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無駄な情報をからめとる、回転数の低さがゆったり生活の魅力
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有給休暇消費の初期のころは、平日の休みだからこそ何をするか、と鼻息荒く意気込んでいた。美術館博物館、休みの日に混みそうなところはどこだ! いま振り返ると、そんなに慌てることもないのに。しなければいけないことはその時期によって変わってくるけど、会社勤めのときのように分単位でこなす香盤を作らなくてもいいわけだ。バッファはたくさんある。
同様に振り返ると、毎日会社に出勤しているときは、いつも焦っていたような気がする。すべきことはなに、次はなに、と、TODOがずらーっと並んでいた。休日はそれが空白になるはずもなく、休日にやるべきことが詰まっている。家事もおでかけも事務作業も親戚回りも、こなすこなすこなす、こなしてなんぼ。漏れはないか、見落としはないか、つれあいと交互にだらけながら𠮟責しあいながらやってきた。これもまた、そんなに慌てることもなかったんじゃないのか。いや、そのときはやらねばならないことだったんだよな。ただ思い起こすに、若干過剰だったのかもしれない。やりすぎ、だ。
買い物に行くなら近所のスーパーほぼすべてをチェック、ビオセボンとKALDIと成城石井とこだわりやも見回り、デパ地下、輸入食料品店、個人店もぐるっと回って帰宅。だって平日は開店時間に帰れないもの。そうじをするならキッチントイレ洗面風呂、水回りを順にやって家じゅうのホコリを落として拭き掃除して、玄関、ベランダ、掃除機かけて、床はシートで拭いて。だって平日はそんなのやってる時間ないもの。洗濯はクリーニングに出してないものを回すけど、乾燥機NGのものもあるからまた別途回して。土日はやっと料理ができるから張り切ってあれもこれも作っちゃえ、作り置きのつもりで大量に!
…振り返りながら、やっぱりちょっと過剰だったかもなあと日向の縁側でお茶飲んでる風な感想を抱いた。あのころは、回転数的にあれが最適だったのだとは思うけど。
なんとなくいつも、回転数が足りない、足りない、と感じていた。回転数というのはトルク、仕事をこなす数やエネルギーか。仕事は午前の回転数のほうが高いし、夕方ごろに回転数が落ちてくると追いつくのが苦しかった。休日はやや回転数が落ちる気がして、それが不安だった。ぎゅんっと回し続けるのが正解で、予定を詰め込むつもりはないけどやることはすぐ見つかったしそこへぎゅんと集中してこなした。マルチタスクで同時並行は当然。だからこそ忘れないうちにすぐ手を付ける。回転数を上げておかないと忘れる、作業が滞る、復活ができないかも、と。
いまや、その回転数はぐんと下がって低め安定だ。回転数が上がりそうになると、上げなくてもいいんじゃないのか、と自分をいさめるようにしている。時間がかかってもいいんじゃないのか、もっと非効率的なこともできるんじゃないのか。非効率的なやり方は、仕事が長引くけどそのぶんプラスアルファがついてくる。もう少しアイディアを広げられるとか、寄り道やよそ見をすることでほっと落ち着くこともできる。なるほどな、こういう世界観な。
自分が欲しいことに最短で到達するのではなく、その周辺情報を巻き取ったり回り道寄り道することで知識が膨らむ、世界観を把握できる、ある意味メリットデメリットも認識したうえで判断できる。検索と同じで、ストレートに到達して終わるより、芯をくったうえでの無駄な情報こそが案外役に立っているってことかもしれません。