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アメリカロードトリップ#3/ディープサウスの洗礼


テネシーでのスローモーニング

本日目を覚ましたのは、このモーテル。RedRoof Motelというもので、全米にチェーンがあるらしい。確かに、この度を通して何度もお世話になった。昨日のニュージャージー州で泊まったホテルより、格段に安く、格段に綺麗なことにびっくりした。州と街中心部からの距離によって、価格は圧倒的に変わってくる。

かなり典型的なアメリカのモーテル。駐車場が広い。

今日は9時半ごろにレッドルーフ・モーテルをでて、テネシー州のダンキンドーナッツで朝食とコーヒーを買う。ダンキンは北東部のニューイングランド特有のチェーン店。どれだけ特有かというと、静岡のさわやかハンバーグみたいなものだろうか。だからやっぱりマサチューセッツからやってくると、ダンキンはとっても恋しいものだ。自分も不思議なもので、こうしてアメリカやアメリカの外を旅をしていると、日本から来たというより、マサチューセッツから来た、と言いたくなるものなのだ。

本日の道中の暇つぶし①:マック数え

今日は暇つぶしに、道中の脇に佇むお店のサインの中に、マクドナルドが何個あるか、数えることにした。日本では一般的ではないけど、この画像みたいに、ハイウェイの出口のたびに、こうして飲食店(だいたいファストフード)とガソリンスタンドが書いてある。

こんな感じ。(https://images.app.goo.gl/XpzD1saVka82NFjTA)

何個と予想したか忘れてしまったけど、今日中にみるマックの数を予想して、夜ご飯の決定権を賭けることにした。最終的に数えたマックは、全部で32個。社会学の授業で、グローバライゼーション(globalization)は、別名マクドナライゼーション(MacDonalization)というと聞いたことがある。これは、結局西洋の文化が全世界に行き渡り、全てが均質化されていく様を示していて、その象徴がマックというものだった。このマクドナライゼーションは、アメリカ全土に染み渡っていることがよくわかった。

暇つぶし②:ディープサウスのビルボード観察

にしても、ビルボードに載っているビジネスの看板は白人だらけ。そして、時々あるヒスパニックの看板は、すごくステレオタイプ的(メキシコの帽子をかぶって、陽気そうで、マラカスとか持ってる感じ)に描かれていて、ちょっとモヤっとした。ここでは白人=プレーンとされ、そして他の人種は、すごく誇張して描かれるようだ。それもそのはず、テネシーは、72.9%が白人の州だ。特にここらへんは、ディープサウスと呼ばれる地帯でもある。いわゆる南部のステレオタイプを煮詰めたような場所だ。南部というと、まず中絶に反対しているとか、同性愛・同性婚などの性的マイノリティを認めない姿勢を見せる人が多い。また、キリスト教徒の割合も他の州に比べて圧倒的に高く、ダーウィンの進化論よりもキリストによる創造説を信じる人も割といる。また、銃への規制が緩いことでも知られていて、銃をそのままで持ち歩くことが法的に認められている州もある。そして、南北戦争の頃の南部連合の名残(戦碑や南部軍の偉人像)が至る所に残っていて、それらは人種差別の歴史の象徴だと問題にもなっている。ほぼ横断したテネシーはしましま模様の右から二番目の平たいところで、アラバマはその下の台形みたいな形の州だ。

ディープサウス。(various, edited by Jay Carriker - WikiProject: United States regions, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1471160による)

スウィート・ホーム・アラバマ

11時ごろ、ジョージア州を少しだけ経由して、アラバマ州に入った。有名なカントリーソングのサビにも出てくる。正直誰のスウィート・ホームなのかよくわからなかったけど、調べてみたら、アメリカ人の古き良き南部へのノスタルジアを歌ったものらしい。ちなみにアラバマにもダンキン・ドーナッツがあり、めちゃくちゃ嬉しくなった。

せっかくなので写真を撮ったり、南部ならではの言葉遣いが書かれた看板を見たり。

奇跡的に看板と景色とトータルコーディネートみたいになった。

下の画像の”Red Neck”とは、南部の人をちょっと馬鹿にした言い方でもある。Wikipediaには、「アメリカ合衆国の南部やアパラチア山脈周辺などの農村部に住む、保守的な貧困白人層。肉体労働者や零細農家が多い」と書いてあった。

南部ならではの、天気の見方

ガソリンスタンドにて、ディープサウスの洗礼を受ける

アラバマのLove'sのガスステーションでガソリンを入れ、ついでに軽食を食べた。客は見事に全員白人で、わたしたちアジア人はかなり視線を感じた(運転手の友達は、アメリカで生まれ育ったアジア人だ)。私はその時は気づかなかったけど、私たちが店に入った時、いる人全員が私たちを舐め回すように見ていたらしい。何度も。彼らはアジア人を見たことがなくて、ただ珍しくて見ているのか。それとも、見下しているのか。それはわからないけど、知らない人たちからじーっと不穏な視線を感じるのは、全く気分のいいものではなかった。文句があるなら直接言ってほしい、とさえ思ってしまう。このなんだろう、私たちがテリトリーを侵害したみたいなあの反応。少し前まで、アメリカの土地に白人はいなくて、全てネイティブアメリカン(先住民)が住んでいた場所だったというのに。

さらに、今度はアラバマのめちゃくちゃ田舎のガソリンスタンドで休憩をとった時、今度は店にいる人が全員黒人だった。それはそれでびっくりした。白人だらけの街と、黒人だらけの街が一つのの州に混在していることがよくわかったし、それはまるで違う国みたいだった。友達が何か買っていたら、レジにいた黒人の店員さんが友達に「韓国人?」って聞いて、友達は韓国人ではないので「違う」って答えたら、「あの人知ってる?」と韓国出身の有名人の名前(確かスポーツ選手)を言ってきた。私は、いや韓国人じゃないって言ってるやんけ、とか思いながら見ていた。友達がその人の画像をスマホで検索して「この人?」と見せる。そしたら、店員さんは「そう、その人!知ってるでしょ?」とキラキラした目で嬉しそうに言う。もう友達も根負けして、「…うん」と言って店を出た。これは典型的な軽い人種差別の例ではある。特にアジア系に対してが多いんだけど、同じ人種(アメリカにアジア系は2000万人いるとはいえ)だったら、全員知り合いと思って、知ってるアジア人の名前を言ってくると言う行為だ。言われた人を、不快とまではいかなくても、困惑させるものではある。同時に、この街に、アジア人がほとんどいなくてめちゃくちゃ珍しい存在だったことと、東アジア(ここでは中国・韓国・日本)の国々がどれだけ違うか知らないんだろうというのは容易に想像ができるし、その店員さんの言い方もすごくワクワクしたかわいい感じだったから、不思議と気にならなかった。ただ、こうして典型的な人種的なやりとりを見て、めちゃくちゃ面白いなと思った。私の大学があったマサチューセッツ州のアマーストは、いい意味でも悪い意味でもバブルの中というか、リベラルで、ある程度教養のある白人が多く、あからさまな人種差別にさらされるということはほとんどなかった(授業中にディスカッションにうまく入れてもらえないとかはあったけど)。だからこそ、このロードトリップでは、本当のアメリカ(の闇)が知りたい、という気持ちで臨んでいた。社会学を勉強しているということもあり、このお店でのやりとりは、私の中で立派なデータとして輝きを放っていた。

先住民のいない、先住民の土地

テネシー・アラバマを走っていて感じたもう一つのことは、発音が難しい独特な響きの土地がたくさんあったことだ。たとえば、Cherokee(チェロキー)、Chattanooga(チャタヌーガ)、などだ。

独特な響きを持つ土地の名前たち

これらの土地の由来はネイティブアメリカンの言葉からきている。チェロキーは先住民族の名前で、チャタヌーガは彼らの言葉で岩が迫りくる場所という意味らしい。こうした土地の名前にネイティブアメリカンの名残は残っているものの、全米各地にあるreservation(保留地/ 先住民族インディアン専用に特別に設置された居住区域)と呼ばれる地域は、テネシー州内にはない。気になってちょっと調べてみたら、1830年にインディアン移住法という法律が施行され、それによって、アメリカ連邦政府がテネシー州内のネイティブアメリカンの国々をオクラホマ準州に強制移住させたという。テネシー州では、14,000人(2022年当時)のネイティブ・アメリカンがいるけど、NAIA(ネイティブ・アメリカン・インディアン協会)によると、彼らに対する州や連邦の承認はなく、彼らに対するサービスもないという。先ほど出てきたチェロキー保留地は、あくまで観光客用のもので、ここに先住民は住んでいないという。参考にしたナショナルパークサービスのウェブサイトによると、観光はお金になる、とまで言っている。ちなみにこれは私たちがのちに訪れるニューメキシコ州とはかなり違う対応だ。ニューメキシコの西部では、先住民のナバホ族は国を形成し、政府と結ばれた法律によって、一つの国家として承認され、健康保険などの保障を得ていた。

白人の入植のために、自らの国や土地を手放すことを余儀なくされたネイティブ・アメリカンたち。保障を得られたかどうかは国家や部族によって異なる。しかし、その根底にあるのは、力で他者をコントロールし、時に人種的な思想をもって自らの利益を優先させる、忌まわしき植民地主義なのだろう。

Bruno Marsにも出てくるミシシッピへ

4時半ごろ、ミシシッピ州に到着する。Swiftという運送会社のトラックは運転が荒いことで有名らしい。それ聞いた時テイラースウィフトしか思いつかなかったけど、そうか、Swiftって普通にある苗字なのか。日本で言ったら田口さんみたいなものかな。今日もかなり長い旅路だったので、車の中ではいろんな話が盛り上がった。たとえば、いろんなビルボードを見ていたので、自分がビルボード載せられるお金を持っていたとしたら、何を載せたい?って話とか、アメリカ人の思春期の人たちの多くは、家の地下室で日本語から英語に翻訳された漫画とかを見て、密かに日本の生活や文化に憧れているものだよって言われて、不思議な感じがした。私が中高時代死ぬほど行きたかったアメリカで、彼らは漫画やアニメの中の日本に憧れていたなんて。ないものねだりなのだろうか。もしこの友達が日本に来ることがあったら、お金と時間が許す限り、全国どこへでもその子を引きずり回して日本を堪能させるだろう。ちなみにミシシッピにあるジャクソンという街は、ブルノ・マーズの”Up Town Funk”にも出てくる。その理由は、ある人が出身地を聞かれ
”Jackson, Mississippi”と答える時の響きが好きだったかららしい。

ミシシッピの看板前にて。フラッシュを焚かなかったから映るんですに映らなかったんです

人々の物語の宝箱、ニューオリンズ(ルイジアナ)

7時半、ルイジアナ州に入る。8時半ごろに着いたのは、ジャズの本場ニューオリンズ。数えきれないほどの音が交差する場所だった。たくさんの観光客の話し声、歌う声。二階のバルコニーから聞こえてくるBilly Joelの歌。路上で繰り広げられるプラスチックのバケツの太鼓ショー。バーやテラス、レストランからのジャズ。ドラッグでハイになった人が喚く声。本当にカオスで、大きい音が苦手な自分にとってはかなりの洗礼だった。同時に、いろんな場所から、いろんなストーリーを持ってやってきた人たちを見ていたら、それらが交差するこの場所のパワフルさと豊かさに圧倒されざるを得なかった。人生を賛美する場所、とでも言おうか。誰かをジャッジするとか、誰かに遠慮するとか、そういう日々のしがらみから一番遠い場所だった。

ものすごい人とものすごい音の大きさだった。

お腹が空きすぎて死にそうだったので、ちょうど良さそうな屋外のレストランに入る。そこでは、ジャズのトリオの生演奏が行われていた。フランクシナトラの”My Way”などのジャズのクラシックが軽やかな曲調と共に披露されていく。温かい夜風のなか、外の喧騒とジャズの音色が心地いい。隣に座っていたマダムが、私たちの料理が待てど暮らせどこないのを見て、甘いパンを譲ってくれた。優しい。南部名物のガンボを食べて、私たちが食べきれなかった分のパンを他の席の人に譲った。循環だ。

ジャズの生演奏。
びっくりするくらいに赤く大きい月。なんだか不穏でゾクゾクする。

今日はニューオリンズの近くの30ドル(めちゃくちゃ安い!)のモーテルに泊まった。

今日の気づき:南部の男性性

南部特有の男性性について考えさせられた。アメリカ南部特有のマッチョな行動として、ヘルメットなしでゴツいバイクに乗るとか、小さい車にわざと大きいタイヤをはめて走る、というのがある。あんまり慣れ親しんだ文化じゃないから友達に聞いてみたら、大きいタイヤというのはタフさの象徴らしい。自分の知らない世界があることに驚いた。確かに、南部に関する文献では、自分達の生活に政府が介入することへの嫌悪感や、メキシコ人などの移民への保険料を負担することになるのではないかという違和感・差別意識から、州の保険にあえて入らない白人男性たちが多いと聞く。その背景には、自分の人生、自己責任、やりたいようにやるから、ヘルメットも被らないし、保険にも入らない、という思考があるという。その例を実際に目にすると、彼らはもはや印刷された数字や文字ではなく、生きている一人の人間なんだと改めて痛感するのだった。

出会ったビルボードたち

▶︎なんかムカつく弁護士の宣伝。スラング使いやがって、と見るたびに怒っていた。確かにこの人の看板は至る所にあって、こういうめちゃくちゃ攻めた宣伝もいけちゃうんだろうな。

IYKYKは、”If you know, you know"(わかる人にはわかる)というスラング。

▶︎南部名物(?)Pro-lifeの広告。アメリカは中絶の権利をめぐって二分していて、保守派はPro-life(妊娠した人の選択権よりも、胎児の命を優先する)、リベラルはPro-choice(宿った胎児を”人”としてカウントするよりも、妊娠した人の身体に対する自己決定権を守る)と呼ばれている。キリスト教(原理派・カトリック)が強い南部はこの保守派が強くて、道を走るだけで、こうした胎児の写真をセンセーショナルに示した写真を目にする。こうした州では、産むことで妊娠している人の命が危ないとしても、そして育てられる経済的・社会的地盤がない妊娠だとしても、そして性暴力の末の妊娠だとしても、例外なく中絶は殺人だとして法律で禁止している。

「(お腹に宿っているのは)”選択”なんかじゃない、”こども”だ。」

私たちがこの日旅したアラバマ・ミシシッピ・ルイジアナは、まさしくこの中絶の規制が一番厳しい地域だ(下の画像で、右下の真っ赤なところ)。このような分断を目にすると、軽々しく「対話で解決」なんて言えないと思ってしまう。宗教的理由を背景として、Pro-lifeの人たちは全力を尽くして中絶の権利を剥奪しようとしている。こんなパワーバランスの中で、まるでお互いが平等な立場から話すような「対話」という言葉は、まず不可能だし、すごく乱暴に聞こえるのだ。アメリカは、州によって法律がめちゃくちゃ違って、まるで違う国みたいだ。だからアメリカに留学に行くって言っても、どの州に行くかによって、留学体験はめちゃくちゃ変わってくるんだろうなと思う。

引用:NHKより

▶︎キリスト教色がめちゃくちゃ強い看板。「イエスはすべての問題への答えだ」というなんだかありがたい看板。すべての問題が信仰心で解決するとしたらどれだけいいだろう。でも、人の力は借りることはあっても、結局一個一個解決していくしかないんじゃないかな。「寝不足は寝るしかない」ってモーニング娘。も言ってた。

「イエスはすべての問題への答えだ」

マイルレコード

走行距離:578miles(930km)
走行時間:10時間17分(ひゃー!)

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