【異世界介護探訪記】 #1 宮崎駿の描く理想の保育園(前編)
どーも,ぶーちゃんです.特養で介護職員をしています.突然ですが,マガジンで連載を始めることにしました.題して「異世界介護探訪記」.介護の語りは目下,現場ベースのものが主で.現状だったり,愚痴だったり,コンプライアンスだったり,アフィリエイトだったりと,もろもろ閉塞感が漂っているので,ここではいっそのことフィクションをベースにして介護について考えてみたいと思います.映画やマンガや小説や絵画やイラストなどを素材に,そこで描かれている大なり小なり介護に関する事柄をさも実在するかのように体験して,架空の現地リポートを書いてみることで,介護に対する想像力を広げたいというのが狙いです.と,じぶんで書いててもよくわからない内容ですが,どうぞ気ままにお楽しみください.
異世界介護探訪記.第1回目は宮崎駿だ.
宮崎駿というと,ジブリアニメの印象が強いかもしれない.
けれども,それだけではない.
映画『千と千尋の神隠し』〔2002年〕公開のあと,かれは,解剖学者・養老孟司との対談本『虫眼とアニ眼』〔新潮文庫、2008年〕で「理想の保育園像」[191]について描いているのである.
前置きは抜きにして,さっそく訪問してみよう.
建物はまるく作れ!
事前に渡されていたパンフレットにはつぎのようなことが書かれていた.
「子供達が夢中で遊べる所.地域の子供なら,誰でも入れる所.いつの間にか,すべての感覚を使って身体を動かしてしまう所.コンクリート,プラスチックをかくし,木や土,水と火,いきものと触れる所.子供達が家へ帰りたがらない保育園をつくる!!」[12]
保育園までの道はたしかに「コンクリート」で舗装されていない.
土のうえに石畳が敷かれていて,ちょうど人ひとりが通れるぐらいの広さだ.
その上を歩いていくと...,保育園はあった.
なんと!建物のかたちが "丸い"のである.
保育園ならまだしも,介護施設というと,コンクリート造りか,良くてもガラス張りの,"四角い" 建物と相場が決まっている,と思い込んでいた.
そうか."丸い" 建物というのも有りなのか.
(建築コストがかかりだが....)
と,そうしたわたしの胸のうちを読むかのように,同行してくれた共同設計者の(荒川修作のような)犬のようなおじさんがこんなことを話してくれた.
「直線や水平ばかり追求したあげく,人間まで四角にしてしまったのが日本の町だ.㎡がいくらだとか金利がどうとかコスト計算ばかりしておる」[12].
たしかにそうかもしれない.
建物が「直線」+「水平」の「四角」だと,延床面積を広くとれるから,たくさんのものを入れることができる.
でもそれはあくまでも "もの" の "ことわり" ,物理のことであって,"いきもの" の "ことわり",生理のことではない.
(生理的には,わたしは四角いのはヤだなあ.)
生理ならぬ,整理と物理というと,画家で作家の赤瀬川原平〔1937-2014〕が『四角形の歴史』〔2006年〕でこんなことを言っていたのを思い出した.
「もしもそうだとしたら,四角形は二列目からはじまった.持物[もちもの]ができた人間の,その物を片付けようとする整理の理が,合理の理に繋がりながら,四角形は文明の基本となっていった.」[92]
ひとが道具を使うようになると,その道具を置く場所の必要性が出てくる.
さいしょは「巣」の隅に置いていたけど,それもだんだんと数が増えてくると,1列目,2列目と並ぶようになる.
1列目までは現実だが,2列目以降は,3列目,4列目,5列目,n+1列目とあたまのなかで「模倣」できるようになる.
道具を「巣」の隅から並べる,こうした「整理の理」が「合理の理」と「四角形」という発想そのものを生んだ.と,すくなくとも赤瀬川は考えたわけだ.[86-95]
(日本語で「理性」とも訳される,英語のrationalismの "ratio" とは「比率」や「割合」の意味でもあるな.)
そう考えると,わたしのやっている "ユニットケア" での暮らしとはいったいなんなのだろうか,と疑問に思えてくる.
四角い建物のひとつの階を,①ユニットごとに2等分ないし4等分して,②それをさらに10〜12の個室に振り分けて,③そこに要介護度3,4,5で区分したひとを住まわせる.④しかもだいたいは建物の四隅のスペースに並べて.
(分けてばかりじゃないか!)
たしかにそれは均等で合理的ではあるけど,ひとの暮らしを,もののように整理することにもなるのではないか.
そんな整理に "ときめく" か?
暮らしを "囲む" のと, "囲う" のと,ではぜんぜんちがう.
「『ユニットケア』の最大の特徴は,入居者個人のプライバシーが守られる『個室』と,他の入居者や介護スタッフと交流するための『居間』(共同生活室)があることです.入居者10人前後を一つの『ユニット』として位置づけ,各ユニットに固定配置された顔なじみの介護スタッフが,入居者の個性や生活リズムを尊重した暮らしをサポートします.」
だって?
1990年代にスウェーデンからユニットケアのモデルを日本に持ち帰ったのは,建築家の外山義〔1950-2002〕だったけど,まさにユニットケアの日本黎明期,かれははたしてどのようなケアを夢見ていたのだろう.
だがそれはまた別の話.
(宮崎駿の保育園についてぜんぜん触れてなかった!)
中編に続く.
(毎月1日連載)