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Hothouse Flowers / Liam Ó Maonlaí (リアム・オ・メンリィ)

  • 活動期間:1985年~

  • 出身地:ダブリン

  • メンバー(結成時): Liam Ó Maonlaí、Fiachna Ó Braonáin、Peter O'Toole、Leo Barnes 、Jerry Fehily

Hothouse Flowers。U2のマザーレコードからデビューしたバンドです。ボーカルのリアム・オ・メンリィは1964年11月7日生まれ。ボノより4つ年下です。リアムは幼い頃からケルト文化に親しみ、ケルト語はぺらぺら、バウロンという小太鼓に似たケルト音楽の伝統楽器のコンクールで入賞したこともありました。またHFを結成する前には、幼馴染で後にMBVを結成するKevin ShieldsやColm Ó Cíosóigと一緒にThe Complexというパンクバンドをやっていたことがあるようです。

ちなみにHFの名付け親はMaria Doyle Kennedy(写真右端)。映画『ザ・コミットメンツ』にも出演していた彼女は、後にHF同様マザーレコードからデビューしたThe Black Velvet Bandというバンドのメンバーだったのですが、下積み時代にHF、そしてカルトバンドとして知られるInterferenceのメンバーと一緒に靴工場の廃墟に住んでいたことがあったのです。現在、彼女はアイルランドを代表する女優で、4人の男の子の母親というのだから驚きですね。

デビュー前からアイルランド国内では既に人気者だったのですが、テレビ番組でMariaをゲストボーカルに迎えたこの曲演奏していたのを観たボノに見初められ、1987年マザーレコードからこの曲のシングルを発売。ラジオで放送されると評判となり、レコード会社同士の激しい争奪戦の末、ロンドンレコードに移籍しました。

1988年1st『People』
 UK2位 US88位
U2の弟分としてデビューしたHFですが、その音楽性はアメリカンロックの影響色濃いものの、U2とは似ても似つかず、またアイルランドぽさも希薄。寧ろヴァン・モリソンに近いものがあります。デビューアルバムとしてはThe Boomtown Rats、U2、Aslan、シネイド・オコナーなどの並み居る先輩たちを差し置いて、アイルランドのミュージシャンとしては当時最最大級の成功を収め、レディング・フェスティバルやグラストンベリー・フェスティバルなどの音楽フェスにも出場。ダブリンでは3万人規模のライブも開きました。

RE2位 UK11位 U.S. Modern Rock7位 U.S. Mainstream Rock16位
この曲はユートビジョン’88の放送内に流れたことで世界的にヒットしました。後年、元Boyzoneのシェーン・リンチがカバーしています。
こちらは当時の東京公演の模様を収めたブート音源。

アイルランドの伝統的な音楽、トラッドやフォーク・ミュージックとは少し距離を置いているような気がする。むしろ完全にロック寄りの音楽である。アイリッシュ特有のフィドルやマンドリン、アコーディオンなどはほとんど使用されておらず、使用されていても目立たない。逆にサックスが用いられているところがそういうふうに感じさせるのだろうか

ホットハウス・フラワーズ

このアルバムは本当に「スンゴイ」体験の連打だった。例えば、4曲目のI'll Be Easier In The Morningに満ちたゴスペルフィーリングをこの時に感動体験出来ていなかったら、ゴスペルに触れるのが遅れていたに違いない……確かなのは、聴き終えて怒濤のような感動を覚えたこと、そして、この時の衝撃が僕の音楽嗜好を決定づけたということ。

HOTHOUSE FLOWERS Liam O'Maonlai & HEATWAVE 山口洋 東北復興応援ライヴ決定!!

1990年2nd『Home』
 UK2位
ツアー中にあちこちでセッションしながら制作したアルバム。ディランと「Oh Mercy」を制作中だったダニエル・ラノワも参加しています。前作の延長線上にある好アルバムで、UK2位を記録した他、豪州で1位に輝きましたが、前作ほどの成功は収められませんでした。HFは音楽センス抜群なのですが、どこか「引っかかり」がなかったりするんですよね。流し聴きしてしまうというか……そこがセールスが伸び悩んだ理由のような気がします。

IRE3位、UK30位、U.S. Modern Rock2位、U.S. Mainstream Rock29位

1992年、HFはDef Leppardとストーンズのこの曲とジミヘンの「Little Wing」ともう1曲、計3曲をレコーディングしています。ケルト色が垣間見える面白い仕上がりになっています。このように音楽旅団HFはカバーも得意としているらしく、元Boyzoneのローナン・キーティングとはヴァン・モリソンの「Bright Side Of The Road」を、エディ・リーダーとThe Beatlesの「Across The Universe」を、Swell Seasonとボブ・ディランの「Forever Young」をカバーしています。

いつもとんでもないカバー曲がお楽しみのリアムのライヴ。今回は天空オーケストラの岡野氏を交えて、ボブ・マーリィのONE LOVEを熱演。おお、今夜はレゲエなのねと歌っていると、突然、スティーヴのギターのフレーズがどこかで聴いたことのあるメロディに。「これ、歌えるだろ?」と言われて合唱が起こる。何と「上を向いて歩こう」。いやいや、まさかそうつながるとは! でも、日本人なのに、ホットハウスの曲よりも一瞬歌詞が怪しくなった自分にちょっと苦笑い。

1993年3rd『Songs from the Rain』 
UK7位
リアム自身「なによりも焦点が定まったっていうのかな。今回のアルバムを作っていて、そんな感じがしたんだ」と言うように、これをHFの最高傑作とする人も多いようです。これまでぼやけていた曲の輪郭もかなりはっきりとして、白人R&Bの中でも指折りの作品……が、セールスは前2作を大きく下回ったようです。

皆さんはこのアルバムを聞いてどう感じただろう。できれば、ジックリと歌詞を読んでこの作品を聞いてもらえれぱ幸せだ。そして聞けば聞くほど素晴らしさがこみ上げてくるこの作品がこれからの人生の支えになってくれれぱ、もっと嬉しい。「もしも、人生に疲れて生きるのが苦しくなったら、ホットハウス・フラワーズのカセットでもウォークマンに入れて旅に出よう」いつだっけか、そんな言葉で彼らをみんなに勧めたことがある。もし、そんな気分になったら、是非このアルバムを聞き直してほしい。そうすれば、ちょうど「イズント・イット・アメイジング」で彼らが歌っているように、ここに収められた美しい音楽が自分を取り戻させてくれるはずだ。

HOTHOUSE FLOWERS-Songs From Rain

ジリ貧だったアルバムセールスを挽回すべく、HFは北米ツアーに打って出ますが、芳しい成果は上げられませんでした。またこの間リアムの父親が亡くなるという不幸もあって、疲弊しきったバンドは1994年一旦活動を休止します。

HFが活動休止中、リアムはケルト音楽を学ぶ傍ら、ベルファスト出身のSSWアンディ・ホワイトとNZ出身の SSWティム・フィンと一緒にAltというバンドを結成し、1995年に『altitude』というアルバムをリリースしました。売れ線には程遠い音楽性ながらHF人気の余波か、UK67位を記録。ヨーロッパ、北米、豪州などをツアーし、来日公演も果たしました。

1996年、ドーナル・ラニーがプロデュースし、U2、シネイド・オコナー、エルビス・コステロ、ケイト・ブッシュ、シャロン・シャノンらが参加したトラッド集『魂の大地~Common Ground』にこの曲を提供。またドーナル・ラニー・バンドの一員として来日公演も果たしました。

このステージでのリアムのヴォーカルとステージングは多くの人を魅了したに違いない。両脚をしっかと開きバウロンを脇に構えて歌う「Cathain」は躍動感にあふれ血が沸き立つようなプリミティブなパワーが漲り、またアルバムではブライアン・ケネディが歌うトラディショナルの名曲「As I Roved Out」を後ろ手を組みながら朗々と歌い上げるリアムの姿は自信に満ち溢れているようで歌声は聴くものの心臓を鷲掴みにしてしまう力強さを備えていた。自身のバンドでは伝統音楽の要素を表立って出すことのないリアムだが実は彼のバックボーンとして伝統音楽の素養が確立されていることを証明してみせたステージだった

The Rankin Familyというカナダのフォークグループのアルバムに参加。カナダ国内でヒットを記録。

1998年4th『Born
5人→3人になってHFを再結成。打ち込みを多用したHFとしては異色のアルバムで、ファンの間ではいまいち人気薄ようですが、リアムのソフルフルなボーカルがエレクトロサウンドにぴったり嵌っていい感じです。ちなみにライブはドラムレスのアコースティックスタイルで行ったそうです。

僕が初めてホットハウスを観たのは、98年『born』発表後の日本公演だ。原宿ラフォーレで行われたこのライブがすんばらしかった!!当然歌詞は全て英語で、歌を聴きながらその意味を理解できるほどの英語力もないのだが、すごく胸にジーンと来る感じで、「ああ、やっぱり音楽っていうのは人類共通の言語なんだ」って思った。『born』というアルバムは、それまでにも増してソウルフルな感じになっており、リアムの情感溢れるボーカルが心に響いたんだ。

がんばれリアム ~ HOTHOUSE FLOWERS 

この曲は、悪いけど、みんな静かにして聞いてね」と歌い出していた。でも、面白いのは、気合いが入ってしまうと、やっぱりヴォーカルが必要以上に大きくなって、ピアノも叩いてしまうのがリアム。それほど情感がこもってしまうってことで、やっぱ、びんびんと歌の世界を感じてしまう。アクースティックって、やっぱ、それが魅力なんだろうね。生身の人間が歌う声の力、そして、その声が作り出す歌の言葉が持つ力をとてつもなく強く感じるってのかな。

Hothouse Flowers最高!

1999年にはリアムの来日ソロ公演が行われました。

いま彼はあの間違いようもない、おそらく10年前に比べてより円熟した声で、ゲール語でアイルランドのトラッド音楽を歌い、ティン・ホイッスルを吹き、バウロンを叩き、長く大きな木製のオーストラリアのディジリドゥを吹き鳴らす。バック・バンドはなく、ただキーラという別のアイリッシュ・グループのメンバーであるローナン・オスノディがゲストとして度々登場して彼をサポートするだけ。二人はかつてダブリンで、同じゲール語学校に通っていたそうだ。ローナンは彼独自の、アフロ・カリビアン・ジプシー・アイリッシュスタイルのボウランを叩く。二人は裸足でステージを歩き回りながら楽器を演奏し、歌う。音楽は彼らの全身から溢れ出てくる。ホイッスルの軽快だが哀愁を帯びたメロディ、打ちつけられるボウランのリズム。眼を閉じるとむせび泣くような冷たい風の吹きすさぶ暗い岩だらけの海岸の光景、一度も見たことのないはずの風景が拡がり、突然涙が込み上げそうになる。

リアム・オ・メンリィ (O Maonlai, Liam)

いやーーーこれわねー、すごかったっす!!言葉では上手く表現できにくいっす!というのも、リアムの力強い地の底から這い出すようなボーカルにボーラン、金子さんと斉藤さん(鼓童)の全身で叩き付ける太鼓、ゲストの嵯峨さんの馬頭琴(モンゴルの楽器だそうな:どういう音かというと、映画ラスト・エンペラーのOpeningテーマとして、ちょいとバイオリンっぽい音を出してるのが、馬頭琴でございます)それぞれアイルランド、日本、モンゴルの音楽文化のパワフルさが、もうそれわそれわ、お見事に大々調和していてこちらも完璧に彼らの音の世界に引きずりこまれ、金縛り状態になっちゃった!!

リアム・オ・メンリィ東京公演でのコミュニケーション

2001年フジロックに出演。リアムは「過去15年で最高のライヴだった」と言っているそうです。

2日目の午後のグリーン・ステージをどこか土の匂いのする、優しい歌声で包んでいたのは、アイルランドのバンドだった。山の稜線を見上げると緑が眩しい。だれかが掲げた緑とオレンジと白の三色旗が、モッシュピットをすり抜ける涼やかな風になびいていた。「You can love me now~」 リアムの声に誘われるようにみんなが口ずさむ。みんな、ほんとうにピースな笑顔をしていた。ぼくにはそのフレーズがなぜか"You can love you all"と聞こえた。だれでも、みんなのことを好きになれる。あなただって。FUJIROCK FESTIVALという場所で、HOTHOUSE FLOWERSの音楽を前にしたときに。いや、音楽の種類なんて関係なしに。そこにいれば。そんなふうに聞こえた気がした。

2004年5th『Into the Heart』 
IRE3位
新ドラマーが加入してバンドサウンド回帰。内容は相変わらずのハイクオリティ。

2005年、初ソロアルバム『Rian』をリリース。

「リィアン」ほとんどが(シャーンノスっていう)アカペラに近いウタとホイッスルによる非常に深遠なアルバム。究極にハードコアなアイリッシュトラッドの作品集ですので決してお勧めはできません!どうしても興味がある人はSadbh Ni Buruinnealadhという曲を演奏しているYou Tubeを観てみてください。でもぼくはこれからの長い人生で何度も何度もこのアルバムを聴き続けるでしょう。リアムの唄を手本として生きたいなあ。素晴らしい。

2009年、2ndソロアルバム『To be Touched』をリリース。
Swell Seasonとの共作。前作にあったケルト色が薄れ、ほぼピアノの弾き語りだけになってより「歌」の神髄に近づいたという印象。これ一枚でヴァン・モリソンの先、グレン・ハンサードもダミアン・ライスもまだ到達していない領域に達した、なんて言いたくなるほどの大傑作。

リーアム・オー・メーンリィは、今年夏、久方ぶりに新作『to be touched』を発表した。その作品は、彼自身のシンギングとピアノ(曲によってはティン・ホイッスルも)、そしてベースだけの極めてシンプル構成であるが、それこそ、“シャーン・ノス”・シンギングの影響を受けたヴォーカルは幽玄そのものである。これほど聴く者に内省を迫る音楽は、そうないのではないか。来る日も来る日も聴き続けていて、そんな気がしてならない。アルバム・タイトル曲はもちろんのこと、特に、ゲール語で歌われる2曲は筆舌に尽くし難い。リーアム・オー・メーンリィ、恐るべし。

LIAM O’MAONLAI’

素晴らしい!! CDをデッキに入れてスタートを押すと、優しく響いて来るピアノの音色・・・そしてごく自然にそこに重なってくるリアムの声・・・。1曲目の表題曲“to be touched”から僕の心は旅に出る。ふんわりと僕の周りを包み込んで行くようなメロディーは、ある意味ヒーリングミュージックと言っても良いような、煩悩を捨てて清らかな地平へと誘ってくれるかのような・・・。 ラヴ&ピースに満ちあふれたこのアルバム、特に“what do we do now”なんかは、ちょっぴりジョン・レノンの“Imagine”を彷彿とさせる感じもあったりする。でもジョンの歌よりもよりネイティブに心の中に響いて来るのは、リアムが世の中の動きや情報、欲求、計算などを一切持ち込まずに音楽に向き合っているからだろうか・・・。

to be touched 〜 リアムの魂


2009年、The Swell Seasonの来日公演のスペシャルゲストとして来日し、その後、単独公演も果たしました。

予備知識一切なしで見たら、見事に歌声にヤられた。牧歌的というか民族的というか、とても不思議な魅力を持つ歌声。数曲は英語ではなく、伝統的なアイリッシュ言語で歌っていたらしかったのだけど、その言葉の響きがとても心地良くて。土地に根ざした音楽って言うのは何であんなにスゥ~と耳に馴染んでいくのかねぇ(まあ広義ではすべての音楽が土地に根ざしているとは思うけど)。今後の動向をぜひチェックしたい人。そういえば、会場のチラシにU2ボノの絶賛コメントがあったな。

The Swell Season @ 東京国際フォーラム ( 2009.05.20 )


2011年、Youtubeの東日本大震災復興支援チャリティ企画Artists Support Japanに参加。The Warterboysの「Sprit」を披露してくれました。また同年5月には、アイルランドの名だたるトラッド系ミュージシャンを集めて、ダブリンで震災復興支援チャリティライブを開いてくれました。

さらに同年、リアムは来日して、山口洋さんと復興支援ジョイントライブを行い、Anuaのメンバーと一緒に東北地方を慰労訪問しました。

2011年、震災のあと。名だたるアイリッシュのミュージシャンたちがダブリンに集結して、僕らの国のためにコンサートを行ってくれた。ネットで中継を観ていて、僕は胸が熱くなった。ザッツ・アイルランド人。一言もそんなことを云わなかったけれど、このコンサートの実現のために一番骨を折っていたのが彼だった。そんな役目、もっとも向いていないはずなのに。彼がアイリッシュであることの意味を問われるなら、素晴らしいトラッドを演奏することよりも、この事実を僕は伝えたい。2011年の終わり。「どうしても被災地に行きたい」と云う彼を、僕は福島県相馬市に連れていった。跡形もなくなった海辺の町を自分の目で心に刻んだあと、大勢の街の子供たち前で、彼は魂の底から音楽を奏でた。 僕は震えた。子供たちはマサイ族のように飛びはねながら、音楽に反応した。ほんとうに、何というか、美しい眺めだった。僕はあの光景を忘れない。(山口洋)

リアム・オ・メンリィ~本能のままに

ダブリンの目抜き通りグラフトン・ストリートで毎年クリスマス・イブに行われているホームレス救済チャリティライブでの一コマ。2014年にも来日公演をしています。

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