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CDレビュー中島みゆき「生きていてもいいですか」

■衝撃と困惑の「ブラックアルバム」

音楽を聴き始めてだいぶ年数が経つ。
その中で自分が衝撃を受けたCDについて取り上げてみたい。

第1弾はこれしかない。
1980年にリリースされた中島みゆきの「生きていてもいいですか」。

「生きていてもいいですか」

ジャケット見て改めて思うことは「黒い」。
中島みゆきのブラックアルバム。
しかも、中央に白抜き文字で「生きていてもいいですか」。
黒いのはジャケットだけではなく、そこに収められている曲は、黒は黒でも光を全て吸収してしまうほどの黒さだ。

このアルバムを聴いたのは高校3年生のとき。
中学生の頃はプレーヤーを持っていなかったので、音楽ソースは専らFM放送だったが、高校入学時にプレーヤーを買ってもらったので、アルバムを買い集めるようになった。
最初はレコードだったが、すぐにCDに切り替えた。

中島みゆきについては、ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」のみレコードで購入したが、その後CDでのリリースが始まったので、セカンドアルバム「みんな行ってしまった」からは全てCDで揃えている。
新作と並行して、旧作をリリース順に集めていき高校3年生で7枚目の「生きていてもいいですか」に到達。
その時点で中島みゆきのファン歴もそれなりだったので、当然このアルバムのことは知っていた。
ジャケットは真っ黒だし、タイトルがあれだし、1曲目が「うらみ・ます」だし。
このアルバムを購入した時点で、アルバム収録曲で聴いたことがあったのは「船を出すのなら九月」だけだったと思う。
ライナーノーツの曲名に少々ビビりながら、恐る恐るCDをCDプレーヤーに入れた記憶がある。

聴いた時の感想を表すと「衝撃と困惑」。
中島みゆきのアルバム収録曲を初めて聴いたときもかなりの衝撃を受けたが、その比ではない。
「これは商品として売っていいものなのか?」
そういう疑問が湧いた。
これをアルバムとしてリリースする理由に全く見当が付かなかった。

Track01「うらみ・ます」
出た。出ました。
イントロなしで「うらみまーす」から始まるこの曲。
その歌詞もボーカルの表現も曲のアレンジもかなりの激しさだ。

 ドアに爪で書いてゆくわ 優しくされて唯うれしかったと
 あんた誰と賭けていたの? あたしの心はいくらだったの?
 うらみ・ます うらみ・ます
 あんたのことを死ぬまで

過剰なほど直接的な表現になっている。

このアルバムのアレンジを担当したのは後藤次利。
なんだかんだと中島みゆきと関係は深く、コンビで工藤静香に提供した曲も多い。
この曲を渡されてアレンジしてくれって言われても困るわな。
暗い、暗いと言われていた中島みゆきがこんな曲を出したら、もっとイメージが悪くなりそうな気がするが、アルバムの1曲目として収録されてしまった。

曲の後半は、半分泣きながら歌っているのだが、この曲のボーカルテイクはこのテイクしかないらしい。
テイク2が必要なかったのか、それともテイク2を録ることができなかったのか定かではないが、この世にはこのテイクしか存在しないらしい。
そこまでして、なぜこの曲をリリースする必要があったのか。
この疑問は、初めて聴いた時からずっと自分に付きまとっていた。

Track02「泣きたい夜に」
Track03「キツネ狩りの歌」
1曲目のインパクトからすると、2曲、3曲目は今まで発表されている曲に近かったが、やはりいままでとは何かが違う。
特に3曲目のグリム童話的な怖さを持った寓話的な歌詞はそれまでにはなかった。

Track04「蕎麦屋」
この4曲目が問題。
何が問題かというと、ホワイトノイズが多くスタジオ録音のクオリティになっていない。
他の曲とは異なり、ボーカルが極端にくぐもった音になっているため、おそらくはデモテープの音源を使っているものと思われる。
ボーカル部分のみがデモ音源で、バックの音源はクリアなのでスタジオ音源のようだ。
なぜ、デモの音源を使った曲がアルバムに収録されているのか。
アルバムが発売されることは決まっていたが、何らかの理由でスタジオでの録音ができず、デモテープの音源を使ったのではないか。
スタジオ録音ができなかった理由が問題なのだが、それを知るすべはなく、この曲の録音に関する情報は持ち合わせていない。

実は、1曲目、2曲目に電源由来と思われるハムノイズが乗っているが確認できる。
リマスター盤でもそのノイズは確認できるので、意図的にノイズを残したか、技術的にノイズをとることができなかったかのどちらかだ。
素人の録音でもあるまいに、スタジオ以外でのライブ録音ならともかく、スタジオ録音のアルバムでハムノイズが確認できる音源をいままで聴いたことがない。
アルバム作成側が気づかないはずはなく、こちらもハムノイズ混じりの音源を使わざるを得なかったとしか考えられない。
やはり、問題はその理由だ。
このアルバムはかなり特殊な作成過程、おそらく作成過程で何らか問題があったのだろう。

この歌に出てくる「おまえ」、主人公を蕎麦屋に誘ったその人のモデルは、中島みゆきの専属カメラマンの田村仁であることを本人がラジオのインタビューで述べている。

 世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて
 まるで自分一人だけがいらないような気がする時
 突然おまえから電話くる 突然おまえから電話くる
 あのぅ、そばでも食わないか ってね
 (中略)
 あのね わかんないやつもいるさって
 あのね、わかんないやつもいるさって
 あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ
 (中略)
 くやし涙を流しながらあたしたぬきうどんを食べている

こうして改めて歌詞を読むと、なんだか「北の国から」のワンシーンみたい。
(「北の国から」にこの「蕎麦屋」の歌詞についての台詞があるらしい。)
周囲の無理解に無力感を感じている主人公を普段そんなことをいわなそうな「おまえ」が慰めるという歌詞だ。
この歌の主人公が作者である中島みゆきだとすると、このアルバムが作成されていた頃の状況が垣間見えてくる。
(ちなみに、みゆきさんはうどん派です。)

Track05「船を出すのなら九月」
これは、小学生の時にFMラジオを「エアチェック」したものを繰り返し聴いていた曲で、このアルバムの中で唯一初聴でなかった曲。
アルバムのこの位置にこの曲が入ると、この曲の意味合いもまた変わってくる。
極めて寂しい心象風景。

Track06「無題~instulmental」
中島みゆきの曲の中で歌の入らないインスト曲で独立した曲というのは多分これだけ。
作曲も中島みゆきではなく、アレンジャーの後藤次利の名前がクレジットされている。
次の曲の導入にはなっているのだが、これを独立した曲としてクレジットしたのは、曲数の問題なのか。
デモテープ音源の「蕎麦屋」とこのインスト曲を除くと、6曲。
これだとLPじゃなくEPになってしまうので、苦肉の策ということなのか。

Track07「エレーン」
最後の2曲がこのアルバムの核。
この7曲目のモデルは、1984年に出た「女歌」という本の中で中島みゆき自身が明らか伸した。
「エレーン」はジャパゆきさんとして日本に来たヘレンという女性で日本で死んでしまった。
初めて聴いた時は当然そのことは知らない。
そして、中島みゆきの歌のテーマが直接問いかけられる。

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない

ああ、これを言ってしまったたんだ、歌の歌詞にしてしまったのか、とそのとき思った。
ある意味、究極の問。
「その答えを誰もが知っている」というその答えについて「誰も問えない」というのなら、その答えはきっと「No」なんだろう、とそのときは思っていた。

でも、今はちょっと違う感想を持っている。
「誰もが知っている答え」は、「その問には他人は答えられない」ということなのではないか。
翻れば、自分自身で答えを出すしかない問いだと。

この問に対する中島みゆきの答えは、1997年にリリースされた「誕生」という曲に見て取れる。
人が誕生したときに「Welcome」と祝福されること。
誕生したことそのものが絶対的な祝福の対象。
その「Welcome」は、言われた方は覚えていないかもしれないから、

 私いつでもあなたに言う
 生まれてくれてWelcome

そのWelcomeはいつでも他人が言うことができる。
その祝福こそが、エレーンで投げかけられた究極の問いに自分自身で「Yes」と答える根拠になる。
そんな風に解釈している。

今ならそんな風に解釈して救いを求められるが、この時点では何の救いもない。

Track08「異国」
そこから続いてこのアルバムのラストを飾るのがこの曲。
この曲は暗いのは暗いのだが、それ以上に重苦しい印象が先に立つ。
アレンジの感じがそう感じさせるのかもしれない。
アレンジと言ってもアコースティックギターとベースしか使われていない。
このベースが特に重苦しい印象を与えている。
 
この曲を聴いたとき不思議な感覚にとらわれた。

 止められながら去る町ならば
 ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
 ふりきることを尊びながら
 旅を誘うまつりが聞こえる

 二度と来るなと唾を吐く町
 私がそこに生きてたことさえ
 覚えもないねと町が云うなら
 臨終の際にもそこは異国だ

とにかく重苦しい。曲のテンポもかなりスロー。
物質がゆっくりとした大きな力で圧縮されていくようなイメージ。
温度感は非常に冷たい。
そしてサビの部分。

 百年してもあたしは死ねない
 あたしを埋める場所などないから
 百億粒の灰になってもあたし
 帰り支度をしつづける

ここの「百億粒の灰」の「億」という言葉を聞いた瞬間にイメージが一変した。
高密度に圧縮されたものが、一気に爆発して無限大になったようなイメージ。
自分が真っ暗な宇宙空間に放り出されたような感覚に陥った。
なぜそんな感覚に陥ったのかを後から考えてみたが、おそらく「十万億土」という言葉と結びついたからではないかなと思った。
まさに密教的なイメージ。
その前の歌詞に「臨終の際」というような言葉があったことの影響しているかもしれない。
こんな不思議な感覚になったのはこの時だけだ。

 しがみつくにも袖さえ見せない
 すがりつくにも足さえ見せない
 泣かれるいわれもないと云うなら
 あの世も地獄もあたしは異国だ

このあとサビの部分が5回も繰り返されるが、ここではもう半泣きで歌っている。
曲の長さは、中島みゆきの曲で3番目に長い9分15秒。
この重苦しいサビのループを聴いていると、ダウナーなトランス状態になりそうになる。

中島みゆきの歌の中で故郷をテーマにした歌は多い。
「ホームにて」であったり、「杏村から」であったり、「ファイト!!」にも故郷を捨てられなかった登場人物が出てくる。
だが、ここまで強烈な言葉が並び、救いのない曲はない。
結局のところ、ふるさとのことを歌っているようで、自分の心の居場所、拠り所がない喪失感が歌のテーマになっているような気がする。

「エレーン」では「生きてもいいですか」と答えられない問いを投げかけ、「異国」では死んでからも居場所がないし、もう救いようが全くない。
「二十億光年の孤独」どころではない。
歌のテーマも表現も重く、暗く、激しく、何の光明も見えないまま、このアルバムは終わってしまう。

このアルバムにはカタルシスはない。
ただただ、このアルバムが商業ベースで発売されてしまったことの衝撃とこのアルバムの歌たちをどう受け止めていいか分からない困惑だけが残った。

■なぜ「生きていてもいいですか」はリリースされてしまったのか

このアルバムを聴き終わってからずっと疑問だった。
《なぜこのアルバムが、この内容でリリースされてしまったのか。》

この当時は1年に1枚アルバムをリリースするのがお約束で、アルバムを出さなければならない事情があったとはいえ、なぜこんな内容なのか。
実質的に7曲のみ、そのうち1曲はデモテープ音源と思われる音源を使っている。
内容も形式も自主制作ではないメジャーレーベルの作品としては異形すぎる。

「うらみ・ます」、「エレーン」そして「異国」以外の曲は、これまでのアルバムに収録されていたとしてもそれほど違和感はないが、やはりこの3曲は中島みゆきの曲の中でも異質だ。
この異質さ、違和感の正体はなんなのか。

それはたぶん大衆音楽はこういうものだという一般的なイメージ、音楽は聞いている人を楽しませるもの、慰めるものという不文律、そこからあまりにもかけ離れすぎていることにあるように思う。
小説ならばともかく、このアルバムの中島みゆきの歌は大衆音楽としてはあまりにもシリアスすぎるのだ。

このアルバムを初めて聴いてから10年以上経ち、中島みゆきがあるインタビュー記事の中で「歌にできない感情もある」というようなことを言っていた。
「生きていてもいいですか」をリリースした方ですら、歌にできないものがあるかと驚いた。
この感情を歌にするかどうか、この歌を世に出してもいいかどうか、という基準が他の歌手とは大きく違うのだろう。
その基準というか認識が周囲と大きくずれているか故の無理解、軋轢に苦しんでいたのが、あの「蕎麦屋」に出てくる歌詞なのではないかなと感じている。

 あのね わかんないやつもいるさって
 あのね、わかんないやつもいるさって
 あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ

中島みゆきは、アルバム制作のために曲を作ることをせず、ストックした曲の中からアルバム収録曲を選ぶという話を以前からしている。
曲を作るのが遅いから、アルバム制作を始めてからでは間に合わないというのがご本人の理由だ。
「わかれうた」のヒット以来、「別れ歌うたい」のイメージが定着しつつあり、周囲からも「わかれうた」のような曲を求められていたのではないかという想像は大きく外れていないようなきはする。
初期の曲に「別れ歌」が多いのは間違いないが、それは彼女の作るそうではない曲もあるというのは初期のアルバムを聴けば分かる。
自分の曲の中でも限界に近いシリアスさ、激しさを持つ曲を世に出したいと思ったら、今まで出してきたようなアルバムの中には入れるのはなかなか難しい。
であれば、そういう曲を入れるために用意した特別な器、一種のコンセプトアルバムが「生きていてもいいですか」なのではないかと思うようになった。

「うらみ・ます」については、「別れ歌うたい」のイメージが定着しつつある自分自身の自虐的なパロディだと理解すると腑に落ちる。
想像してほしい。
振られた女が男の家のドアに「やさしくされて唯うれしかった」と爪で書くのは、悲劇ではなくむしろ喜劇だ。
その歌詞を泣きながら、おろどおどろしく歌ってみせたのは、世間の自分に対するイメージへの反発でなかったら、商業作品として世に出す理由がないような気がする。
それも、この特別な器だからこそ可能なことだ。

自分はここまでなら歌にできるその限界を示した異形のアルバム。
ここまでやれば、あとは怖いものはない。

この「生きていてもいいですか」の次のアルバムは「臨月」。
前作とは打って変わって、憑きものがとれたように(中島みゆきとしては)軽快な佳作になっている。
それまでのフォークソングの匂いはぐっと少なくなり、サウンド指向が明確になってきた。
「臨月」を経て、「寒水魚」、「予感」という初期の傑作アルバムが生まれる。
臨月の頃あたりから、比較的売れ線というか、耳馴染みのいい曲はシングルで、シリアスで濃い曲はアルバムでというすみ分けがされるようなってきたように思う。
その中で「悪女」のヒットがあったわけだが、「寒水魚」に収められた「悪女」はシングルとはがらっとアレンジが変わり、気だるい雰囲気の曲になっている。
この後に老婆が主人公の「傾斜」という重苦しくシリアスな曲もあるのだが、アルバム全体としては、シリアスながらもカタルシスや癒やしさえ感じられるような仕上がりになっている。
次の「予感」は、その後の「御乱心の時代」を予感させるようにさらにサウンド指向が進んでいる。
アルバムのA面(まだこの時代はレコードです)は本人がアレンジに挑戦するなど、実験的な側面もある。
「寒水魚」はストリングスアレンジの曲が多く、どちらかというとソフトな印象の音作りだったが、「予感」は音数はそう多くないものの、とてもソリッドな印象で「寒水魚」とは対照的だ。
かなりダークな印象の曲も含まれてはいるのだが、以前のような鬱々としたフォークソング的な暗さは感じられない。
いずれにせよ「生きていていてもいいですか」がターニングポイントになっているのは間違いない。
このアルバムをあの形で出さなければ、その先に進めず、結果としてその先の傑作アルバムも生まれなかったのではないかとさえ思える。

■聴くのに覚悟がいる異形のアルバム

この文章を書くに当たって、久しぶりに「生きていてもいいですか」を聴き返した。
リリースされてから40年以上、その当時の時代を考えても、やはり異質すぎる。
歌のテーマがシリアスすぎるし、その表現があまりに直接的で激しすぎる。
特に最後の2曲は強烈だ。
実験的で商業ベースになじまないということではなく、この歌を世に出すこと自体、一般的な感覚ではありえず、世間の常識を完全に飛び越えてしまっていると感じた。

ライブでエレキギターを持ち、デジタルサウンドに取り組んだ「御乱心の時代」、現在も続く瀬尾一三との共同プロデュース体制になる直前の1987年に、中島みゆきは初めてのライブアルバムをリリースする。
「歌暦」と題されたライブアルバムに、こんなMCが収録されている。

 弾き語りで歌ってた頃の私しか知らない人には
 不思議に思うかもしれないけど
 でも私はいろんなこと迷ったりとかいろいろしたけど
 私はただ、ただね、正直になりたいの
 だから好きな歌 歌いたいの
 好きな歌 歌わせてね

このMCの後には、大胆にデジタルロックアレンジされた「阿呆鳥」が続く。
1978年リリースの「愛してると云ってくれ」に収録されていた曲だ。

本当の理由は本人しか分からないし、周りは想像するしかないのだけれど、「生きていてもいいですか」というアルバムをあの形で出したのは、結局のところ、あのアルバムに収録されていた曲を歌いたかった、あのアルバムを出すことによるマイナスを考えても、世に出したかったということに尽きるのだろう。
その強い思いがあの激しさにつながっているのだと感じる。

その後、「生きていてもいいですか」のようなアルバムはリリースされていない。
他の歌手で、このアルバムに近いアルバムがあるとは聞いたことがないし、今後もこれに匹敵するようなアルバムがリリースされることはないだろう。

フォロワーを生まない「孤高の歌姫」としても特殊な異形のアルバム。
実はこのアルバム、今やCDだけではなくiTunesでも聴けるらしい。
興味本位で聴いてしまうと、最後の2曲で後悔することになるので、全くおすすめしない。
ライトなファンなら今更聴く必要はないと思うが、中島みゆきを極めたい人には避けて通れないが、聴くのに覚悟がいるアルバムだ。

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