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起立性調節障害に隠れていたもの(4)

7月7日(金)七夕の日

毎年七夕の日には手巻き寿司をして、
オクラを星に見立てた煮麺を用意していました。
今年は私の両親が星型ケースを購入して、星型のきゅうりを七夕に合わせて作ってくれていました。
孫たちが喜ぶだろうと。
一番小さい小3のりくの友達にもあげたら?とたくさん作ってくれていた星型のきゅうりは、連日の通院で受け取りに行くことも、
誰にも届けることができませんでした。

私の母に連絡して、りくの迎えをお願いしました。
うみはまだ眠っていました。
いつ起きるかわからないので、りくのことを頼めません。
昼過ぎに私が帰宅し、間もなく夫が帰宅し、バタバタと病院に向かいました。

病院について待っていると、昨日再会した小児科Dr.が
「探してたんよー!今日は来るって聞いてて」
そう声をかけてくださり、私の横に座って、私の手をぎゅっと握ってくれました。
「妹ちゃんたちもやったんやってね。びっくりやったね」
その手はとても柔らかくて暖かくて…普段末っ子と手を繋ぐことが多い私はちょっとびっくりしました。
「上二人は起立性調節障害もあって。
 大阪の専門医さんのところに通ってるんです。
 ずっと調子が悪いのは起立性調節障害やと思ってたんです。」
「あーあそこに行ってるんだね。専門のクリニックだもんね。
 ここにも通ってる子いるよ。
 頭痛で来てる子も多いんよ。
 昨日、脳外科Dr.と話してたんやけど、これからはみんなMRI撮ろうかって。
 今までも長引いてる子とかはMRI撮ってたんやけど、もやもや病なんてほんといないんよ。
 でも、これからは必ずみんなMRI撮ろうって話になったよ」

田舎の総合病院です。
我が家のパターンなんて本当に珍しいと思います。
それでも「こんなことがあるなんて」と感じたことを次の誰かに生かそうとしてくださるDr.たちのお考えを嬉しく思いました。
お忙しい中、私を気にかけて、探して会いに来てくださった小児科Dr.の優しさも、本当に嬉しかったです。
いい病院に来たなと思いました。

脳外科Dr.からの病気の説明の後、これからの予定について話し合いました。
そらの検査入院は8月上旬で決まっています。
妹たちの検査入院をいつにするかです。
7月下旬に検査入院し、8月に一週間おきに3人手術という話も出てきて、
とにかくびっくりしました。
結局その通りにはなりませんでしたが、それだけ、早く治療した方がいい状況なんだなと思いました。

妹たちは7月下旬に、寂しくなったり不安になったりしないように、二人同時入院し、カテーテル検査とSPECT検査を受けることになりました。
個室に二つベッドを入れて…など、本当にいろいろ考えてくださいました。

Dr.からは
「学校は理解してくれそう?」
心配の声がありました。
「診断書でもなんでも書くから、ちゃんと理解してもらって」

それから、日常生活で注意しなければいけないことの説明もありました。
一過性脳虚血発作は「15分」が救急車を呼ぶかどうかのラインになりました。
病院からも遠いこともあって、「15分」となりました。

学校に対応を理解していただくために、後に作った子どもたちの「取説」です。

その後、夫は入院手続きに、
私はアンギオ検査までに小児慢性特定疾病の申請をしてほしいと言われ、必要な書類(診断書の申込書)を書きました。
今の小児慢性特定疾病は遡って請求することができますが、この時は申請した日からしか適応されませんでした。
なので、とにかくスピード勝負でした。
どの書類も一枚で済まないので、大変です。
看護師さんや事務の方と一人ずつ確認しながら3人分の病院に提出する分の書類を揃えました。
時間は17時近くなっていて、時間との戦いでした。

疲れきって帰宅しましたが、まだ大きな仕事が残っています。
妹たちへの告知です。
妹たちの子守りをしてくれていた母と別れ、その時が来ました。
りくが
「検査結果どうやった?」
いつもの可愛らしい顔で私を覗き込みます。

うみとりくを前に、
「うみも、りくも、お兄ちゃんと一緒。
 もやもや病だった。」
私がそう言った瞬間、

二人が泣き崩れました。

でも、もう泣かせるわけにいきません。
一過性脳虚血発作が起こります。
「泣かんといて。落ち着いて。」
二人をまとめて抱きしめながら思うように泣けないなんて残酷だなと思いました。
しばらくして、うみがふいっと別の部屋に行きました。
「痺れてない?」
「大丈夫…」
部屋からは誰かと話す声がします。
話し声が聞こえている間は多分大丈夫です。
うみの様子は夫が意識を向けていました。
私はりくをぎゅっと抱きしめました。
「検査入院はおねちゃんと一緒。お母さんも一緒だよ。」
過換気にならないように、
なるべく息を吸い込まないような姿勢で抱きしめ、
落ち着くまで頭を撫でました。

うみは、少し前に起立性調節障害になった友だちに慰めてもらっていたようでした。
部屋から出てきた時には落ち着いていて、
「そういえば、この間カラオケ行った時、手も痺れてたし、
 マイクを持つ手が下がってきてたんよねー」
と言い出し…、私も、
「もしかして、泣いたら喋れなくなったのも…」

『気持ちを伝えるのが下手なんじゃなく、
 一過性脳虚血発作が起こって
 喋れなくなってたってことーーーーーーーーー!?!?!?
 だとした、かなり前からやーーーーー!!!!』

めちゃくちゃ症状出てたやん!
え!?
あの時もこの時もそうだったのでは!?

っていうか、一番症状出てたやん!!!!!!!

うみも「えへへ、そうなんよー」なんて言うし、
子どもたち3人全員難病ということがわかった夜にしては
悲壮感に溢れる夜ではなく、
ワイワイとにぎやかな夜になったのでした。

晩ご飯には、スーパーでお寿司を買ってきました。
子守りに来てくれていた母は、
気が動転していのか、せっかく来てくれたのに星型きゅうりを忘れました。
一生の病気ですし、治ることはないのですが、
今すぐ命がどうという話ではないからか、
みんなで
「まぁ、なんとかなるか〜」
と言いながら食べたのでした。

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