おーい!落語の神様ッ 第十四話
【神々の寄合 シーン77】
自らを半福神と称する青白い顔をした手の平サイズの爺さん達が永遠に続く蚊取り線香さながらの布陣で座っている。身なりは一様に小汚く、その百体以上いるそれぞれが百一匹ワンちゃんのように酷似している。
「落語は面白いですなァ」
「そうですなァ」
「頭に桜の木が生えてくるやつなんかが好きですな」
「いいですなあ。われは人間が最後に蕎麦になる噺も好きですな」
「それもいいですなァ」
「落語の面白さって何でしょうな」
腕を組んだ半福神が皆に問う。
「何でしょうなァ」
「それはあんた、人間の愚かしさでしょう」
「愚かしさですか」
「そうです。人間は生きてるだけで喜劇です」
「そんなもんですかねェ」
「ほら、八十年前、われらが最後に252体集まった人間がいたでしょう。あれなんて愚かしさの取締役みたいなもんです」
「だから252体集まるとどうなるんです?」
この質問はスルーされる。
「あれは確か殿堂入りして、われら半福神が近寄れなくなりましたな」
「そうですな」
「あれのやる落語は面白かったですなァ」
「当たり前ですよ。あの人間は落語の神様に転じているのですから」
半福神達の楽し気な寄合は続く。咲太は深い眠りの中にいた。
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三日目と四日目は土日という事もあって、少し客の入りが良くなった。それでも数十人だからまだ満員には程遠い。有難い事に二日間とも『いつきや』の大将とおかみさんが店の客らしき人を連れて来てくれた。
三日目にはとんび家族三人も客席にいた。本来は噺家は客席で仲間の高座を聴くのはご法度だったが「家族で寄席を楽しみたい」ととんびに頼まれてしまっては断れなかった。とんびからの電話はその件だった。
「明日と千秋楽は変装して客席にいるから、よろしく」
「バレるんじゃないっすか」
「大丈夫だろ」
案の定、バブル期の香りがする変装のとんびは客席で悪目立ちしていたが、特に騒ぎにはならなかった。楽屋の師匠方も気付いてはいたが知らんぷりを決め込んでいた。
とんびとはみかんの事も話した。とんびが口利きしたり、猛プッシュしたということはなく、放送作家やプロデューサー達が寄席やBS特番での仕事ぶりを見て決めたらしい。勢いのある女流を探していたにしても、二ツ目のみかんが選ばれたのは革命的だった。もちろん本人の頑張りや実力なのだろうが、咲太としてはひょっとしたら貧乏神がいなくなったせいかもと勘ぐってしまう。
「あいつ、全然言わないんすよ」
「あいつは隠し事の名人だな」
咲太はこうやって仲間の成功を素直に喜べる事が嬉しかった。とんびが最後に「じゃあ残り頑張れよ」と言って切った。
咲太の三日目のトリネタは『中村仲藏』だった。柳咲から習った噺で、自分と重ねて気持ちを乗せて演り切った。客が弁当を食べながら観る弁当幕と呼ばれる一幕での役どころを工夫して見せ場の一つにした稀代の名優の出世噺だ。
咲太は今の自分が出来る精一杯の『中村仲藏』を演った。それは確かなのだが演りながら自分の不勉強さをこれでもかと痛感させられた。歌舞伎に深く精通し日本舞踊も嗜む柳咲とは「噺の格」が雲泥の差だと改めて確信した。それもこれも遊びで時間を無駄に費やした己のせい。師匠との差がどれほど縮まるかわからないが今後埋めていくしかない。そう決意した。
それに引き換え、真打昇進が目前だからと二ツ目の分際で仲入り後の深い時間に入れて貰ってるにも関わらず、三日間同じネタをかけているがんもに腹が立つ。いわば特別枠を与えられているのに、手抜きもいいとこだと咲太は思っていた。
仲入り後すぐの出番は「くいつき」とも呼ばれる。休憩が終わったばかりでまだ食事をしている客がいるからそう言われるのだが、つまり仲藏と同じなので、咲太はきょう柳と一緒に牛丼チェーン店で飯を掻きこみながら「仲藏を見習えっつうんだよ」と毒づいた。
四日目のトリネタは『宿屋の富』。これも柳咲に習ったネタだ。客席の反応がなかなか良くて満足して高座を下りられた。咲太の貧乏神達が客席に周るとほぼ満席に見えるのも精神的に良い影響を与えているのかもしれない。そもそも貧乏神がいると貧乏になるだけで何か悪い事あったかな、なんて考えだしている。末期である。
五日目。夏風亭がんもがまたもや『ちりとてちん』を演って下りて来た。咲太は我慢できずにつっかかった。
「がんも、お前、毎日同じネタでよく飽きねえな」
「はぁ? 別に毎日同じ客じゃねえんだし、構やしねえだろうが」
最もだった。現に寄席では毎日同じネタをかける師匠達もいる。それは決して手抜きではなかった。ただし例え毎日聴いてる客がいたとしても毎回楽しませる自信と技量があっての話だ。だが、がんもはこれから真打になろうという立場で、本来なら前座の次の浅い時間に上がるところを特別に深い時間に顔付けされているのだ。芸人としてもっと勉強するべきじゃねえのか。咲太がそう言うと、がんもの目に力が入った。
「咲太お前、どの口で言ってんだ。この芝居のトリの代演は柳咲師匠の体調不良になってるけど、お前の昇進がかかってるって言うじゃねえか。しかも柳咲師匠が方々に頭下げまくって、奇跡の一発が出るのを狙った大博打でよ。みんな最初から無理だって分かってるのに柳咲師匠が土下座の勢いで頼む姿が忍びねえから滅茶苦茶な条件を飲んで、こんな茶番に付き合ってんじゃねえか。お前、まさか二か月前の同期の昇進祝いの落語会を抜いたの忘れたわけじゃねえよな。あの日の為にチラシだの予約だの色々準備してくれた世話人や、時間と金を使って楽しみに来てくれた客をなんだと思ってやがんだ。その詫びを誰がしたと思ってんだ。何があったか知らねえが、今更反省したふりしやがって。てめえのやってきた事は消えやしねえってんだ。少なくとも俺はお前を絶対認めねえ。ふざけんなっ」
がんもは顔を真っ赤にして『大工調べ』の棟梁さながら一気に捲し立てると着替えもせずに楽屋を出て行った。
楽屋にいた師匠方は何もなかったテイで支度をしている。傍にいたきょう柳も黙っていた。ただがんもと入れ替わりに楽屋に入ってきたさん太が「咲太さん、うちのがんもが何か言ったみたいだけど勘弁してくれ。このとおり」と言って頭を下げた。
「さん太師匠、よして下さい。がんもは何にも間違った事言ってないんで」
「それでも楽屋で怒鳴り散らしちゃあダメだ。アタシからよく言っておきます。でもね。あいつは一生に一度の晴れ舞台を良いものにしたいだけなんですよ」
「わかってます」
この日、咲太は『しじみ売り』をかけた。過去の自分の行いが時を経て思わぬ形で自分に降りかかってくる噺が、誰よりも自分自身の身に染みた咲太だった。
中日だったが、やはり誰も残っておらず打ち上げはなく、きょう柳とファミレスに行って解散した。その後でふらっと『いつきや』に寄ってみると月曜だというのに混んでいた。大将もおかみさんも顔見知りの常連客も咲太を歓迎してくれたが、咲太はおかみさんが作ってくれた特製レモネード一杯だけご馳走になって早々に帰宅した。
【神々の寄合 シーン81】
青白い顔をした手ノリサイズの半福神達が、両界曼荼羅図のように座している。身なりは一様に小汚く、百体以上いるそれはちょっとずつ入れ替わっているのだが個体識別が難しいので見た目には何にも変わりがなかった。
「もしこの主が殿堂入りしたら、移動の合図を変えるというのはいかがです?」
「今は落語の『死神』のアレですもんね」
「いやいや。もうずっとアレでやってきてるんだし、今更変えなくてもいいのでは」
保守的な意見が出る。
「もうアレも飽きましたし、殿堂入りを機に変えてみましょうよ」
「そうですか。なんか間違いそうで怖いなァ」
「たまには刺激を求めるのもいいじゃないですか」
「そんなもんですかね」
「そんなもんですよ」
「じゃあ、皆さん決を採りますよ」
「お尻を押さえてどうしたんですか」
「今、ケツを取るって言ったので」
「真面目にやってください」
「では、まんだらまんだらまんだらけ! って言ったら挙手をお願いします」
皆頷いている。
「われらの主に252体集まって殿堂入りした暁には、移動の合図を変える事に賛成のもの、まんだらまんだらまんだらけ!」
全員がばばばばばっと手を挙げた。なぜか咲太も寝ながら偶然手を挙げた。
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六日目、七日目、八日目と通常の興行であれば申し分のない客入りとなり、それぞれ『井戸の茶碗』『百川』『松山鏡』と演り切り、客席の反応も良く、咲太はひとまず胸を撫で下ろした。
がんもとはあれから険悪なムードはなく「お先に勉強させて頂きます」や「お疲れ様でした」と互いに頭を下げた。
穏やかに三日が過ぎようとしていた八日目。芝居がハネた後、寄席の前で撮られた咲太の写真がSNSにアップされるとたちまち騒ぎになり、拡散される事態となった。
つづく