「お」について考えた
缶ビールや発泡酒を買うときに、粗忽者の私は間違ってノンアル(アルコール成分がはいっていない飲料)を買わないよう、缶の表示をいちいち確認する。もちろん、知っている銘柄ならその必要はないが、近年は種類が増えたうえ、缶のデザインだけではひと目で見分けることがむずかしいものもあるからだ。
アルコールがはいっていれば「お酒」と表示されている。私はそれを確認してレジへ持っていく。
なぜ「お」が付いているのだ。ただの「酒」でいいではないか、と思う。
しかも「さけ」とふりがなまで付いている。「おしゅ」なんて読む人はいないだろうから不要ではないか。そうか、子供が買わないように注意を払っているんだな、などと思ったりするが、ほんとうのところはわからない。
「お酒」の「お」は接頭語だ。接頭語の仲間にはご挨拶の「ご」、御社の「おん」、御心の「み」、どすけべの「ど」などがある(ど根性の「ど」のほうがよかったか)。
接頭語が遣われるのは、おもに「敬語として(尊敬語や丁寧語)」「謙譲語として」「美化語として」などがある。ほかにも驚きのニュアンスで「おみごと」、呼びかけなどで「そこのおにいさん」、慣用的に「お静かに」などと遣われる。
どこのテレビ局だったか覚えていないが、ニュースで「肉」を「お肉」と言っていたアナウンサーがいた。一般的には、ニュース番組ではフォーマルな言葉を遣うのが基本だから、ニュースで「お肉」は違和感がある。
ビールや発泡酒の缶の表示にニュース番組の決まりごとを求めるのは筋違いとしても、単に「酒」でいいではないか。
ちなみに、昨夜飲んだ発泡酒の缶には、目立たないようなところに、小さな字で発泡酒などと表示されていた。
接頭語を付ける境目はどのへんだろうか。ひと頃、一部の人たちの間で言われていたもののひとつに「おビール」がある。「酒ならいいけど、ビールには合わないんじゃないか」「いや、酒に付くならビールに付けてもいいんじゃないか」と両論あった。たぶん、現在の飲食店などでは「おビール」が優勢だろう。
ほかにもグレーな存在はたくさんある。「お野菜」とは言っても「お果物」とは言わない。「おそば」とは言っても「おラーメン」とは言わない。「おまんじゅう」とは言っても「おパン」とは言わない。「おふとん」とは言っても「おベッド」とは言わない。「おひざ」とは言っても「おすね」とは言わない。
どうやら、接頭語を付けるかどうかは文法上の問題だけではなく、もうほとんど雰囲気や感性で分けていると言えそうだ。
一方、接頭語が付いている状態が一般化し、それが独立してしまったようなものもある。「お茶」もそのひとつだ。本来はただの「茶」なのに、「お茶」のほうが「茶」よりも一般化してしまった。日常で「そろそろ茶にするか」などと言うことはほとんどなく、「そろそろお茶にするか」のほうが自然に感じる。
ちなみに、小型の国語辞典でも、一人前に「お茶」で見出しが設けられ、「茶の丁寧語」などと説明されている。
言うまでもないが「お酒」や「おビール」などという見出しはない。