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冗談がわからない人

 現役時代のある日、私は自分の事務所で、クライアント社の担当者である男性Kさんと雑談をしていた。話のなかで、私は謙遜のつもりで、
 「私なんかKさんと違って未熟者ですから、もっと勉強しないと」
 という意味のことを言った。するとKさんは、
 「そうですよね~」
 とにこやかに返してきた。
 私は〝は?〟と心のなかでつぶやき、あとは二秒間ほど〝……〟だった。普通なら「何をおっしゃいます。謙遜なさって」などと返すところだろう。
 雑談はその後も継続したが、たとえ雑談といえど気を抜いてはならないという妙な教訓を得たのであった。
 ちなみに、Kさんはばかではないが〝天然〟だ。

 話の内容は覚えていないが、Kさん同様、いくらか天然なうえユーモアのセンスに少々難ありという仕事仲間の女性がいて、その人との会話でも拍子抜けしたことがある。
 私が冗談で言ったことを真に受け、大まじめに応じたのだ。その話の内容を覚えていないのが残念だが、私はしかたなく、「さっきのは冗談だよ」とひと言つけ加えなければならなかった。
 私はこういったことを何回か経験している。

 また、仕事仲間の男性Wさんは落語がわからなかった。落語がなぜおもしろいのか、どこがどういうわけでおもしろいのか、ということがわからないのだ。本人はそれを自覚していて、それを友人たちに公言していた。
 落語がわからないことを周囲の人たちに知っておいてもらわないと不都合なことがあったのかもしれない。たとえば、「Wさん、落語が嫌いなの?」とか「この話、つまらない?」などとよく言われたことがあるとか。

 Wさんは落語がわからないくらいだから、漫才やコントなどもわからなかった。いっしょにテレビを観ていても全然笑わない。まるでニュースでも観ているような顔をしている。
 さらに、仲間たちとの普段の雑談や飲み会での冗談もわからなかった。だから、そういうときにはひとりできょとんとした顔をしている。

 冗談を理解できないということは、自分から冗談を言うこともできないということだ。だから、場がそういう雰囲気になってくると自然に口数が少なくなり、聞くだけになる。それでも本人は苦痛を感じるわけでもなく、ただ漫然と聞いている。もうすっかり慣れているのだ。
 ところで、Wさんはアートディレクターとしては非常に優秀であった。私は彼と組んでたくさん仕事をした。冗談も言わずに。

 さて、こういったことから、冗談がわからない人と会話するときには注意が必要だということを学んだ。
 そしてそれは冗談にとどまらず、比喩やたとえ話、しゃれ、果ては通常の話や文章にまで気をつけなければならないと思うようになった。言うまでもなく、聞いたり読んだりした相手が大まじめに受けとめてしまい、誤解されることがないようにと思うからだ。

 冗談は冗談とわかるように、できるだけ明快にしようと思っているが、それでも冗談と受けとめてもらえないときはどうする。困ったものだ。






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