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Netflixドラマ「宇宙を駆けるよだか」レビュー

【Netflixのドラマ】

2018年のNetflixオリジナルドラマ。
原作は別冊マーガレットに連載されていた同名の少女漫画。
出演していた清原果耶と富田望生の怪演がすごいと噂で、You Tubeに上がっていた予告編を見て興味があったので、Netflixに加入して見ようと思っていたところ、ちょうど「青春18×2 -君へと続く道-」の配信も始まったので、タイミングがよかった。
全部で6話、テレビドラマだと1クールの半分程度、1話あたりの時間もテレビドラマのように統一されていない。
トータルで240分程度だと思うが、見始めたら止まらなくなり一気に見てしまった。
「青春18×2 -君へと続く道-」の配信目当てでNetflixに加入した人なら、見て損はない。
ジャニーズのふたりの演技も悪くなく、気にならずに最後まで見ることができる。

 
※ここからネタバレ。とにかくドラマを先に見てください。 

【ルッキズムを問う】

予告への見出しも「愛されるべきは、外見か中身か」というストレートなもので、ルッキズムという言葉がいまほど一般的ではなかった時にこのテーマというのは、なかなかセンスがあると思う。
「よだか」と外見にまつわる話というと宮沢賢治の「よだかの星」を思い起こすが、タイトルの「よだか」はこの童話を意識してのものというのは間違いないだろう。
ただ、原作者によると、このタイトルは編集担当者の案によるものだそうだ。
おお、担当さん、なかなかセンスある。
 
宮沢賢治の「よだかの星」では、よだかという鳥は、その醜い容姿から他の鳥から嫌われ、鷹からは「たか」の名前を使うな、名前を変えろと言われる存在。
虫を食べなければ生きられない自分を嫌悪し、太陽に向かって焼け死んでしまおうと太陽に願うが、名前に夜が入っているなら夜の星に相談すればと太陽に言われ、死ぬことさえ拒絶される。
夜の星にも相手にされず、夜をさまよい続けるよだかは、輝く星になるという話だ。
この漫画でも姿の醜いものは、夜空の星になって死んでしまうのかと思いきや、そうではなかった。
 
よくある入れ替わりものなのだが、父親が家を出ていって以来、母親からは半ばネグレクト状態で、容姿が悪くブスとずっと虐げられてきた海根然子(富田望生)とルックスも性格もよくクラスの人気者の小日向あゆみ(清原果耶)の体が入れ替わるというもの。
 
小日向あゆみは、成績優秀でスポーツ万能、誰にでも優しく接するイケメンの幼なじみ水本から告白を受け、付き合い始めたばかり。
水本公史郎(神山智洋)との初めてのデートへ向かう途中で、同級生の海根然子がビルから飛び降りるところを目撃してしまった小日向あゆみは、目が覚めると自分の体が海根然子の姿になっていることに気づく、という話だ。
見た目が悪いだけで見ず知らずの人からもバイ菌扱いされ、すっかり卑屈になっていた然子だが、どうしようもないこの状況に絶望して自殺しようとする。
どうせ死ぬなら体の入れ替わりを試そうと思い、密かに思いを寄せる水本と付き合っているらしいあゆみの体を奪おうとして、罠を仕掛ける。
 
ドラマの中では、清原果耶が外見は小日向あゆみ、富田望生が外見は海根然子という役だが、中身は入れ替わるという設定で、ドラマの大部分を清原が中身は然子、富田が中身はあゆみという状態を演じている。
外見は入れ替わっているが、性格(そして今までの記憶も)はそのままなので、振る舞い、行動、発言は変わらない。
水本だけでなく、あゆみのもうひとりの幼なじみ火賀俊平(重岡大毅)にも、ふたりの体が入れ替わっていることがバレてしまう。

【2人の女優の怪演ぶり】

2人の女優の怪演ぶりは確かにすごい。
富田の話し方は、小日向あゆみ(というか清原果耶)そのもので、清原がアフレコしたのかと思うくらい話し方と声のトーンがそっくりだ(清原の方がやや声が低いくらい)。
表情もかなり寄せていて、スクールカースト最下層の海根然子がだんだん小日向あゆみに見えてくるから不思議だ。
清原果耶の方はもっと強烈で、背中を丸めて歩く姿、爪を噛む癖の演技は、もう海根然子にしか見えない。
 
あれほど蔑まれ続けた然子の容姿をしているあゆみが、明るく振る舞うその行動からクラスのみんなから徐々に好かれはじめる。
火賀は、然子の容姿になってもあゆみに尽くし続けている。
美しい容姿さえ手に入れれば、全て変わると思っていた然子だが、暗くて卑屈な性格はもとのままのためクラスメイトからは疎ましがられはじめ、ナンパしてきた男からもブスといわれる始末。
死ぬつもりでようやく手に入れた容姿なのに、好かれるのは、自分では鏡を見ることさえしなかった醜い然子の姿をしたあゆみ。
その現実を突きつけられた時の海根然子の嫉妬と絶望、それを清原果耶が演じている。
卑屈になりすぎて他人に嫉妬するという感情さえ持てなかった然子が猛烈な嫉妬の感情に投げ落とされ、嫉妬の渦の中もがき喘ぐ姿は、陰鬱なだけのもとの然子にはなく、狂気の世界に足を踏み入れてしまっている。

【入れ替わって辛いのはどちらか?】

フィクションでなければあり得ない状況だが、ドラマのテーマがこれ以上ない程先鋭的に示される場面だ。
 
どちらが辛いのだろう。
見た目が変わってしまっただけで、不当な扱いを受け、自分の本当の家族には自分がアミ湯であることを信じてもらえず、同居せざるを得なくなった然子の母親にはネグレクトされるようになった小日向あゆみか。
(然子の体になってしまったあゆみが、然子が鏡を見ることさえしなかったことを知らず、母親のヘアブラシを使って髪をとかそうとしたら、然子の母親からどうせ髪なんかとかしても同じだと、ヘアブラシを取り上げられるというシーンは強烈だった。)
 
自分が望んだ容姿を得たはずなのに、結局他人から受け入れられず、自分の容姿をした小日向あゆみに対する嫉妬に悶え続け、水本は然子が嫌っていた火賀と入れ替わってしまい、火賀の姿になった水本からは「体は変わっても中身は変わっていないんだから、今までどおり好きでいてくれるよね」と当てつけを言われ、その孤独の底が見えないほどまで深まった海根然子か。
この然子の状態になったら、完全に心が壊れてしまうと思う。
自分の容姿であっても、振る舞いや発する言葉で周りの人間の態度が変わるということをあゆみが証明してしまったことで、然子は、自分の外見だけではなく内面についても否定されるという、自分自身に対する完膚なきまでの全否定を受ける。
体の入れ替わりに成功し、毒親から離れ、あこがれの水本と恋人同士になれたと思ったのに、結局あゆみになり切れなかった然子の底の見えない孤独と絶望への転落。
さらに、この状態で、今まで水本がしたことはあゆみを元どおりにするためで(火賀と命がけで体を入れ替えたことすらも)、然子を最初から「騙す」つもりだったと告げられる。
その上で、あゆみをもとに戻すことに協力してほしい(つまり然子は、命がけで元の然子の体に戻らなくてはいけなくなる)と言われる。
この状況に耐えられる心の持ち主はいないだろう。
 
自分がいなくなって周囲の人が探してくれるのは、自分があゆみの姿をしているから。
姿形が海根然子のままなら、いなくなっても誰も探してなんかくれない。
あゆみや水本、火賀が然子を心配してくれるのは、元の姿に戻れるかもしれない方法が見つかり、然子があゆみの体を持っているから。
以前の然子にもあゆみや水本が手を差し伸べていたが、それすら然子は持てる者のきれいごと、偽善と切り捨てる。
 
あゆみと入れ替わる前の然子が風邪を引いて数日学校を休むというシーンがあった。
このシーンについて、休んだ間のノートを貸そうというあゆみの申し出は断ったのに、密かに好意を寄せる水本からのノートのコピーは受け取る然子は結局男好きなんじゃないかという意見もあった(女性は女性に厳しいな)。
ただ、このシーンをよく見ると、あゆみはクラスのみんながいる前で自分のノートをそのまま然子に差し出している(まあ、渡し方としては普通か)。
ただでさえ他人の憐憫には敏感になっている然子が、クラスの人気者で、妬みというよりは劣等感を感じているあゆみの申し出を素直に受け入れられるはずもない。
卑屈な然子ならあゆみに対して、「いい子ぶって、みんなの前だから私にノートを貸すなんて言ってるんでしょ」と思っていても不思議ではない。
そのあたりは、そんな状況になったことのないあゆみは想像できるはずもない。
(あゆみは、素直でいい子だがちょっと天然なところもあってそこまでは気づかない。)
 
一方、水本は、然子とふたりだけの状況で、ノートのコピーを取って(しかも付箋までつけて)、そのコピーを然子に渡している。
毎日昼食は菓子パン1つの然子を見ていれば、然子はコピーを取るお金にも事欠くのではないかという配慮で自らコピーを取り、然子が受け取りやすいようにクラスメイトの目のないところで渡しているとしたら、水本は高校生とは思えないほど出来すぎた配慮の人だ(しかも、「必要なかったら捨ててくれ」なんてカッコよすぎる)。
掃除当番の然子がひとりで掃除をしていても、他のクラスメイトは誰も手伝ってくれなかったが、水本だけは手伝いを申し出て、然子に断られても手伝ってしまう水本は、少女漫画の王子様キャラそのもの。
ここまでやられたら、卑屈で他人を警戒して拒絶している然子でも惚れてしまうな。
この辺の感情の肉付けはドラマとしてなかなかうまいと思ったが、感じ方は人によって違うかもしれない。
 
あゆみたちが然子を見つけ説得するシーンは、なぜか天体観測には向かなそうな住宅地の近くにあると思われる天文台の中でのやりとりだ。
(タイトルが「宇宙を駆けるよだか」だからなのか。それにしても、高価な機材があるのに簡単に侵入できてしまう天文台って警備がゆるすぎる。)
 
このときの然子を演じる清原果耶の演技は、見ているこちらが辛くなるほどの怪演だ。
たしかに、この状況であゆみたちが何を言おうときれいごとにしか聞こえないという然子の言い分に説得力がある。
もともと然子があゆみを騙して入れ替わったのが悪いのだが、このときの然子役の清原果耶の演技がすごくて、然子に肩入れしたくなってしまう。

【ドラマの結末と違和感】

ドラマの中で、そんな海根然子を最後に受け入れてくれるのは、関係が壊れていた毒親としか見えない実の母親だったという展開になる。
入れ替わったもの同士がもう一度入れ替わろうとすると、元に戻れず本当に死んでしまうという設定で、あゆみと然子はもう直接入れ替わることができないから、水本と火賀の体を借りて、最終的に4人ともが元の体に戻ることができた。
 
然子はもとの容姿に戻ってしまうが、然子の体になっていたときのあゆみの振る舞いのおかげで、然子に対してクラスメイトは優しく接してくれるようなっており、あゆみたちの助けもあって、然子は徐々に心を開いていくという結末になっている。
少女漫画として、そしてジャニーズ主演のドラマの結末として、ハッピーエンド以外の結末の選択はなかっただろう。
 
あれだけ然子をネグレクトしていた母親が、中身があゆみの然子が家の手伝いをするようになって、然子の子供の頃を思い出し、然子に対する気持ちが変わり始めていたとはいえ、絶望してあゆみの顔を傷つけようとしている然子に今までことを謝罪するという展開は、ちょっと納得がいかない。
然子の母親の毒親っぷりからしたら、そんな簡単に母親の心が変わるはずがないと思うし、それをあゆみが受け入れるのも釈然としない。
「ルックスエリート」のあゆみたちと自分に姿に似た毒親に呪いの言葉を吐き続けながら、あゆみの容姿のまま然子が絶望したまま命を落とす、という結末の方がリアリティはあると思うが、救いは全くない。
ドラマの筋書きと入れ替わりのトリックは秀逸で面白いが、飛び降り自殺のシーンが多すぎる。
ドラマだと入れ替わりのシーンは映像になっていないシーンも含めて4回もある。原作は漫画なので、飛び降り自殺のシーンも比較的軽い印象にすることもできるが、実写になるとちょっときつすぎる。
特に自称入れ替わり研究家で、自分自身も入れ替わりを経験している女性の入れ替わり相手が元の姿に戻ろうとしてビルから飛び降りるが、再度入れ替わることができず死んでしまうシーンが何回も繰り返されるのはいただけなかった。
(演じた女優さんが以前から知っている佃井皆美さんだったのでなおさら)
 
あとドラマのストーリーで違和感があったのが、然子があゆみに成りすましてあゆみの自宅で生活しているところ。
記憶と性格は然子のままなので、絶対両親に怪しまれるし、そのうち水本と火賀のように両親にもバレると思うが、ある程度普通に生活しているところに違和感がある。
然子としては、毒親でしかない自分の母親と汚いアパートで貧乏生活するよりはずっといいとは思うが、水本と火賀のように、いつ中身があゆみでないことがあゆみの両親にバレるんじゃないかと思いながら、この先ずっとあゆみの両親と生活していくのは相当ストレスのはずだ(学校生活も同様)。
 
さらに、それしか方法がないとはいえ、あゆみが元の体に戻るため、成功するかどうか確証のない4人シャッフルで、水本が飛び降りるのを見ることができてしまっているというところだ。
ドラマでは、あゆみの姿をした然子が、火賀の姿をした水本の飛び降りを冷静に見つめるシーンはあったが、然子の姿をしたあゆみが、水本の姿をした火賀の飛び降りを見るシーンは省略されている。
映像にしてしまうと、もし失敗したら水本と火賀が死んでしまうかもしれないことをあゆみが容認することになってしまうので、違和感があるから省略したのかもしれない。

【原作マンガを読んでみた】

ドラマのストーリーで気になる点があったので、原作が気になり、原作マンガを読んでみた。
原作マンガの初版は2015年。全3巻。
ドラマはかなり原作に忠実で、重要な場面のセリフもほとんどマンガのままだった。
物語としては、恋愛を主軸としていながら、見た目に関するシリアスなテーマが扱われているが、最終的には登場する男性キャラがかっこいいという少女マンガらしいテイストになっている。
入れ替わりのトリックもドラマと同じく秀逸で、これで十分読者の興味を最後まで引っ張ることができる。
ドラマと主に違う点は以下のとおり。
 
○全体的に登場人物のキャラクターが少女マンガ的
原作マンガでは、間違いなく水本と火賀が中心に描かれている(少女漫画だからな)。
海音然子もドラマとセリフはほとんど変わらないのに、心の闇、絶望感は軽めに描かれている。
海音然子の心の闇、絶望感を強調すれば強調するほど、見た目か中身かというテーマが強調されることになるから、このテーマを強調したくて、ドラマの方は、あんなダークでおどろおどろしい感じにしてしまったのか(然子の母親のキャラクター改変もそうだ)。
 
○火賀の方がイケメンキャラ
原作の水本はやさしい感じのルックス、火賀の方はルックスイケメンだが、ちょっとやんちゃなキャラクター。
ドラマで、イケメンキャラを入れ替えたのは正解だと思う。
 
○飛び降りシーンはグロくない。
飛び降りシーンはソフトにしか描かれていないので、全く問題なかった。
入れ替わり研究家(原作では外見女・中身男)が元の体に戻って失敗するシーンのビデオをあゆみと火賀に見せるシーンは、途中で火賀がノートPCの画面を閉じてしまう設定で、全部は描かれていない。
マンガと実写は表現方法が異なるのは当然だが、ドラマであそこまで飛び降りシーンをグロく、繰り返し描写する必要があったのか、この辺の演出意図には疑問が残る。
 
○然子の母親は毒親ではない。
原作マンガの然子の母親は、ネグレクトというよりは父親から出て行ってから娘に無関心になってしまった母親という感じだ。
娘への食事は、おにぎりだけは作ってくれる。
なら、然子はおにぎりを昼食として学校に持っていけばよかったのに、と思ったが、原作の方に、学校での然子の昼食の場面が出てこない。
ドラマの方の母親は、娘の然子に対してもネグレクトだが、部屋は散らかりっぱなし、娘の食事どころか、自分の食事すら作らずカップ麺ですませているので、もう生きる気力を半ばなくしているセルフネグレクト状態の母親として描かれている。
ここが違うだけで、あゆみと然子との家庭環境の違いが猛烈に強調されるので、然子の居場所のなさと孤独感が絶望的に深くなる。
この然子の母親のキャラクターが大幅に異なるのに、最後の然子と然子の母の邂逅シーンを原作そのままにしているから、違和感があったのだ。
あの毒親が、そうそう心を入れ替えて、娘に対して謝るなんてするわけないと思ったのは、そういうことかと納得。

【もう一つの結末(案)】

これらを修正して、オリジナルの登場人物のキャラクター、登場人物の心の動きを継承した「もうひとつの結末」を考えてみた。
体の入れ替わりのスイッチとなっている飛び降り自殺は、冒頭のあゆみと然子の1回のみとして、それ以降は体の入れ替わりはなし。
姿が然子と入れ替わったあゆみにとって、自分の姿を取り戻すよりも大切なものは何かということを考えて、物語に組み込んでみた。
 
○水本が考えた水本と火賀の入れ替わり計画は、火賀が水本から突然言われた入れ替わり計画を理解できず、その場から逃げてしまったので失敗する。(ドラマでは成功し、水本と火賀の体が入れ替わっている)
○自分の考えた計画が失敗したので、水本はやむを得ず、あゆみと火賀に自分のシャッフル計画を話す。
○あゆみをもとの体に戻すには然子の協力が不可欠だが、水本は然子をだまし続けるよりも然子に本当のことを話し、元の体も戻ることに協力するよう頼むと言い出す。
○あゆみと水本と火賀は、あゆみと然子の体を元通りにするため、然子を説得し入れ替わりをさせようとする。
○然子の母の助けもあって、なんとか然子を説得する。
(ここまでは概ねオリジナルのまま)
○しかし、入れ替わるためには、水本が「死ぬ」ところをあゆみが見なければならない。(この時点では、水本と火賀は外見も中身も水本と火賀のまま)
うまくいけば元の姿に戻れるがその確証があるわけでもなく、もし失敗したら大切な水本や火賀が死んでしまう(しかも自分の容姿は元に戻らない)ことを受け入れられず、あゆみは然子の姿のままでいることを決断し、最後の赤月の日は過ぎてしまい、あゆみと然子は永久に元の自分の姿には戻れなくなってしまう。
○あゆみは然子にあるお願いをする。
 
※ドラマとは順番が異なるが、この設定でも以下の入れ替わりをすれば4人が全て元に戻る。
 失敗した時のリスクを考えて、死ぬ役は全て男性が行う(ドラマと同じ)。
 「外見(中身)」、Lは見る側、Dは死ぬ側という表記にしている。
0:Lあゆみ(あゆみ)・D然子(然子)
 → あゆみ(然子)・然子(あゆみ)済
1:Lあゆみ(然子)・D水本(水本) 
 → あゆみ(水本)・水本(然子)
  L然子(あゆみ)・D火賀(火賀) 
 → 然子(火賀)・火賀(あゆみ)
2:Lあゆみ(水本)・D火賀(あゆみ)
 → あゆみ(あゆみ)・火賀(水本)
  L然子(火賀)・D水本(然子)  
 → 然子(然子)・水本(火賀)
3:L火賀(水本)・D水本(火賀)  
 → 火賀(火賀)・水本(水本)
 
○場面は転換。あれからしばらく時が経っている。
○然子の体のままのあゆみは本来の自分に家に戻っており、両親もその姿が然子であることを気に留める様子もなく、あゆみとして接している。
○その容姿はあゆみの努力でだいぶマシになっており、食生活も整い、ややすっきりとした体型になり、髪型もきちんと整え、表情も以前のあゆみと変わらず明るい。
学校でも今まで以上に周囲から愛される存在になっている。
○水本と火賀との関係は、今までどおり何も変わっていないように見える。
○然子の姿のままになったあゆみは、今までどおりには2人に向き合えないというが、火賀は自分のあゆみに対する気持ちを諦めて、あゆみを説得して、あゆみと水本は以前と同様に付き合い出す。(ドラマと同じ設定。火賀はいい人)
○学校に海根然子の姿はない。然子のことを回想するあゆみたち。
(以下、回想)
○あゆみは然子の姿のままでいることを決断した後、然子に対して、入れ替わりの事実を自分の両親やクラスメイトに自分と一緒に説明してほしいと頼んだ。
あゆみは、自分を愛してくれている両親を失いたくなかったのだ。
○毒親としか思っていなかった自分の母親との関係が変わる可能性が見えてきた然子は、あゆみに成りすましてあゆみの両親と生活していくことに限界を感じていていたこともあり、あゆみの提案を受け入れる。
○体の入れ替わりの話をあゆみと然子から聞いたあゆみの両親もクラスメイトも最初は信じられなかったが、最近二人の様子がおかしかったので、体の入れ替わりと聞いてようやく納得する。
○あゆみは自分の自宅に戻るが、然子は学校から姿を消す。然子は自分の今までの行いを告白したことで、あゆみと同じ高校にいることが出来ずに転校していた。
○あゆみたちは然子のアパートも訪ねるが、引越していて姿はない。
 
○あゆみの姿になった然子は、転校先でその容姿が原因でいじめられるようなことはなくなった。
○母親との関係もまだギクシャクしたままだが、然子は家計の足しにとアルバイトも始めた。
○然子は髪を短く切っている。背中を丸めて歩き、爪を噛んでいた以前の然子の姿はもうない。(原作のあゆみはショートカット)
○明るくはなりきれてはいないが、以前の卑屈で周囲を拒絶し続けた然子から変わりつつある。
○母親との関係を修復しつつ、なんとか心を開いて前向きに変わろうとしている然子は、徐々に周囲にも受け入れられていっている。
○そんな然子の姿を偶然街で見かけた火賀。
あゆみに対して謝ることもせず、あゆみの姿のまま姿を消した然子に対して怒りを覚えていた火賀だが、今までの自分を変えてなんとか前向きに生きようとする然子の姿を見て、心が揺れ始める。
○あゆみに対する後ろめたさから、あゆみに何も言わずに転校して行ってしまった然子の前に現れた火賀は、あゆみに謝ってくれという。
○あゆみに対して顔向けできないと思っていた然子だが、火賀の説得であゆみに会うことを決める。
○あゆみに会ったものの、あゆみの傍には大好きだった水本がいて、自分では顧みることがなかった自分の容姿があゆみの努力ですっかりマシになっていること目にして、改めてあゆみに対する嫉妬と今までの自分自身に対するふがいなさを感じた然子は、なかなかあゆみに謝ることが出来ない。
○そんな然子の気持ちを察して、火賀が今の然子の様子、然子の変わろうとする努力をあゆみと水本に話す。
○火賀の然子に対する態度の変化に驚くあゆみと水本。
○あゆみは、然子が勇気を出して、自分の両親に入れ替わりを説明してくれたおかげで、自分の自宅に戻ることができたと然子に感謝の言葉を言う。
○その上で、自分を巻き込んだ然子を完全に許せる気持ちになったわけではないが、もとの自分の姿に戻らないことを決めたのは自分だし、然子があゆみの姿になったことで然子自身が変わって、少しでも前向きになってもらえるなら、元の姿に戻らないことを決めた自分が救われると話す。
○その言葉で、ようやく然子はあゆみに心から謝罪するとともに、自分を変えていくことを約束する。
○そんな然子(外見はあゆみ)の姿を見て、これからも然子を支えていこうとする火賀。(どこまでも火賀はいい奴で、献身の星の下に生まれてきたことにしたい。)
 
そんな結末でも、よかったのかなと思う。
ファンタジー要素少なめのシリアスかつベタな方向で考えてみた。
 
あゆみだけではなく、水本と火賀も外見はあゆみだが中身は然子なのを知っているのだから、3人が一緒に説明してしまえば、周囲もさすがに納得するだろうから、然子のあゆみへの成りすましは継続できない。
然子が水本との関係も維持できなくなった以上、体の入れ替わりが知られていない場所でやり直したいと思うのが自然ではないかと思った。
 
ただ、この結末だと、原作の少女漫画感はほとんどなくなるし、実写化による改変としても、主人公はあくまでジャニーズの二人なのに、ますます主役感が薄れてしまうような気がする。
さらに、あゆみと然子が外見と中身が一致しているのは、ドラマのはじめだけになってしまうのか。
ドラマの中で、元に姿に戻ったあゆみ(清原果耶)が、然子の姿の時に母親に拒絶されたことを思い起こし、元に戻った日常の幸せを感じて、母親に抱きつくシーンが好きなのだが、これも見られない(まあ、富田望生が演じてもいいのだが)。
男女シャッフル状態のシーンもなくなるので、体の入れ替わりの演技の面白みはないかな。
ドラマでは、あゆみの体になった水本(清原果耶)と然子の体になった火賀(富田望生)が、入れ替わりのために校舎から飛び降りようとしている水本の体になったあゆみ(神山智洋)と火賀の体になった然子(重岡大毅)を見つめているシーンがかなり面白かった。
この結末だと、然子の姿役の富田望生が痩せなければならないが、富田は役作りで増量したようなので、増量する前にこのシーンを撮影しておけばいいだろう。
このストーリーは、あゆみの姿になった然子を清原果耶が演じることが前提だ。
オリジナルのストーリーのあゆみの姿をした然子役も相当難しいが、自分が考えた「もう一つの結末」はそれに加え、転校後の然子の非常に複雑で繊細な心の動きを表現することが要求される。
この然子を演じる役者の演技が見ている者を納得させられるという確信がないとこの「もうひとつの結末」を採用できないが、清原果耶ならやってくれる。
 
自己肯定感の低い者が自己肯定感を高めるのは容易ではないが、誰がひとりでも自分を肯定してくれれば、それを足がかりにすることはできるかもれない。
火賀君、然子のことは頼んだよ。

【役者さんはすごい】

このドラマは、ファンタジー要素(ダークな部分も含む)が多く、高校生同士の男女関係もいかにも少女マンガという感じだが、扱っているテーマは、ルッキズムが蔓延する今だからこそ、生きてくる。
このドラマで、あゆみ役になのに、ほとんど然子を演じた清原果耶は、インタビューで、嫉妬に狂う然子を演じている時は、他の仕事をしていても笑えず、マネージャーに「役を引きずっているよ」と注意されたと話していた。
演じる役にどこまでも寄り添って演技しようとする清原果耶にとっては、底の見えないネガティブな感情がずっと続く然子役を演じることは相当辛かっただろう。
このドラマの撮影時、清原果耶は16歳。
NHKの朝ドラ「なつぞら」で、広瀬すず演じる「なつ」の生き別れの妹「千遥」役をオファーされ、自身が17歳の時に、縁談のためになつと縁を切らなければならない18歳の薄幸の美少女とその結婚がうまくいかず離婚するか悩む30歳の子持ちの人妻を演じ分けた、そのさらに前に撮影されたドラマだということに驚きを隠せない。
それを知ると、やはりあの有名な漫画のセリフを言わざるをえない。
「カヤ、おそろしい子!」
 
演じ分けの天才としか言いようのない富田望生の演技は、すごいという言葉だけでは表しきれない。
この時、富田望生は18歳。
富田はこのドラマ出演後も、5役演じ分けの舞台とかをやっているらしい。
この女優2人がいなければ、このドラマは成立していない。
そんな役者のすごさを見せつけられたドラマだった。
 

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