとったり、病気をしたり、経済的な問題で、環境のせいで、そういうことを考える余白も余裕もない、気付けないし、気付いたとしても、どうしようもない、みたいなことがある。
痛手を負っても声を上げられなかったり、それが許されなかったりする。
メンタルヘルスとかも含め、なんかそれが個人の問題としてだけで処理されてしまうことがある。距離を取ろうとすると無責任だとか逃げてると言われたり思われたりする。
改めて、自分や自分の周りの人が、未来に希望を見出せないような、孤独や寂しさにまみれた社会はめっちゃ嫌って思う。
孤独な気持ちのまま、命が消えていくのはあまりにも悲しい。
分断も無関心も寂しい。なんなら専門性も時に寂しい。
けど大なり小なり、つらい経験や困った経験は、誰の中にもあるし、うまくバネに変えると、思いがけず人を救ったり、社会にインパクトをもたらすかもしれない。
そこに工夫や関わりしろを持たせると、いろんな人が楽しみながら新しいアイディアや価値観を生み出せたりするかもしれない。その過程がめっちゃケアにつながったりするかもしれない。
なんとなくぼんやりビジョンが浮かぶ。
自分の企画書を持ち歩くと良いよ、可愛いのが良いよと教えてもらうことがあった。早速スライドにしてみる。
▼ぼんやりビジョン(2024夏バージョン)
このぼんやりビジョンをおもしろがってくれる方のおかげで私の世界がまた広がる。(企画書持ち歩くのは本当に良いみたい!)
タクトケアサプライ株式会社の平野浩希さんのイベント事業を一緒に運営させていただいた。
自分のしたことのない経験をたくさんさせてもらう。かつてなくSNSを駆使して人を巻き込んだ気がする。自分が声をかけた方がステージに立てて良かったと言ってくれたのが一番嬉しかった。
絵を使ってもらったのも嬉しかった。(自分の描いた絵がこんなに大きく使ってもらえたのは初めて!)
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サービス付き高齢者住宅施設にも関わらせてもらっている。そこで働く皆様も、本当にポテンシャル高くて尊敬できる方たちばかり。
本当に人には恵まれている。。
良かったら会ってみましょう、とかzoomしましょう、とか交流会に呼んでもらったり、このあたりから更に色んなつながりが増えた気がする。
世の中には本当におもしろくて刺激をもらえる方がたくさんいる。
まとまらない「まとめ」
そんなわけで、私はめっちゃ自分自身が無力だなと感じていたのだなあと自覚し、その上で「でもきっと私も無力な存在ではない」「こんな私でも社会をちょっぴりでも良い方向に変えられるかもしれない」と思えるようになってきた。
主体的に生きられるようになってきたら人生がおもろくなってきた、という感じ!
間違いなく今が1番楽しいし、生き生きしていると思う。
ただ気づくと仕事に追われすぎて、余白を失いかけていたので色んなバランスは測っていかないと、という感じですが。。
これからもハッピーな循環を生み出したいな。
そして障がいがあったり、高齢だったり社会的なマイノリティみたいな、生きづらさを抱えた人がより主体的にとか、安心して暮らしていける世の中にしていくような仕組みづくりみたいなところを、常識や風潮みたいなものにとらわれず、仕事と日常を溶かしながら楽しくやっていきたいという感じです!
アウトプットとしてイベントという形になりやすいのかもしれないけれど、別にイベント屋さんをしたいわけではないのでニュアンスが難しい。
日常まで落とし込めたらいいなあ。
社会的処方とか、医療福祉×クリエイティブ的なことを展開しつつ、社会を良くする一員でありたいです。
人を幸せにできる人が幸せだと思っている。
だから人を幸せにしてあげられる人を増やすことが私のミッションかもしれない。
頭があまりよろしくないので、難しいことを考えるのが苦手だし、自分の考えをまとめたり、言葉にしたりするのも苦手。でも、だからこそ周りのハードルを下げたりできるかもしれない。
ゆくゆくは絵本作家とかもやってみたいと思っているので、ええ感じに創作もしたい。(今は一旦置いておく)
ありがたいことに一緒にやりましょうとお声をかけてもらったり、素敵なお仲間に出会えて世界が広がっています。
病院をやめてから関わらせてもらっていることは、小さいことから大きいことまで、やったことないことばっかりだし、正解がなかったり、前例がなかったりすることだったりする。
うまく出来ないこと、恥ずかしいことがあまりに多すぎて、日々打ちひしがれているけれど、根本的なところでは「自分の存在にも価値がある」ということが信じられるようになってきたし、他人の評価に振り回されにくくなったので、じわじわ強くなってきたかもしれない。
縁があってつながった全ての方に本当に感謝です。
私一人ではスタート地点にも立てなかったので。
日々いろんな役割や機会、チャンスをもらえて幸せです。
フリーダムにクリエイティブにクレイジーに生きていきたいですね。
「ありのままでいいけど、そのままではだめ。」という言葉がしっくりきています。
なんだかまとまらぬ文章になってしまっているけど最後に・・
仕事を辞める前と後で関わっている人がびっくりするくらい全然違う。
去年の今頃はまだ病院にいたと思うとちょっと不思議な感じがする。
今周りにいる人たちは私を職場で呼ばれていたあだ名である「むーさん」と呼ばないし、違和感なく「本間さん」なのだけど(むーさんは旧姓の「うえむら」を文字って上司が名付けてくれた)
やっぱり私の活動のベースには「むーさん」として仕事をさせてもらっていた、病院の、あのリハビリ室で過ごした私がいるなと。
とりわけ力を入れていた、急性期の総合病院という枠組みの中で独自の取り組みとして行なっていた院内デイの「ハイカラ倶楽部」で感じ取っていた、あの奇跡が起きたりする場が、いきいきとする場が、大事なこととして最近感じとっていることとリンクする。(うまく言語化しきれないけど)
大学の先生と研究させてもらった統計結果に今となって考えさせられるところがある。
退職とせず「卒業」として送り出してくれたリハ科の皆さんには一生感謝して生きる。
本当に改めてこの上なく素敵な職場で働かせてもらっていたと思う。
病院時代に限らず、一緒に何かを取り組んできた方とは、きっとずっとお仲間でいられると思っている。
所々不義理で申し訳ないと思っているし、どうしても直接恩を返しきれない人がたくさんいる。
恩送りでどうにか報いたいなと思う。
抽象的だし、的を得ない文章になってしまったけれど、もう少し具体的なところこまめにアウトプットしていこう・・。
ということで!(?)おもしろいことしていきます!
巻き込み、巻き込まれ、楽しくおもしろいことして生きていきたい!
多面性を持っておもしろいこと、嬉しいことで食べていきたいですね!
半年と少しでこれだけ言ってることが変わるので、また来年は全然違うことを言っている可能性があります。
それでも、私もこれから頑張る若者に美味しい焼肉を好きなだけ食べさせてあげられる人になりたいですね!
これは間違いない!
今年もよろしくお願いします!