「世界三大美人」を選んだのは誰だ
「日本三大ナントカ」とか「世界三大カントカ」とか、わかったようなわからないような、いろいろなモノがきりもなく存在する。どうでもいいことを大まじめに考える私は、以前からそういうことが気になっていた。
そのひとつに「世界三大美人」がある。いったいどこの誰が、いつ、何を基準に選定したのだろうと疑問に思っていた。まさか、世界三大美人審査委員会などというものは存在しなかっただろう。
知らない人はいないだろうと思うくらいよく知られていると思われる(言い回しがややこしい)「世界三大美人」。念のため確認しておくと、古代エジプトの女王「クレオパトラ」、中国唐代の皇妃「楊貴妃」、日本の平安時代前期の歌人「小野小町」の3人だ。
不可解な点として、この3人の実際の顔を見くらべた人物はいないと思うが、何をもってして美人と判断したのか。写真だってないのだ。
どうやってこの3人を候補に立てたのだろう。自ら立候補したというのはあり得ないし、友人や親戚が推薦したなどということもないだろう。
第一誰が募集したのだ。世界三大美人公募委員会などはなかったろうし。
時間的な幅も問題だ。3人が生きた時代のズレがすごい。
クレオパトラは紀元前69年頃に生まれて紀元前30年に死去。
楊貴妃は中国唐代719年に生まれて755年に死去。
小野小町は平安時代(794年から1185年までの約390年間)前期、8世紀に生きたらしいが生没年は不詳とされている。
こういうぐあいで年代に幅がありすぎるし、そもそもこんな長い間、この3人以外に美人が生まれなかったのだろうか。
いや、そんなはずはないと思う。この3人などは足もとにもおよばないような、絶世の美女が存在した可能性は十分考えられる。
そんなわけで、私は「世界三大美人」に疑問を持っている。こういうことに目くじらを立てて憤慨してもしかたがない(というか、憤慨すべきではない)ことは承知しているのだけれど。
少し話がそれて、例えば「日本三景」。これには諸説あり、選定した人物も選定された名所も異なる。
江戸時代の文人本居宣長が提唱したとされる「日本三景」では「天橋立」「松島」「富士山」を挙げているが、これは、自書『名所紀行』のなかで主張しているのだという。
また、江戸時代の儒学者加藤正方は、日本全国を旅して「松島」「天橋立」「伊勢志摩」を選んだが、この3か所は自書『遊覧地誌』のなかで説明されているそうだ。
さらに別の説では、江戸時代に林鵞峰(はやし・がほう、林羅山の三男)が自書『日本国事跡考』で述べた「丹後天橋立」「陸奥松島」「安芸厳島」が日本三景の始まりともいわれる。
近代のものでよく知られる「日本百名山」は、小説家であり随筆家であり登山家である深田久弥が選定した山だ。日本全国の山々から、品格や個性などをもとに100座選び、1964年に『日本百名山』という本にまとめたという根拠がある。
このように、なんらかの根拠があれば納得できるのだが、「世界三大美人」の場合はそういったものが見当たらない。誰が選んだのかも不明だ。少なくとも私が調べた範囲では「世界三大美人」を選んだ人物は特定されていない。つまり謎のままである。
それなのに、「世界三大美人」はまことしやかに、わが物顔で大手を振って横行闊歩している。
「世界三大珍味」もまったく同じだ。トリュフ、フォアグラ、キャビアなんて、いつどこで、誰がどんな基準で、どんな調査をしてどんな評価をくだしたのか、まったくわからない。そもそも珍味とは思わないし、もっとすごい〝珍味〟は山ほどある。
それなのに、「世界三大美人」も「世界三大珍味」も、誰もがなんの疑いもいだかず、いまだに受け容れている。
こういったものはほかにもたくさんあるが、それらを選定した人物や広めた人物(同一である可能性が高い)はたいしたものだと思う。どこの誰だか知らないが、いわば戦略家である。
そういう人物を「世界三大どこの誰なんだ」に選定したい。
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