ケア・ストーリーは突然に!?(かいスペイベントレポート:かいスペ定例会 vol.9「家族介護当事者と考える介護スタッフと家族のコミュニケーション」)
KAIGO LEADERSのオンライン・コミュニティ,"SPACE",通称「かいスペ」では,毎週さまざまなイベントがオンラインで行われている.その中のひとつ,毎月初めの金曜日に開催される「かいスペ定例会」vol 9.に参加してきたので,これはそのイベントレポートである.
と,本当は,なるはずだったのだが,じつはこのイベントが開催されたのは4月3日のことで...,つまりもう68日も前の話で...,だから細かいところはすでに忘れてしまっていて...,しかもライター・編集者・老年学研究者のまなみさんがゲストとして呼ばれたこの会にはメンバーからすでに3つのタイムリーな報告が上がっている.
まえさん「家族 VS 介護事業所?」
まい「介護と家族」
かず「家族介護者の本音と上手な向き合い方」
そこでわたしはもう「イベントレポート」というのは体裁だけのものにして,まなみさんの話の中でも個人的にとくに印象深かった,ただ次のことについて雑感を記すだけにする.
そのこととはつまり,
——家族介護は突然はじまる.これである.
ナンダソンナコトカ,と思うなかれ.
家族介護はジョジョには始まらない.家族介護には予兆はあっても予告はない.これは施設職員の経験しかないわたしには衝撃のことだったのである.
というのも,例えばいまの職場である特別養護老人ホーム(いわゆる特養)の場合,入居の対象になるのは,認定調査を経て要介護度3以上の判定が出たひとだけ,つまりそれ以前の要支援1-2や要介護1-2のひとは原則対象外であるし,入居に際してはそもそも事前調査というものがある.入居判定会も開かれる.そして入居が決まれば,これらのアセスメント(事前評価)を通して得た情報(ADLだったり,既往歴だったり,生活歴だったり,入居予定日だったり)は当然担当の職員のもとに届けられる.わたしの場合はこうしていつも,これから出会い,介護をすることになるひとのこと,これから介護をすることになること自体を(開始日まで含めて)あらかじめ知っていたのだ.
だが,施設職員にとってのこの当たり前が家族介護者の場合にはない.
その名もまさに『ある日,突然始まる 後悔しないための介護ハンドブック』の著者・阿久津美枝子は,彼女の家族介護の始まりをこう述懐する.
私の両親は,ある日,突然倒れました.その日から,わたしは「介護者」となったのです.
先に倒れたのが母親で,その母親を介護していた父がさらに倒れ,先に逝きました.
わたしの家庭介護の経験は,人生で初めて迎えた最大の危機であり,日々心のなかで,誰かと戦っていました.一緒に戦っていた父がなくなってからは,ますます孤独な戦いとなっていきました.
相手は,自分以外のすべての人々でした.時には,自分の娘までもが,敵に見えたことすらありました.(2-2)
もっとも,まなみさんのnote「別居嫁介護日誌」およびその連載原稿に加筆・修正した書籍版『子育てとばして介護かよ』ではちょっとトーンが違っていて——.「あの子,きちんと家に帰ってきてる?」という義母の電話から始まり,その後,この義母の異変にじょじょに気づいていくあたりがなんともコミカルでサスペンスフルである(もちろんリアルでもある).
とはいえ,まなみさんもまた,ライターの「仕事」に,老年学研究の「学業」に打ち込み,「---そこに妊活が加わるのは厳しいなーとはたしかに自分でも思っていた」ときには,「まさか新たな『介護』というわらじを履く日々が始まろうとは」(1-10)知る由もなかったことに変わりはない.
家族介護が始まると,もの忘れ外来に行き,地域包括支援センターに行き,そして,「ライター」,「編集者」,「大学院生」に,「キーパーソン」という肩書きが加わる.
家族介護にともなうこうした一連の変化はもちろん介護される要介護者の側にも同じく起こる.いや,阿久津が指摘するように,ともすれば「介護をする『介護者(あなた)』以上に,『要介護者(親)』のほうが,驚き,とまどい,時には怒り,やるせない思いをかかえて,日常を送ることになっている」(2-4)のかもしれない.
専業主婦だったり,会社員だったり,清掃員だったり,大工だったり,料理人だったり,公務員だったり.そうした労働上の肩書きが,それぞれの退職と共に消え,今度は「おばあちゃん」になったり,「おじいちゃん」になったり,なれなかったり.そして65歳になると,自動的に「高齢者」の仲間に加えられ,それから10年経つと「後期高齢者」(75歳以上)としていつのまにか社会問題の「対策」の対象にされる.さらにその先に来るのが「要介護者」である.要介護者等の年齢階級別構成割合は,男性の場合は「80〜84歳」の26.1%,女性の場合は「85〜89歳」の26.2% が最も多い(「厚生労働省 平成 28 年 国民生活基礎調査」より).
しかも「要介護者」の場合は,たとえば体の不調を訴えて病院に行くように,みずからの意志で地域包括支援センターに足を運ぶのではおそらく——ない.ある日,突然(一般には)家族の誰かによって要介護を疑われ,そして必ず自分ではない誰かによって「要介護度」を「認定」されるのである.要介護度3であれば,「立ち上がりや歩行が自分では困難で,日常生活全般に全介助が必要.また認知症の症状があり,日常生活に影響がある状態」です,と.
ケア・ストーリーは突然にはじまっても,あのイントロは流れない.
家族介護者の側になろうとも,要介護者の側になろうとも,いずれにせよ明日は我が身.長生きは三百の損とは,しかし言うまい.
かつて,作家の赤瀬川原平らが「老人力」という概念を提唱し,「ふつうは歳をとったとか,モーロクしたとか,あいつもだいぶボケたとかいうんだけど,そういう言葉の代りに,『あいつもかなり老人力がついてきたな』というふうにいういうのである」(3-13)と,面白可笑しくも経年をプラスの価値に転じたように,わたしたちもまた,ひとの一生のなかにあたりまえにある介護を伝えることで,突然なものから自然なものへと介護を変えていこう.
そしてなにより,「かいスペ」には,今回ゲストとして「定例会 vol. 9」に参加してくださったまなみさん(二冊目の著書『親の介護がツラクなる前に知っておきたいこと』も好評発売中です!)をはじめ,家族介護と関わりの深い,そのための頼もしい仲間たちがいる.
介護と仕事の両立支援に取り組むまりこさん,「終活カウンセラー」のかずさん,介護と育児の「ダブルケア」に課題感をもって活動するくわさん,元「ヤングケアラー」として若年介護者の就職・転職支援を行うSeigo Miyazakiさん,そしてこれらの活動をnote『かいスペマガジン』で情報発信するわたしたち「webマガジン部」などなど!
※ちなみにここでの呼称は「かいスペ」のなかの雰囲気をおすそ分けするためにSlack上のニックネームで統一しています.
こうしたモチベーターたちが今日も「かいスペ」のSlackのどこかで,ど真ん中の「介護仕事両立支援部」チャンネルで,はたまた皆んなの「質問互助 教えて助けて」チャンネルで,ときにはオンラインの「zoom座談会」で一堂に会して,家族介護のさまざま課題を洗い出し,そのソリューションの在りかを示してくれている.
引用文献
①島影真奈美 『子育てとばして介護かよ』(KADOKAWA)2019.
②阿久津美栄子『ある日、突然始まる 後悔しないための介護ハンドブック』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)2017.
③赤瀬川原平『老人力 全一冊』(筑摩書房)2001.