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名誉ある撤退?長い目で見れば前進?
海外の大学院に行きたい、とここ最近ずっと思ってきた。だってかっこいいし、一年間の学部の交換留学はえぐいほどに楽しかったし。私の突き詰めたい研究分野・Men and Masculinities Studies(男性・男性性学研究)の「本場」はアメリカや英語圏だし。社会公正の分野での職の選択肢も日本よりべらぼうに多いし、何より息しやすい。
対して、日本の大学院は、実現性がべらぼうに高い。実家から通えるし、学費も今休学中に稼いでいる分でほとんど賄えるので、借金をしなくて済む。知り合いの教授が作った早稲田の新しいコースに入って、アカデミアとアクティビズムの二足のわらじを履いて修士が取れる。なにより、日本というフィールドの中で「手触り」のある研究ができる。
アメリカでの一年は、自分の今の研究分野へのパッションを再確認し、その分野で活躍する人たちとたくさんつながった時間だった。同時に、「自分のフィールドはどこなんだろう」とたくさん考えた。「グローバルに活躍する」というのは聞こえがいいけど、それは実はローカルな活動の積み重ねの上で始めて成り立つのだろうとも感じた。理論と実践。最終的に私が改善したいのは、どこの問題なんだろう。理論の成熟と同じくらい大事なのは、理論のあてはめや考察を通して、社会に落とし込んでいくことだと思う。
ここ最近、海外大学院の受験準備があまりにも大変で、自分を鼓舞するためにも、進路を聞かれるたびに「海外の大学院行きたいんですよ~」って話をしていた。だからいざ日本の大学院に行くとなったら、なんだか周りの反応がいやに気になってしまう気もする。(これは完全なるエゴなのだが)
でも実際、地に足付けた研究ができるのはここだろうな、という確信がある。それは着実に実績と経験につながり、ゆくゆくは新しい道を開くのだろう。
今年の3月に書いていたnoteだ。半年前の自分には、この記憶が未来の自分にとってまるで夢の中のことのようになると、たしかにわかっていた。ひとつひとつの試練をたったひとりで切り拓いていく中で、この時間のかけがえのなさを抱きしめようとしていた。
日本での大学院のオファーを受けることは、単なる撤退ではなく、たしかな前進だ。サーフィンでは、前日に睡眠をしっかりと取り、準備体操をして初めて大波に乗れるらしい。これから必ずやってくるビッグウェーブ、苦手な英語リーディングにもっと慣れ、社会学・ジェンダー研究の知識の蓄積させ、問いの先鋭化、TA経験、コネクションづくり、全力で準備して待て!