「一富士二鷹三茄子」の身の上
新年を迎えると、私も一丁前に神社へ初詣に行き、人並みに願いごとをしたりする。しかし、賽銭箱に入れるのはいつも小銭ばかり。千円にも満たないはずだ。たかが数百円で願いごとをしようというのだから図々しい。
そんなことでは神さまに申しわけない。洒落ではないが、せめて初夢にでも夢を託したいが、これはこれで思い通りにいかない。なにしろ私は初夢を見たことがないのだ。
ちなみに、初夢とは正月の一日か二日に見る夢だ。つまり、三日以降に見たのでは初夢とは言えない(そんな大まじめに考えるものではないけど)。
もっとも、夢を見ないと思っている人でも、覚えていないだけであって、実際には見ているのだそうだ。だから私も見ているとは思うが、どうせたいしたものではないだろう。
ところで、近年ではすっかり影が薄くなってしまったが、縁起のいい夢の代表格に「一富士二鷹三茄子」がある。このうちの富士はともかく、なぜ鷹や茄子が登場するのかがわからなかった。特に茄子はわからない。
そこで調べてみると、この縁起ができたのは江戸時代で、起源についてはいくつか説があることがわかった。
一つは、徳川家康が領有していた駿河国の名物ベストスリーをあげたという説。富士山は駿河国どころか日本の名物だからいいとしても、鷹や茄子が名物かというと疑問だ。
鷹については、家康の趣味のひとつが鷹狩りだったからなどとも言われるが、どっちにしても少々マイナーというかローカルというか、富士山以外はあやしいような気がする。
二つ目は、やはり駿河国の高いものをあげたという説。なるほど、富士山は高い。では、鷹はどうだ。そうか、高いところを飛ぶからだな、と思ったがそうではなかった。この場合の鷹は鳥ではなく、鷹という俗称をもつ(と言われているようだ)愛鷹山(あしたかやま)のことだった。この山が駿河国では高いということらしい。
もっとも疑問に思っていた茄子については、初物の値段が高いということのようだ。こうなるともうこじつけだろう。初物が高価なのは茄子ばかりではないし、もっと高いものもある。
三つ目は縁起担ぎ。富士は「不死」に通じて不老長寿を、鷹はイメージのいい「高」や「貴」などと読みが同じということで出世や栄華を、茄子はよく実がなることから子孫繁栄を意味するというもの。
ただの洒落と言ってしまえばそれまでだが、私としては、三つの説のうちではこれがもっともありがたそうに思える。
ほかにも、富士山は「高く大きい」、鷹は「つかみ取る」、茄子は「成す」に通じるなどの説もあり、どれが正しいとは断定できないようだ。
昔から縁起といえば洒落や語呂合わせがつきものだ。鯛は「めで鯛」、昆布は「よろ昆布」、漢数字の八は「末広がり」ほかたくさん。
という次第だが、何がどうあれ、あれこれ詮索をせず、「なんだか知らないけど縁起がいいや」などと単純にありがたがるのがいいのかもしれない。