「正解」を疑う心を。
「正解」に縛られない教員になる。
私の目標の1つです。
教員のイメージとして、
『教員は必ず、子どもを「正解」に導かなければならない。』
というものがあると思いますが、この命題は果たして真でしょうか。「正解」とは何でしょうか。それは多数決で決定するものでしょうか。もしくは、科学的に証明されたものでしょうか。
たしかに、「5+3」という問題の正解は「8」です。それを「7」と教えることは教員として正しくないと考えます。
では、これはいかがでしょうか。
昔ばなしの『桃太郎』での悪者は、鬼である。
この解釈は果たして「正解」といえるでしょうか。もちろんこの物語では、桃太郎がヒーローとされ、鬼は悪者とされることが一般的です。しかし、鬼が倒される正当な理由はあったでしょうか?もしそれがなければ、悪者は鬼ではなく桃太郎であるといえます。
解釈の仕方はさまざまであると頭でわかっていても、いや、わかったつもりでも、「これが正しい、これが正解だ」と決めつけてしまっていることは、この世に山ほどあると考えています。
自分なりの「正解」をもつことは決して悪いことではありません。しかし、それに縛られてしまってはいけないと考えているのです。
「教員」だからといって、すべての「正解」を知っているわけではありません。また、「正解」だと思い込んでいることも多々あるでしょう。
私は常に、自分なりの「正解」を追い求めながら、その「正解」を疑う心をもった教員になりたいと考えています。子どもたちの豊かな感性を押し殺すのではなく、それを活かせるようになりたい、そう考えています。
最後に、授業内の発問方法の1つとして「ゆさぶる発問」というものがあるのでご紹介します。以下、文部科学省のホームページから引用いたしました。
4‐2 “ゆさぶる発問”
広義には、子ども達の学習に変化をもたらし緊張を誘う発問のこと。
狭義には、子ども達の思考や認識に疑念を呈したり混乱を引き起こすことによってより確かな見方へと導く発問のこと。
例 「桃太郎は、血も涙もない人間で、欲張りな人ですね。」
→子ども達は、あらためて桃太郎の人間像を考える。
例 「この段落の要旨は、…ですね。」(選択肢の中の誤答にあたるものを提示する。)
→子ども達は、その段落の内容を思い出して要旨を確認する。また、以降の段落を注意深く読むようになる。
文部科学省「補習授業校教師のためのワンポイントアドバイス集」
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/002/003/002/004.htm
(2021年1月30日閲覧).
自らの「正解」を疑う心がなければ、このような発問を思いつくこともないでしょう。だからこそ私は、「正解」に縛られない教員になりたいのです。