人間関係における生きづらさ
noteは自分の心と対話するためのツールとして使っています。
前回はセクシュアルマイノリティであることが自分の心を占める大きな部分かと思って書いたのですが、あらためて考えるとそれだけではない。
人間は年を取ると男性ホルモンも女性ホルモンも分泌が少なくなるもので、どんどんセクシュアルな存在ではなくなっていくから。
流行りの言葉でいうなら、ノンバイナリーでXジェンダーな自分であることもアイデンティティの一部であるのだけれど。
今回は内向性について書こうと思う。
人と接することにストレスを感じる。
そう書くと人間嫌いのようだが、そんなふうにも思っていない。
人間には興味があるし、誰だって人間関係には大なり小なりストレスを覚えるだろう。
そのストレスの度合いが高い。
これには2つの側面があると思う。
一つは、私のメンタルが弱くて、ささいな摩擦にも強いストレスを感じている可能性。流行りの言葉で言うならHSPか。
もう一つは、私にASDやADHDの気があって、人と接するときに必要以上に摩擦を引き起こしている可能性。昔の流行りで言えば発達障害。
メンタルクリニックには行ったことがないので厳密にはわからない。
というか、人間関係でストレスを感じない人などいないのだろうから、すべては相対的なバランスにすぎない。
ストレスの一つ。
なぜこの人はこんなことで不機嫌になるのだろうと思うことが多い。
相手は「普通はこうでしょう」とか「常識的に考えて」などと言ってくるのだけど、そんな「普通」や「常識」が自分の中にはないので、その時点でわりとコミュニケーションが成り立たなくなる。
ここにも2つの側面がある。
一つは、私が「普通」や「常識」といった暗黙知を感知しにくい性質である可能性。
もう一つは相手が頭の中に構築している世界観が狭い可能性。
そういうことを言ってくるのは40代以上の男性が多いのだけど、おそらく年齢や性別のせいというよりは、そういうことを言えるだけの自信と立場を手に入れただけで、若い人でも女性でも同じような人は多いのではないか。
それだけ俯瞰できるのであれば、他人の言う事なんて気にしなければいいようなものだが、その人と今後もつきあっていかねばならないと思うと気が滅入る。
そんなことの繰り返しなので人と接することがおっくうになる。
こんな自分によくパートナーや友人が離れずにいてくれるなあと感謝している。
こういうのを内向的というのか偏屈というのかよくわからないのだけど。。。
セクマイとは別に私を構成する要素の一つなので書いてみた。
マイノリティ気質という面では相関性があると思う。
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