私たちはまだデジタルとアナログの違いを知らない
こんな人に会ったことはないだろうか?
「デジタル化って便利だよね。むかしは好きなミュージシャンのCDを一枚一枚買って音楽聴いていたけど、今はサブスク配信でいろんなアーティストの曲を好きなだけ聴けるようになったじゃない?」
「CDはもともとデジタル音源ですよ。サブスク配信ができるようになったのはレコード会社がそれを許可したからで、単にビジネス構造の変化です。アナログレコードからCDへの移行ならデジタル化といえるでしょうね」
いる。
私はたしかにこういう人を知っている。
言っていることは正しい。
アナログは情報を連続的なデータで表現し、デジタルは0と1の2進数のような数値で表現したものだからだ。
だから音をそのままレコード盤の溝に刻めばアナログ音源だし、コンピュータで処理すればデジタル音源になる。CDはすべてデジタルデータだ。
しかし、そうじゃない。
情報処理技術の教室ではなく、日常会話で交わされるアナログとデジタルの違いはそうじゃないのだ。
日常会話では、アナログは目で見たり手に取ったりできる物理的なもの、デジタルはその逆で、目で見たり手に取ったりできないデータの意味で使われている。
だから、レコードもCDも物理的に場所をとるからアナログで、配信はデータだからデジタルという理解になる。
CDもデジタルデータなのだが、データが銀色の円盤に焼き付けてあるからアナログだと思われている。
配信だって最終的にはPCなりスマホなりの物理的なメディアを経なければ再生できないのだが、通信技術の進化でデータの移動が容易になったため、アナログのイメージがない。
デジタル化によって便利になったことはたくさんある。しかし音楽に関しては、半導体の小型化やデータ通信の高速化、そしてビジネス構造の変化のほうが効果が大きい。もちろん、その前提としてデータのデジタル化がある。
音楽のサブスク配信が始まったことによって生活がいかに便利になったかは、あらためて言うまでもない。
膨大なスペースを必要とする円盤のコレクションが不要になり、生活がスリムになった。
さまざまな音源を気軽に楽しむことができるようになり、自分の感性に合うものを探しやすくなった。
入手困難な作品が聴けるようになった…サブスク配信を始めた事業者と、楽曲の利用を許可してくれたレコード会社と音楽家には感謝しかない。
それはそれとして、言葉の定義に厳格な人はなぜ生まれるのか?
情報学部で学び始めたばかりで、気負っているかイキっている学生であればまだわかる。
だが、社会人にも普通に存在する。
たいていの場合、彼らには悪気はない。
他人の間違いを指摘してマウントをとろうという競争意識も感じられない。
ただ、誤った言葉の使い方が許せないのだ。
許せないというより気になってしまうのだ。
正しておかないと、その先の話が展開できないのだ。
そう、彼らはまさにデジタル人間。
連続したデータであるアナログ情報は、たとえ一箇所に間違いがあったとしてもノイズとして処理されるだけで読み取りに問題は起きない。
だが、離散データの集合であるデジタル情報は、一箇所に間違いがあると、その周辺のデータがすべて読み取れなくなることもある。
デジタル人間にとって、会話はすべて建設的な議論であり、お互いの使う言葉の定義に齟齬があってはならないのだ。
そうなんだろ?
「どうかなあ? 人間の意識はデジタルデータじゃないから、言葉の使い方が完璧に一致することなんてありえないよ。ただ、本来はデジタルデータであるはずのコンピュータでも、生成AIの表現にはゆらぎがあるから、高度に発達したデジタルデータはアナログ表現と見分けがつかなくなるのかもしれないね。最終的には、この世界はすべてデジタルで表現できるようになると思うし、そうしたらヴァーチャル空間にもう一つの世界が作れて、誰もが身体的制約から逃れた理想の自分になれるんだよ」
デジタル人間は意外とロマンチストだった。