#460 悪い主張を防ぐのは個人の意識

澤円さんのVoicy澤円の深夜の福音ラジオ 【第608回】「匿名と実名の主張の差について。」を聴いたことのアウトプット。
ネットでの誹謗中傷は、個人の意識で防いでほしいという話。

Twitterで何であれ、「発した言葉は基本的には取り消せない」というのが僕の持論。というかこれは不変の真理と言ってもいいんじゃないかと思う。
テキストとして外に出たら削除しようと何だろうと、人目に触れて記憶に残ってる時点で「これは取り消せていない」というのが僕の考え方。
発言だったり情報発信というのは、責任を伴うものですし、責任を伴う分、しっかりと自分の意見を持って、主義主張をアピールするということは、リターンも大きくなる可能性があると考えている。
自分の言葉で語るというのは、すごく大事なことじゃないかと常々思っている。
そして、発した言葉というのが「もう取り消せないものである」というふうに本当に思っていれば、発する言葉というのが、他人を不幸にしたり他人を傷つけたりということを、やたら言うことはなくなるというか、少なくともそれに対して躊躇くらいはするんじゃないかと思う。
もし、そこに躊躇がないというのであれば、はっきり言ってしまうとそれはサイコパスであるというか、ちょっと病んでると言わざるを得ない。
他人を傷つけるのが趣味という人は、完全にどこかおかしいですから、医者に診てもらった方がいい。場合によっては、犯罪者になる前に病院に入った方がいいんじゃないかと思う。
それくらいに他人を攻撃する、他人を傷つけるということを楽しんでしまうというのは、あるいはそれを正当化するというのは、僕は違うんじゃないかと思う。
ネットの世界だとそれが横行しやすい傾向があるので、できる限りそういったものは、それぞれの個人の意識によって防げるといいんじゃないかと思う。

澤円の深夜の福音ラジオ 【第608回】
「匿名と実名の主張の差について。」

今回は、メジャーリーグで活躍するダルビッシュ有選手の投稿に対する批判のコメントが匿名だったことから取り上げられた話題でした。
ネットで有名無名問わず、人を傷つけるような投稿や誹謗中傷は匿名であることがほとんどだと思います。
ネットで著名人の記事を見て、無意識で思考停止のままの主張として、相手を傷つけるような投稿をする人が一定数いて、その人たちはその投稿が後にどうなるかなんて考えていません。
万が一、相手が命を落とすようなことがあると「そんなつもりじゃなかった」と言うでしょう。
そんなつもりじゃなくても、主張した投稿した一言が相手をすごく傷つけたり不幸にしたりすることを想像してほしい、人を不幸にするような取り消せない出張をしたときには、それなりのリターンがあることも想像して欲しいです。
澤さんがおっしゃった「それぞれの個人の意識によって防げるといいんじゃないか」という時代が少しでも早くきてくれることを望みます。


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