小学3年の壁で感じた「自助努力、やめませんか?」
こんばんわ。今日は、私が最近「小学3年の壁」に直面した時の気づきと感じた違和感を記録として書き残します。少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。
「小学校入学」=「仕事邁進!」ではない!?小学〇年の壁
私は現在、小学3年の息子と小学5年の娘を育てながら働いています。息子がまだよちよち歩きの保育園時代は「小学校に上がれば自分で登下校するしちょっとは留守番もできる。仕事にフルコミットできるぞ!」と甘い考えを持っていました。
が、現実問題どうかというと。確かに自分で登下校もするし多少は留守番もできます。が、保育園時代にはなかった小学生ならではの「責務」と、それを本人に全うさせるための「サポート」が必要になってくるのです。
どういうことかというと、「毎日の宿題をきちんとやる(やりなおし含む)」「明日の時間割を確認して、鉛筆を研ぎ、筆箱の中をそろえる」「提出物を保護者へ提出し、確認印や提出物を回収し先生へ提出する」という細かいスキル標準が小学校の年次に応じて課せられるのです!(考えてみれば当たり前だけど!)
6年間と長い小学校生活において「〇年生の壁」はよく聞きますが、我が家はまさに「3年生の壁」と直面していました。
同じ壁でもワーママとしての「つらみ」は人それぞれ
子供によっては学校教育の中で壁を乗り越えることができる子もいます。上の娘はまさにこのタイプで、親が何も言わずとも自分で日々のタスクをこなすルーチンをくみたてることができました。が、下の息子は「誰かに作業の見通しを立ててもらわないと進められない」タイプで、こちらから声をかけないと宿題も終わらせられない、預かった書類も出さない、学校から持ち帰るものも持ち帰ってこない・・・とどんどんスキル標準から外れていきました。
もともと、発達グレーゾーンな気がある息子。「宿題を見る」と一言にいっても、
宿題を持ち帰る
宿題範囲を確認する
ドリルと筆箱を机に広げて椅子に座らせる
問題を一つ一つ丁寧にとく
丸付けをする
間違い箇所をやりなおす
と細かく分解されるタスクすべてにおいて困難を抱えています。宿題を持ち帰っていなければ、学校に取りに戻るところからスタートです。
運悪く息子の進級と同時に夫が在宅仕事から現場仕事になってしまい、平日は在宅で勤務をしながら夕方からは息子とペアプロならぬペア宿題で実質ダブルワーク状態。仕事でもチームや組織の問題と直面している時期でもあり、周囲に「息子が宿題をしなくて困っている」と訴えてもあるあるで片付けられてしまい、つらい状態が続きました。
ここから本題。「自助努力やめませんか?」
肉体的・精神的にもダブルワーク状態が負荷となり、いよいよ自分自身が枯渇する危険を覚え、外部に協力を得ることを決意しました。
私がアクセスしたのは主に3か所で「自治体(の子育て支援)」、「自社の両立支援窓口」「自社の産業医」でした。観点は各々異なる切り口での相談だったのですが、3先で共通して一番に問いかけられた問いに私は強烈な違和感を覚えました。
「ご主人やお互いのご両親に協力は得られませんか?」
後になってこの違和感の正体を考えると、主に2つあることに気づきました
①得られないから相談しているのである
Yesと答えられる条件は、以下のいずれかの条件にマッチする必要があると考えています。いずれかの条件にマッチしていない状態で協力を得るということは、相手に対して何かしらの負担が発生するということになります。
私の場合、夫と何度もこの件で話したけれど雇用の問題が絡む以上、これ以上どうしようもありませんでした。
子供が帰宅する放課後に夫が在宅している、かつ子供のケアができるほど仕事に裁量がある、かつ子育てにコミットしている
夫(もしくは妻)の両親もしくはどちらかの親が健在であり、アクセス可能な範囲に居住しており、子の家庭をサポートできるだけの時間と体力に余裕がある
②そもそも順番が逆なのでは?
親子関係があったとしても、私たち夫婦と、私たちの両親はお互いに独立して生計をたてている別の世帯です。数か月に一度発生する出張の子守ならまだしも、平日5日間例外なく発生している課題解決の戦力としてカウントするにはあまりにもお門違いすぎる。優先順位は「家庭内の保護者」(私と夫)→「行政や公的サポート」→「民間サポート」で、そこまで行きついても協力が得られないときにはじめて「親族」が出現するのだと考えています(個人の価値観)
もちろん、日本の家族観の根底に「自助努力」があり、それが今日の日本を支えてきたことは十分承知してはいますが、少子高齢化で70歳を超えても働くことが常識とされつつある令和において、「自助努力」を軸に置いた制度はもはや現実問題として成立しないのではないでしょうか。
「援助は得られません」と答えた後も様々なアドバイスをいただいたのですが、いずれの窓口でも残念ながら現実的な解決策は見つかりませんでした。
解決策は「自分で公助をつかみ取る」ことだった
最終的に、自分自身でどういう手が打てるかを徹底的に調べ上げ、放課後デイサービス(公的支援)と家事代行で自分の負荷を分散させることに成功しました。放課後デイサービスの支援を受けるまでの道のりは困難を極め、情報収集(当たり前のようにインターネット上から情報は得られない)や各種手続き(当たり前のようにインターネット上から手続きはできない)、施設探しと空きの確保、相談員探し(当たり前のry)を日々の仕事に並行してこなし、すべての窓口で「とにかく困っている」ことを必死にアピールしてなんとかたどり着くことができました。役所の担当者や施設の管理者、相談員さんにはかなり無茶を通してもらいました。平日1日+土曜1日で仕事中の負荷はまだ残るものの、1日でもお任せできる日があると精神的に肩の荷が下ります。
この辺りはもしかしたら地域差が出るかもしれないですね。都会と田舎の中間くらいの自治体での体験であることをご了承ください。
求む!自然と「公助」へつながる仕組み
自分が「公助をつかみ取り」にいく体力が残っていなかったらどうなっていただろう。親に無理を言っていつまで続くかわからない子供のサポートの一助を担ってもらった結果、親が仕事をやめていたかもしれない。もしくは自身が仕事を辞めていたかもしれない。限界を迎えて体を壊していたかもしれない。
そもそも、子供が必要なケアを受けられず、親のストレスに(間接的にも)さらされることが長期間続くのは悪影響でしかない!
日ごろからの情報収集が足りなかったといえばそれまでなのですが、事故にあって警察や救急車の番号を初見で調べる人なんていないように、公的援助にはストレスなくつながれることが重要だと今回のことで深く学びました。
「保育園落ちた日本死ね」と叫ばれてからもうすぐ10年。あれから育休が伸び、父親の育児休業を義務化する企業が増え、出産後の職場復帰のハードルは少しずつ低くなってきていると感じています。が、復帰した後に継続して働き続けるハードルは依然として高いまま。あと10年後には、働き続けられるハードルが少しでも下がった社会であるよう、そして自分自身が無理なく働き続けられるように自分がどんなアクションができるかを都度見つめなおしていきたいと思います。