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「一押し」は「一推し」が「推し」

 言葉のくせや習慣は多くの人が持っている。私の友人二人(この二人の間には交友関係がない)が、「言っちゃ悪いけど」という言い方をする。「言っちゃ悪いけど、A夫の考えは間違ってるよ」「言っちゃ悪いけどさ、B店は品揃えがよくないし高いよ」というぐあいだ。
 会話をしている場所にA夫やB店関係者がいるわけではない。たぶん、いれば言わないだろうけど。

 「言っちゃ悪いけど」を丁寧に言えば「こう申しあげては失礼と存じますが」などとなるはずで、気持ちの奥には遠慮の意味が込められているのだろう。それにしても「言っちゃ悪いけど」は雰囲気が険悪で、喧嘩をふっかけているような調子にさえとれる。
 その二人は誰と話をしていても、それをよく口に出す。言っている本人はその口ぐせを意識していないし、当然、違和感もなにも持っていない。鍋にふたがついているのと同じくらい自然に、完全に会話の付属品のひとつになってしまっている。
 まったく、この口ぐせのある二人には、言っちゃ悪いけど、よくないつかいかただ。

 さて、このところすっかり影を潜めてしまったが、ひところ頻繁に見聞きした言葉に「いちおし」がある。私はそれを「一推し」と思っていた。「一番のお勧め(お進め、推奨)」と思っていたからだ。
 ところが、漢字表記は「一押し」だった。もしかすると「一推し」という表記もどこかにあったのかもしれないが、少なくとも私が目にしたものに限ってはすべて「一押し」だった。そんなこともあって、ずっと頭の隅に記憶があった。

 この記事を書くにあたって大辞林(第四版)で調べてみたら、「一押し」はなかったが「一推し」はあった。ついでに意味をみてみると、「第一番に評価し、最も推薦できるもの」となっていた。
 つまり、「一押し」をつかっていた人たちは、良く言えば〝新しい感覚や感性〟とか〝枠にとらわれない自由なつかいかた〟をしていたのかもしれないが、悪く言えば間違ったつかいかたをしていたと言える。

 9月29日(2023)に文化庁が発表した2022年度の国語世論調査(国語に関する世論調査)のひとつに「推し」が入っていた。この調査でいう「推し」はまさに「推薦する」「推奨する」などの意味でつかわれている「推し」で、「自分が気に入っている道具を友人にすすめる」などというときにつかう。

 調査では、この「推し」がだいたい二人に一人(49.8%)がつかったことがあったり現につかっているとなっていた。いまや勢力が衰えたと思われる「一押し(一推し)」は「推し」に取って代わられたのかもしれない。
 国語辞典には「押し」も載っているが、これは本来の「押す」の活用で、押しつける、押しつぶす、押しがきく、などというふうにつかわれていて、「推し」とは明らかに異なる。

 この調査では「推し」と並んで台頭してきたものに「盛る」もあげている。これは、本来の意味より少々範囲が広がっていて、「より良く見せようとする」という新しい意味が含まれている。調査対象の半数以上(53.3%)がつかっているという。
 これらよりさらに浸透してきたものに、「ドン引き」などとつかわれる「引く」がある。これは10人のうち7人がつかっているそうだ。文化庁の解釈では「異様と感じてあきれる」という意味でとらえている。

 ついでにもうひとつ。冗談がつまらないことを表す「寒い」は50.2%がつかう。言うまでもなく、本来の寒いという枠からは外れている。いや、外れているなどというと失礼だから、枠が広がったというほうがいいか。
 この手の話題になると、ここぞとばかり登場する「言葉は生き物」というひと言。これを否定はしないけど、変なふうに成長しないことを祈るばかりだ。

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