世間は自分に無関心
"世間は自分に無関心やからなァ!"
私がこの言葉を初めて放ったのは高校1年生のときで
友達が1人でトイレに行けないことに疑問を抱いたことがきっかけだった。
たぶんその時の感情は単純に面倒くさかったとかそんなしょうもない理由だと思う。
けれどこの考え方が自分の中でいかに大事にしていたかを後で知って、それからめちゃくちゃ大事にするようになった。
"世間は自分に無関心"
ある人には悲しい言葉に聞こえるかもしれない。
どうせ貴方のことなんて誰も興味ないよ〜みたいな。
でも私が言いたいことはそうじゃない
"世間は自分に無関心だし、世間は自分の集合体なのだから自分も世間に無関心である"
つまり
気にするだけ無駄、自分だって気にしてないやろ
ということが言いたかった。
私は小さい時からあまり周りの目を気にすることがなかった。
たぶん自分のことによほど自信があったし、何しても大丈夫っていう謎の余裕からだと思う。
小学生の頃から1人で飛行機に乗っていたし
高校生の頃は学校帰りに1人でUSJに行ったり
京橋駅の吉野家で会社員と並びながら晩ご飯たべて帰ってた。
グループ行動が合わなかったというのもある。
というか小学生の時にいじめっ子だったから友達できなかった。
どっちが先か分からないけれど、とにかく私は人の目に注意を向けられるほど
人に関心を抱けるひとではなかったのは間違いない。
でもこれは少なからず全員の心にあることで
結局は自分自身が1番かわいいのだと思う。
だからその集合体である世間の目を気にすることは、意味のないことに等しい。
大学生を卒業する年ともなると、この考えを持っている人は多い気がする。
これを発した時はあくまでグループ行動が命みたいな
まだ小さな小さな女子高生だったから。
けれど周りの反応に媚びる事がエゴになってしまいがちなこの世の中で
世間の目ばかりを気にしていそうな人を見ると
いつか潰れてしまうんじゃないかってヒヤヒヤする。
潰れても何も残らないのに、だって誰もそこに興味がないから。
この友達は大学生になって、なんでも自分でできる行動力のある子になったらしい。
友達にその理由を聞かれたとき、私のこの言葉を出していると聞いた。
私はその話を聞いて、少しだけ世間が好きになった。