自然のデザイン。農のデザイン。
自然とは、言わずと知れた最高のデザイナーだと思います。
人間の作り出すデザインはそれを模倣するか、あるいはそれをどう崩すか、をテーマにして作られていれるように思われます。
田畑に立っていると、その自然の作り出すデザインの美しさにはっとし、時には見入ってしまいます。
上の写真は蜘蛛の巣が美しかったので撮影したものですが、その放射状に広がる巣の美しさはさることながら、蜘蛛自体の模様、巣の中央部辺りから見える向こう側の葉っぱの配列や、白いレンゲソウが入ることで、まるで仏教芸術のような有り様をしています。
このように美しい自然の中で営む農なのですが、美しい自然の摂理に準ずるように行なおうとすると、その姿も美しくなると思っています。
以前も書いたかと思いますが、田畑は人間のデザインであり、田畑の世話をしている人自身の心の有り様を表していると思います。
私で言うと、畑を始めたばかりの頃は自然に負けっぱなしで、全く制することができていないなー、という感じ、ざっくり言うと荒れている感じでした。(心が荒れてる?)
かと言って、人工的な田畑というのも、あくまで私自身の価値観ではあまり魅力的ではなく、自然と調和している田畑が私は好きです。
とはいえ、始めて10年目の今でも美しい田畑は実現しておらず、まだその途上で、見る人からすると荒れっぱなしかもしれません。😅
上の写真はうちのサツマイモ畑です。もうすぐ収穫の時期で、よく見てもらうと、ハート型のサツマイモの葉っぱがたくさんあることが確認していただけると思います。
その中にポツポツと紛れるレンゲソウ。その薄桃色の花との調和が美しくないですか?
サツマイモの葉っぱは健康に育っていて、他の葉とも邪魔されない感じで調和していて、美しい花まで点在する。こんな感じが美しいと思っており、自然の手助けを借りず自分だけではこのようなデザインを作り出すのは不可能です。
田畑のデザインは人間の認知力を持ってして、どうすればどこに作物を植えたか忘れないように、あるいは世話をしやすいように、規則的な種おろしや、苗植えをします。
うちの田んぼもけっこう雑なほうですが、行列の幅が一定になるよう、等間隔に印を付けた作付け縄を、もちいるなどして稲を植えています。
稲の列同士には人が通れるような幅を作っていて、そこを通りながら、株間の草を刈っていくことが出来るわけです。
夏の間に草刈りができたので、今年は稲穂が沢山出てくれたのですが、出穂からしばらくは田んぼの中に入ってないために中には蜘蛛が巣を作っていたり、他の植物が生えてたりします。
でも、このような姿もよいなーと思います。同じ顔だけが等間隔にいるのではなく、多様な感じ。蜘蛛からも守られている感じ。
ふと、畑の種下ろしの時の写真をみると、離れて撮った規則的な穴が連なる姿も面白いと思いました。
別に撮った並んで出てきた春菊の芽も美しい。
このように人間が作る規則的な農のデザインと、超不規則な自然のデザインがあいまることで、より人間が美しいと思う美しさを自然の中で表現しうるのではないかと思った次第でございます。
ではでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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